宮浦健人(バレー)の母親も元バレー選手で父親は?両親と兄など家族構成!学歴と経歴とWikiプロフ!

ポーランドのスタル・ニサで活躍していたバレーボールの宮浦健人選手がフランスのパリ・バレーへ移籍した事で話題になっています!

さて宮浦健人選手は今までどの様な学生生活を辿り、どの様な経緯で現在に至ったのでしょうか?

家族構成やバレーボールを始めたきっかけ等も気になりますね。

そこでこの記事では…

宮浦健人のWikiプロフィール
●宮浦健人の学歴は?
●宮浦健人の経歴
●宮浦健人の家族について

これ等についてまとめていきます!

目次

宮浦健人の家族構成

宮浦健人さんの家族構成は両親と兄の4人家族です。

引用:JSPO Plus

宮浦健人の家族構成
●父
●母
●兄
●本人

宮浦健人の母親は元バレーボール選手?

宮浦健人さんの母親は、ママさんバレーで活躍していた方です。

宮浦健人の母親
●名前:不明
●生年月日:不明
●身長:170cm以上
●元バレーボール選手

宮浦健人さんの母親は学生時代バレーボールをされていました。

名前も学校名も公開されていませんので、その成績等は不明ですが、結婚した後もママさんバレーで活躍されていました。

宮浦健人の父親はどんな人?

宮浦健人さんの父親は、高校時代バレーボール部に所属していました。

宮浦健人の父親
●名前:不明
●生年月日:不明
●身長:185cm
●元バレーボール選手

宮浦健人さんの父親は宮浦健人さんと同じく鎮西高等学校のご出身です。

鎮西高等学校のバレーボール部は、インターハイや春の高校バレーボール大会でも優勝常連校の強豪チームですので、バレーボール部に所属していた父親様も、当時活躍されていたのではないでしょうか。

宮浦健人の兄弟は兄が一人

宮浦健人さんの兄は、幼少期バレーボールをしていました。

宮浦健人兄
●名前:不明
●生年月日:不明
●身長:180cm
●職業:会社員

宮浦健人さんのお兄様は小学生の頃からバレーボールを始めていましたが、選手としてはあまり背が高い方ではなく、バレーボール選手としての道を諦め、一般企業に就職いたしました。

男子バレーボール選手の平均身長は188cmと言われていますので、選手として活躍するには難しいと判断されたのでしょう。

宮浦健人のWikiプロフィール

引用:スポルティーバ

宮浦健人のWikiプロフィール
●名前:宮浦 健人(みやうら けんと)
●生年月日:1999年2月22日(2024年1月現在 24歳)
●出身地:熊本県荒尾市
●身長:190cm
●指高:247cm
●最高到達点:347cm
●利き手:左
●ポジション:OP(オポジット)

バレーを始めたきっかけ

宮浦健人さんがバレーボールを始めたのは8歳の時でした。

そのきっかけは、宮浦家全員がバレーボールをやっていた為、自然と宮浦健人さんも始める事になりました。

その後は何となく楽しかったといった曖昧な理由から、バレーボールを続ける事にしました。

いぬ

何となくで、ここまでの選手になるとは凄い努力ですね。

当時は「風船アタック」と家族から揶揄されるほど、バレーボールは上手ではなく、後からチームに所属した後輩が、ユニフォームを与えてもらっても、宮浦健人さんは与えてもらえなかった様なので、本当に上手ではなかったのでしょう。

小学4年生の頃からは試合に出場していますが、前衛を任される事はなくスパイクを打つ事もありませんでした。

当時の監督にも「お前はエースではない」と言われており、次第にバレーボールよりもサッカーに興味を持ち出した為、サッカーチームにも所属していました。

宮浦健人の学歴

宮浦健人さんの最終学歴は、大学卒業です。

引用:Twitter

宮浦健人の学歴
●2011年3月 荒尾市立八幡小学校
●2014年3月 私立鎮西中学校卒業
●2017年3月 私立鎮西高等学校卒業
●2021年4月 早稲田大学スポーツ科学部卒業

小学生の時には、バレーボールよりもサッカーに興味を示し、バレーボールへの道には進まないのかと思われていました。

しかし小学6年生の時、父親の恩師である鎮西高校の畑野久雄監督から

「鎮西高校付属中学校にバレー部を作るから来ないか?」と誘われ、

見学に行った際、宮浦健人さんは選手達のレベルの高さに感激し、鎮西中学校に行く事を決意しました。

宮浦健人の中学校時代

宮浦健人の出身中学校は、私立鎮西中学校(ちんぜい)です。

私立 鎮西中学校
●所在地:熊本県熊本市中央区九品寺3丁目1ー1
偏差値:45

小学6年生の時に中高一貫である私立鎮西中学校に誘われ、進学しました。

中学生になってからの宮浦健人さんは、みるみる内に身長が伸び、入学時155㎝だった身長が卒業時には185㎝にまで及びました。

中学時代は成長痛による膝の痛みが辛かったと当時の事を語っています。

くま

中学3年間で30cmも伸びたなんて凄い成長ですね。
成長痛も相当痛かったことでしょう…

せっかく入部したバレーボール部ですが、2人だけの部活だった為、試合に出場する事は出来ませんでした。

出身高校は鎮西高等学校

宮浦健人の出身高校は、私立鎮西高等学校(ちんぜい)です。

引用:Number web

私立 鎮西高等学校
●所在地:熊本県熊本市中央区九品寺3丁目1ー1
偏差値:39~51(専攻により異なる)

高校1年生の時から試合にスタメン出場していましたが、関節突起間部の疲労骨折である腰椎分離症の為、休部する事になりました。

宮浦健人さんは左利きだった為、サウスポーのエースとして高校1年生の時から注目を集めており、バレーボールが楽しいと思えていましたが、腰椎分離症によりバレーボールが出来なくなり本当に辛かった事でしょう。

うま

せっかく1年生から活躍できる所だったのに…

高校2年生になってからは腰椎分離症の回復し、エースとして活躍する様になりましたが、期待をかけられていた為か、自身の技術に伸び悩み、辞めたいとさえ思っていた時期がありました。

思う様なプレーができずチームに迷惑をかける事も多くなっていましたが、それでも地道に練習を続け、春野高校バレーでは準優勝し、チームに大きく貢献しました。

高校3年生になると、バレーボール部の主将に抜擢されました。

しかし2016年4月14日の熊本地震により学校の体育館は損壊し、練習する場所がなくなってしまいました。

くま

熊本地震をニュースで見た時は
涙が止まりませんでした…

熊本地震が発生してから1ヶ月後、部員全員で集まり練習を始めました。

しかし学校の運動場に作った砂場のコートで練習したり、近県の学校の体育館を借りて練習する等、今まで通りの様に練習する事は、ままなりませんでした。

その為、高校生活最後の春の高校バレーでは2回戦敗退という残念な結果に終わりました。

出身大学は早稲田大学

早稲田大学スポーツ科学部に進学した宮浦健人さんは、バレーボール部に所属しました。

引用:4Years

私立 早稲田大学スポーツ科学部
●所在地:埼玉県所沢市堀之内135-1(所沢キャンパス)
偏差値:65

小学生の時からの知人で、高校の先輩でもある田中健翔選手が早稲田大学のバレーボール部に所属しており、田中選手から早稲田大学に誘われていました。

さらに松井泰二監督からも声を掛けてもらい、早稲田大学に進学する事に決めました。

さらに通っていた高校は偏差値が低かったので、早稲田というネームバリューいいなといった理由も挙げています。

うま

ネームバリューとは…
でも確かにそれ大事です♪

そうして早稲田大学に入学し、期待され大学1年生の時試合にはスタメン出場していました。

大学での練習は高校の時とは違い、上がってきたボールを全て打つだけではなく、駆け引きを伴った戦術を身に着ける等、今までに行った事のない戦術に、新鮮さを覚えていました。

そんな中、大学2年生の時にはアジアU23選手権の合宿で

もっと成長したい!

といった向上心がわき出て、共にプレーしてきた他の選手がシニアの代表に選出された事を受け、宮浦健人さんも

シニアで戦いたい!

といった思いが強くなったと当時の事を語っています。

しかし当時の監督から、自身の武器が足りないと指摘を受け、考えた結果強烈なアタックだけではなく、世界で通用する為にジャンプサーブを主体に練習する事に決めました。

更に体型にも気を遣い、トレーナーに指導してもらい、今まで疎かになっていたウエイトトレーニングを本気で始める様になりました。

大学4年生になった宮浦健人さんは、早稲田大学バレーボール部の主将に抜擢されました。

しかし新型コロナウイルス感染拡大によって、次々と大会が中止になる事態にみまわれました。

コロナ渦の時期は試合が出来なくなっていましたが、ウエイトトレーニングは欠かさずに行っており、トレーニングの甲斐あって、身体も次第に大きくなっていきました。

身体が大きくなるにつれて力もついていき、それまで全力で打っていたサーブも、力加減をコントロールしながら打つ様になりました。

全日本インカレも中止になるのでは?と不安になりつつも、トレーニングは欠かさず、結果全日本インカレが開催され、4連覇を果たしています。

宮浦健人の経歴

引用:Instagram

宮浦健人の経歴

【2017年/18歳】
アジアユース選手権(U-19)にキャプテンとして選出され、優勝

【2017年/18歳】
世界ユース選手権でキャプテンとして選出され、銅メダル

【2017年/18歳】
全日本インカレで早稲田大学4連覇

【2021年/21歳】
V1リーグのJTサンダーズ広島戦で交代出場しVリーグデビュー

【2021年/22歳】
ジェイテクトに入団

【2021年/22歳】
日本代表に選出

【2021年/22歳】
アジア選手権に選出され、チームは準優勝、自身はベストオポジットを受賞

【2022年/23歳】
日本代表としてネーションズリーグに出場

【2022年/23歳】
ポーランドリーグのスタル・ニサへ移籍

【2023年/24歳】
フランスのパリ・バレーに移籍

【2021年/22歳】
ジェイテクトに入団

引用:Number web

高校時代から1歳年下の西田有志選手とは同じ左利きのOP選手である為、共に切磋琢磨しており、大学卒業後は西田選手が所属するVリーグのジェイテクトに入団しました。

しかし西田選手はイタリアのジェイテクトに復帰が決まっていた為、西田選手の後を継ぐ形でレギュラー入りしました。

【2022年/23歳】
ポーランドリーグのスタル・ニサに移籍

引用:バレーボールマガジン

海外進出の際は西田選手の復帰がなければ、自分の海外移籍は先に延びていたかもしれないと語っていました。

宮浦健人さんと西田有志さんは、同じポジションなので、同じチームになればポジション争いになり、お互いの能力を発揮できないであろう事から、西田選手のジェイテクト復帰のタイミングで移籍を決めました。


【2023年/24歳】
フランスのパリ・バレーに移籍

6月16日、宮浦健人選手がフランスのパリ・バレーに入団する旨、発表がありました。

パリ・バレーには以前リベロの古賀太一郎選手や本間隆太選手も在籍していたチームで、チャンピオンズリーグで優勝経験のある、強豪チームです。

宮浦健人さんは昨年から、

来年も海外で活躍したい!

と豪語していましたので、ポーランドでの活躍により実現できて、本当に良かったです。

まとめ

●名前:宮浦 健人(みやうら けんと)
●生年月日:1999年2月22日(2024年1月現在24歳)
●身長:190cm
●指高:247cm
●利き手:左
●出身地:熊本県荒尾市
●学歴:私立鎮西高等学校卒業後、早稲田大学スポーツ科学部へ進学
●経歴:アジアユース優勝、世界優勝銅メダル、世界選手権準優勝、ネーションズリーグ出場、アジア選手権準優勝
●所属:ジェイテクト、スタル・ニサ、パリ・バレー
●家族:4人家族(父親・母親・兄)
●家族全員バレーボール経験者

今年フランスのパリ・バレーに移籍した宮浦健人さんについてまとめていましたが、いかがでしたでしょうか?

ご家族の詳細は公開されていませんが、全員バレーボール経験者ですので、幼少期は家族からのアドバイスをもらいながらも練習に励んでいた事でしょう。

昨年はポーランドで活躍し、今年はフランスで…と世界を股にかける素晴らしい選手です。

これからも宮浦健人選手を応援していきたいと思います。

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