高橋藍はハーフで無くクォーター!3兄弟の兄は髙橋塁で父親や母親など家族構成!学歴&経歴とWikiプロフ!国籍は日本!

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

男子バレーボールで活躍を続ける高橋藍さんは、2020年には日本代表にも選出された実力選手です。

バレーの実力はもちろんですが、その見た目がイケメンだと人気も集めています。

端正なお顔立ちと高身長なので、まさにモデルのような選手といってもいいでしょう。

バレーボール選手としての実力も、ルックスも申し分ない高橋藍さん。

そこで、今回の記事では

・高橋藍のWikiプロフィールやバレーを始めたきっかけなど
・高橋藍の学歴&経歴!エピソードも知っておきたい
・高橋藍の家族構成や家族について

これらのことを中心にまとめていきたいと思います。

高橋藍さんの事が好きでより詳しく知りたいという方はもちろんのこと、高橋藍さんを始めて知ったという方もこの記事をきっかけにして興味を持っていただけたら幸いです。

目次

高橋藍はハーフではなくクォーターで国籍は日本

高橋藍さんの国籍は日本となっており、母親がアメリカのハーフということなので高橋藍さんはクォーターです。

また、アメリカの血だけでなく英国やドイツの血も入っています。

父親→日本
母親→日本とアメリカのハーフ

うま

祖父がアメリカ人みたいだね。

うさぎ

肌も白くてとっても綺麗だよね。

高橋藍の家族は5人で構成は?

髙橋藍さんの家族構成は5人家族です。

高橋藍選手の家族構成ですが、

【5人家族】
政次(せいじ)
:小百合(さゆり)

:塁(るい)
本人:藍(らん)
:莉々(りり)

前述したように兄がバレーボールをしていて影響を受けた一人であると書きましたが、お兄さんについてやご両親についても詳しく見ていきましょう。


高橋藍の3兄弟の兄は髙橋塁

高橋藍さんがバレーボールを始めるきっかけとなったは、兄である高橋塁さんです。

名前:高橋塁(たかはし るい)
生年月日:2000年1月4日
年齢:23歳(2023年6月時点)
身長:186cm
体重:80kg
血液型:A型

足のサイズ:28センチ
出身高校:京都東山高校(バレー部主将)
出身大学:日本大学(バレー部主将)
所属:サントリーサンバーズ

高橋塁さんは、小学二年生の時に元女子バレー日本代表栗原恵さんに一目惚れしたことでバレーボールを始めたとう可愛いエピソードがあります。

栗原恵さん(くりはら めぐみ)さんは日本の元女子プロバレーボール選手で、2012年からLDH JAPANに所属。
現在は現役を引退されています。

しかも高橋藍さんがバレーボールを始めた学年と同じということで、意外なところで共通点がありますね。

高校までは、兄弟同じ学校だったので同じチームとして戦う仲間でしたが、高橋塁さんは日本大学に進学しているので2020年の全日本バレーボール大学男子選手権大会では兄弟対決となっています。

その時は、日本体育大学が2位で日本大学が3位とのことで弟の高橋藍さんの勝利となりました。

うま

ずっとチームメイトだった兄弟との対決って、複雑な心境もあっただろうね。

高橋藍の父親

高橋藍さんの父親は、

高橋政次(せいじ)

と名前は明かされています。

一般人なので詳細な情報はあまり公開されていません。

しかし、長男である高橋塁さんのX(旧Twitter)には時々話題に上がっています。

ちょっとしたエピソードを明かされているのですが、その内容は父親のおちゃめな人柄が伝わってきてほっこりします。

こうして、失敗談も気軽に発信できるくらいに親子仲良しってことですね。

高橋藍さんのお父さんである政次さんは「高校球児」だったとの噂もあります。

高橋藍さんの名前がホームランの”ラン”から名づけられているというエピソードからもその野球愛は本物のようですし、学生時代は野球に打ち込んでいたのかもしれませんね。

ちなみに、政次さんはわが子の名前すべてに野球用語を入れています。

・塁(長男)→ベースの”塁”
・藍(次男)→ホームランの”ラン”と藍色の意味から名づけ
・莉々(長女)→リリーフの”リリ”

野球が好きだからということも理由の一つですが、海外でも通用するような名前を付けたかったという思いもあります。

実際に高橋藍さんは海外で活躍されていますし、政次さんにとってもうれしいことでしょうね。

高橋藍の母親

高橋藍さんの母親は

高橋小百合

という名前です。

父親同様に母親も一般の方なので詳細な情報は公開されていませんが、母親はアメリカのハーフです。

また、イギリスやドイツなど多国籍なルーツを持っている方です。

高橋藍のWikiプロフィール

画像引用:Instagram

名前:髙橋藍(たかはし らん)
国籍:日本
生年月日:2001年9月2日
年齢:21歳(2023年6月時点)
出身地:京都府京都市
身長:188cm
体重:83kg
血液型:O型
所属:ヴェロ・バレー・モンツァ
ポジション:アウトサイドヒッター

好きな色:黒と赤
好きな食べ物:ハンバーグ
嫌いな食べ物:なし

趣味:アニメ、荒野行動(ゲーム)

2023年6月に、イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァと契約発表した高橋藍さんのお名前ですが、”藍”という漢字はついつい”あい”と呼んでしまいがちですが、高橋さんは”らん”と読みます。

まだ若干21歳ということで、これからの活躍に大きな期待ができる選手とも言えるでしょう。

そして、その見た目が魅力的だと感じる方も多いのではないでしょうか。

高橋藍はいつからバレーを始めた?
きっかけは兄の影響

現在イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァと契約を交わし、順調にバレー選手として飛躍している高橋藍さんですが、バレーを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

その理由は、

2歳上のお兄さんの影響で小学校2年生からバレーボールを始めた

高橋藍さんは小学二年生の時にお兄さんの練習試合を観戦しに行きます。

お兄さんの所属チームはメンバー人数がギリギリだったようで、その日休みのメンバーがいて人数が足りなくなってしまったのです。

そこでその場にいた高橋藍さんは、「お前、試合に出てみろ。」と監督に声をかけられました。

急な誘いでしたが、実際にバレーをやってみると楽しく、そしてご両親から勧められたこともありバレーボールをはじめました。

兄弟の試合観戦で観客としていたのに、急に選手として出場というピンチヒッターとしてのデビューはかなり驚きですが楽しめたという高橋藍さんの度胸もすごいなと感心してしまいますよね。

くま

偶然が重なって今があると思うと奇跡のようだね。

高橋藍はいつから日本代表に?

小学二年生からバレーを始めた高橋藍さんですが、その後もバレー選手として活躍します。

そして2019年の高校3年生の時にはチームのキャプテンを務め、春高出場を果たします。

同時にこの時、高橋藍さんも最優秀賞を受賞しています。

そして、

高校で最優秀賞と獲得した後の2020年2月、日本代表登録メンバーに選出

この時に高橋藍さんは18歳でしたので、アンダーカテゴリーを飛び越えての選出ということで大いに期待されている選手ということが分かりますね。

【アンダーカテゴリとは?】
競技の年齢別カテゴリーの一つであり18歳以下年代

日本代表に選出となった2020年はちょうどコロナ禍でしたので、出場予定だった東京オリンピックも1年延期となってしまいました。

くま

出たい気持ちも強かっただろうし、悔しい思いをしただろうね

高橋藍の学歴&経歴

画像引用:Instagram

ではここで、高橋藍さんの経歴と学歴を合わせてまとめてみましたのでご覧ください。

【2008年4月/6歳】
小学校入学

【2009年/8歳】
小学校2年生の時、兄の影響でバレーを始める

【2014年3月/12歳】
小学校卒業

【2017年3月/15歳】
京都京都市蜂ヶ岡中学校卒業

【2020年2月/18歳】
2020年度の日本代表登録メンバーに選出

【2020年3月/18歳】
東山高校卒業

【2020年4月/18歳】
日本体育大学入学

【2021年/19歳】
2020年東京オリンピックに出場
バレーボール日本代表国際親善試合-東京チャレンジ2021の2日目の試合で19得点の活躍
ネーションズリーグ2021はほぼスタメン出場
5月29日のオランダとの第2戦で26得点を決めてベストスコアラー
また、アジア選手権に出場して準優勝

【2021年/19歳】
イタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァに2021~2022シーズン終了までの期限付きで入団
2022~2023シーズンもパドヴァとの契約を更新

【2023年6月/21歳】
イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァとの契約を発表

小学二年生の時にお兄さんの試合を見に行ったことがきっかけとなりバレーボールを始めた高橋藍さん。

ご両親の勧めもあったとのことなので、ご両親もバレーボール好きかと思いきや、実は父親は野球が好きなんです。

というの高橋藍さんの藍(らん)という名前は、野球好きであるお父さんが”ホームラン”の”ラン”を取って名づけました。

父親は野球好きなだけあり、小さい頃はよく親子でキャッチボールをしていました。

このことからもわかるように、ご両親は高橋藍さんに野球をやってほしいという思いもあったかもしれません。

しかし、小学二年生の時にバレーを楽しむ高橋藍さんの思いを尊重して後押ししているので、とても本人の思いを尊重してくれる素敵なご両親と分かりますよね。

また、大活躍を見せる高橋藍さんを見たらもう応援するしかないですよね。

ではここからは中学時代~大学時代までの高橋藍さんの学生時代をまとめてみましたのでご覧ください。

こあら

ホームランから名前を付けるとは、お父さんの野球好きが分かるエピソードだね。

2017年/15歳
出身中学は京都市蜂ヶ岡中学校

高橋藍さんの出身中学校は、地元である京都市内の

公立校の蜂ヶ岡中学校

蜂ヶ岡中学校は、男子バレーボール部強豪校として有名で全国大会の常連でもあります。

高橋藍さんの出身小学校は不明ですが、もしかしたらバレーボールの実力を伸ばすためにこの中学校を選んで越境入学している可能性も考えられます。

幼い頃から高橋藍さんは背が高かったのかと思いきや、実は中学時代までは身長が高くはありませんでした。

ですので、この時代にはリベロも経験しています。

【リベロとは?】

”リベロ”はスポーツ用語で、守備専門の選手のことを指す
センタープレーヤーが後衛に行ったときに交代することが多い

中学時代は3年間連続で日本中学校選手権に出場されています。

【日本中学校選手権とは?】

全国中学校体育大会の一つで、通称「全中陸上」
毎年8月下旬に行われ、中体連の陸上競技の全国大会

うま

1年から日本中学校選手権に出るなんて、すごいね。

また、中学2年生の時には優勝もしています。

この時は高橋高橋藍さんはリベロとしての出場だったので、同じチームでアタッカーとして活躍していたお兄さんからは”とにかく拾うんだ”と言われていました。

こうしてバレーボール選手としての道を歩み始めた高橋藍さんですが、中学時代にはバレーボールを辞めるか悩んだ日々もあったと言います。

しかし、その悩みを両親に相談して話し合った際、もう一度バレーボールを続けてみようという思いになりました。

この中学校時代を振り返った際に高橋藍さんは、

バレーをもう辞めようか悩んでいたときに、自分の気持ちを受け止めてくれ、そして背中を押してくれたのも両親です。

もし違う選択肢をしていたら春高優勝もなかったと思います。

あの時、バレーボールを選択したから今の自分に繋がっています。

こういったエピソードからも高橋藍さんと両親には、とても強い絆があると分かりますね。

中学校と言えば思春期真っ只中ですし、両親とあまり口を利かない子も多いと思いますがこうして悩みを打ち明けるというのは、関係性が良好な証拠ですよね。

くま

悩んだ時に手を差し伸べてくれるご両親との関係は素敵だね。

2020年/18歳
出身高校は東山高校

高橋藍さんの出身高校は、

私立の東山高校

高橋藍さんの通った東山高校は1868年に開校された仏教系の私立高校で男子校です。

この高校ではスポーツがとても盛んで力を入れています。

硬式野球部・バレーボール部・バスケットボール部など、かなり強豪校として有名でもあります。

また東山高校は3つのコースを設けているのですが、高橋藍さんはスポーツ推薦コースであるトップアスリートコースを選択しています。(※高橋藍さんが入学当時、お兄さんは2学年上に在籍中でした。)

もちろん、部活はバレーボールを選択しています。

入学してから1~2年生の時は、バレーボールのライバル校である洛南高校に敗れてしまい春高バレーの全国大会には出場できませんでした。

しかし、高校2年生ではインターハイの全国大会出場を決めベスト4という好成績を残しました。

そして高校3年生の時にはキャプテンとなりチームを引っ張ってまとめていました。

その年の2020年春高バレーでは初優勝を飾っています。

いぬ

自身がキャプテンで、優勝するっていうのは格別な思いがあるよね。

高橋藍さんは石川祐希選手を尊敬していて、高校時代に一緒に練習ができたことが自分の自信にもなったと話されています。

石川祐希(いしかわゆうき)は、愛知県岡崎市出身の日本男子バレーボール選手
現在はパワーバレー・ミラノに所属

当時の高橋藍さんは、

いつか、石川祐希さんを超えられるような選手となり、日本代表としてプレーしてみたいです。

石川さんが大学で取り組んだ練習を、高校で取り組めたというのは自分の自信でもあり強みです。

高橋藍さんにとって石川祐希選手の存在はかなり大きかったようで、アスリートとしての意識の高さや食事面もしっかり管理しているところも尊敬しています。

石川祐希選手は憧れであったので、いつかは越えたいという目標も持っていたんですね。

バレーボールを辞めようかと悩んだ中学時代とは違い、高校ではバレーボールを楽しめるようになっていました。

それまでは、バレーボールよりも友達と遊んだりしたい気持ちが強かったのですが、高校では好成績を残せるようになって手ごたえも感じていたので楽しいという気持ちにもつながりました。

くま

遊びたい時に部活ばかりだとそういった気持ちにもなるもんね。

バレーボールを楽しめたという高校時代ですが、試合前には緊張から前日の食事があまりとることができないなどのこともあった高橋藍さんは、それだけ周りからの期待やプレッシャーが高かったとうかがえますね。

こちらが高校時代の高橋藍さんです。

高橋藍さんのルックスを聞きつけて他校にファンもいそうですよね。

この頃には、すでにもうイケメンの風貌が出来上がっていますし、選手としてもコート内で目立つ存在でした。

在学中の大学は日本体育大学

高橋藍さんは東山高校を卒業後すると、

私立大学の日本体育大学に進学

一流スポーツ選手としてのエリートコースといってもいいコースですよね。

この頃には、高橋藍さんは世界を視野に入れていてバレーボールの知識・技術・体力をしっかりと自分のものにしようと日本体育大学を選択します。

ちなみに、日本体育大学にはバレーボールのスポーツ推薦で入学しています。

高橋藍さんが大学入学した2020年は世界的にも日本でも、コロナ禍の真っ只中で入学式が8か月後にずれ込んでいます。

そして高橋さんは日本体育大学に在籍中の2021年に日本代表に選出され、1年遅れで開催された2020年東京オリンピックにも出場されています。

高橋さんは目標の一つとして、オリンピック出場して今まで支えてくれた家族に恩返ししようと考えていたとのことなので、その目標の一つが達成できたことになりますね。

まとめ

画像引用:Instagram

ここまで高橋藍さんについて色々とまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

簡単にまとめると、

・母親がハーフなので、高橋藍さんはクォーター
・兄の試合を見に行ったことがきっかけでバレーボールを小学二年生で始める
・2020年2月に日本代表登録メンバーに選出
・出身中学校は蜂ヶ岡中学校、出身高校は東山高校、大学は日本体育大学
・家族構成は父親、母親、兄、本人、妹の5人家族で、家族仲も良好

となります。

高橋藍さんはまだまだ若く、これからの活躍が更に期待できる選手です。

こうして一流の選手として活躍するまでには家族の支えが大きかったととても感じました。

これからも家族のため、そしてご自身のためにも頑張ってほしいと思います。

目次