ベニシアさんの経歴や学歴などWikiプロフ!イギリス貴族の娘では無く孫!生い立ちは?

ベニシアさんは伝統ある英国庭園の素晴らしさを伝えていき、ハーブ研究家として活躍されていました。

NHKのテレビ番組「猫のしっぽ カエルの手」で人気を集めており、周りの人に幸せを与える素晴らしい人格者として、多くのファンを魅了してきました。

しかし2023年6月21日誤嚥性肺炎の為、享年72歳でお亡くなりになりました。

そんなベニシアさんは、どの様な環境で育ち、どの様な経緯で日本に移り住む様になったのでしょう。

また、日本で暮らす様になってからの生活等も気になっている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか?

そこでこの記事では…

ベニシアさんのWikiプロフィール
●ベニシアさんの学歴
●ベニシアさんの経歴
●ベニシアさんはイギリスの貴族の孫
●ベニシアさんの生い立ち

等についてまとめていきます。

目次

ベニシアさんのWikiプロフィール

引用:Youtube

ベニシアさんWikiプロフィール
●名前:Venetia・Stanley・Smith(ベニシア・スタンリー・スミス)
●生年月日:1950年12月27日
●没年月日: 2023年6月21日(享年72歳)
●出身地:イギリスのロンドン
●職業:ハーブ研究科、英会話学校経営者

ベニシアさんは、シェークスピア劇の俳優を夢見ていた父親デレク・スタンリー・スミスさんと、第2代スカーズデール子爵の三女である母親のジュリアナ・カーゾンさんの間に産まれました。

しかし両親はベニシアさんが2歳の時に離婚し母親に引き取られましたが、母親は再婚を繰り返しており、国内外問わず何度も引っ越しをしていました。

6歳からは、イギリスとフランスの間に位置するはジャージー島に居住しました。

ベニシアさんの学歴

ベニシアさんは大学へ進学せずフィニッシングスクールへ進学しましたので、最終学歴は高卒です。

ベニシアさんの学歴
●1956年 ジャージー島、セント・ヘリアの小学校へ入学
●1960年 ヒースフィールドの寄宿舎制の女子校へ入学
●1967年 ヒースフィールドの寄宿舎制の女子校を卒業
●1967年 ロンドンの女子高へ進学
●1970年 ロンドンの女子高を卒業
※1970年 フィニッシングスクールへ進学

家庭の事情によりジャージー島へ移り住んでいた6歳のベニシアさんはセント・ヘリアの小学校へ通う様になりました。

引用:expedia

セント・ヘリアはチャンネル諸島最大の教区であり、ジャージー島の約34.2%の人がセント・ヘリアに居住しています。

こちらのお写真はエリザベス城と名付けられ、セント・ヘリアの観光名所として知られています。

ここセント・ヘリアの小学校へ4年間通い、ヒースフィールド女子高で中学、高校時代を過ごしました。

出身高校

引用:ASK英国留学センター

当時イギリスの貴族が多く通う女子学園ヒースフィールドの高校へ通っていました。

ヒースフィールドはロイヤルファミリーが住んでいる場所のすぐ近くにある、伝統的な女子校です。

ヒースフィールドの女子高出身者には、ロイヤルファミリーや貴族の娘、上流階級の娘等がおり、女子教育に力をいれてきた由緒正しい女子高です。

現在はサマースクールを開催しており、サマースクールでは英語コース、イギリス文化、イギリスの歴史、イギリス文学、デザイン、女性らしさやマンーを学ぶイングリッシュウイズスタイルコースがあります。

ヒースフィールドは現在サマースクールを開催
●女子に限る
●8歳~17歳(イングリッシュウイズスタイルコースは14歳~17歳)
●寮は1~8人部屋
●年齢や語学力によりクラス分け

アクティビテが主体のサマーキャンプも行われ、英語が達者であればイギリス居住者のみならず、外国人も参加可能です。

コースにより異なりますが、期間はおおよそ7月半ば~8月半ばとなっております。

出身大学

大学へは進学しておらず、フィニッシングスクール(花嫁学校)を経てインドへ渡りました。

戦後の日本にあった花嫁学校(茶道・華道を習う学校)とは少し違い、ヨーロッパの貴族や良家の子供が社交界でデビューする為に準備する学校で、上流階級の人が通うスクールです。

主に文学芸術といった教養や、社交術美容料理、といった女性らしさのマナーを中心に学びます。

近年ではイギリス式のフィニッシングスクールが日本でも取り入れられる様になり、東京、福岡、岡山等に教室がありますね。

私の知っているフィニッシングスクールでは、女性らしいマナーを中心とした教室で、立ち振る舞いや話し方等を習います。

うさぎ

素敵な女性である為に、私も通いたいな…

自分磨きをしたい女性に年齢は関係なく、生徒は20歳代~50歳代と幅広くいらっしゃる様ですね。

ベニシアさんの経歴

ベニシアさんの経歴
●1970年(19歳) バックパッカーとしてインドへ渡る
●1971年(21歳) 日本へ渡り、鹿児島へと移住居住
●1974年(23~24歳) 日本人の一般男性と結婚
●1978年(27~28歳) 3人の子供を授かりましたが、離婚
●1978年(27~28歳) 京都の長岡で英会話スクール「ベニシアインターナショナル」を設立
●1992年(41~42歳) 山岳カメラマンでインド料理店経営の梶山正と再婚
●1996年(45~46歳) 京都の大原で古民家に移住しガーデニング開始
●2002年(51~52歳) ハーブの専門家として活動開始
●2002年(51~52歳) 私のアイデアガーデニングコンテストのガーデニング部門で1位を受賞
●2007年(56~57歳) 著書「ベニシアのハーブ便り」を出版
●2009年(58歳) NHKテレビ番組「猫のしっぽ カエルの手」が放送開始

それでは詳細をみていきます。

単身インドへ渡印

ベニシアさんは19歳の時に貴族社会に疑問を持ち、イギリスを離れてインドへバックパッカーとして旅立ちました。

引用:NHKニュース

うま

知らない土地に一人でバックパッカーとして渡るなんて、
凄い行動力ですね。

ベニシアさんがインドへ渡った理由はいくつかあり、

●貴族であるが故、遊んで暮らす人生は嫌だった
●母親は公爵との結婚を勧めていたが、気が乗らず逃げたかった
●12歳の時に出会ったインドの若い啓蒙教師に心酔していた

この様な事が理由に挙げられます。

日本へ来日

インドで旅をした後は1971年に香港から船で九州に渡り、鹿児島に辿り着きました。

引用:鹿児島県公式

しかしお金がなかったベニシアさんは、鹿児島からヒッチハイクで大阪へ移動し、そこから東京へ行こうと思い警察に相談した所、トラック運転手にお願いしてくださり、新宿まで連れて行ってもらいました。

初めは不安しだったベニシアさんですが、トラック運転手が親子丼をごちそうしてくださり、社内で眠っている間に新宿まで辿り着いたと当時の事を話していました。

いぬ

優しい運転手さんで本当によかったですね。

東京ではすぐに現金収入が得られる様、日当制で歌手や踊りの仕事を始めました。

一度目の結婚、離婚

ベニシアさんは1974年に日本人の男性と結婚し、3人の子供に恵まれました。

最初の結婚で授かった子供
●長女:サチア
●次女:ジュリー
●長男:主慈

元夫の詳細は明かされていませんが、結婚してからおおよそ4年で離婚しました。

3人の子供を引き取ったベニシアさんは、シングルマザーとなり子育てに追われる日々を過ごします。

登山家の梶山正と再婚

1992年ベニシアさんは9歳年下である登山家の梶山正さんと再婚しました。

引用:https://www.gungendo.co.jp/article/details/002097.phpa

梶山正さんは、京都でインド家庭料理店を経営しており、ベニシアさんはお店の常連客でした。

知り合った当初、梶山正さんは既婚者で、奥様はベニシアさんの友人でもありましたが、インドに旅立った奥様が帰って来なくなり、相談相手だったベニシアさんと自然に仲が深まっていきました。

そして登山家らしく、ミナミアルプスの山頂で結婚式を挙げ、夫婦となりました。

梶山正さんとの間には、男児を1人授かっています。

引用:https://ameblo.jp/soft22soft22/entry-12731792722.html

ベニシアと梶山正の子供
●名前:梶山 悠仁
●生年月日:1993年(2024年1月時点で30歳前後)
●勤務先:株式会社ドリームホーム

ご子息の悠仁さんは、現在不動産業である株式会社ドリームホームに勤務しています。

ハーブの専門家として活動

ベニシアさんはハーブ、ガーデニング、ライフスタイルに関する執筆を行い、講演活動も行っていました。

引用:結婚スタイルマガジン

イギリスはガーデニング大国です。

その伝統的なイギリス庭園の文化を日本にも伝えていき、現在日本でも多くイギリス庭園を取り入れているご自宅やカフェをよく見かけますね。

ある園芸協会は、イギリスでは何かしらのガーデニングをしている人が人口の50%以上だといった統計を出しており、イギリスの趣味ランキングでガーデニングは常に上位に君臨しています。

そんなガーデニングが大好きなイギリス出身のベニシアさんは、日本にもこの素晴らしいイギリス文化を広めようと思われたのでしょう…

ベニシアさんはイギリス貴族の孫で生い立ちは?

ベニシアさんの曽祖父の兄はイギリスの外相でインド総督だったジョージ・カーゾン侯爵で、祖父リチャード・ナサニエル・カーゾンは第2代スカーズデール子爵でした。

引用:Google

いぬ

イギリス貴族の御孫子だったんですね。

母親は第2代スカーズデール子爵の三女であるジュリアナ・カーゾンさんで、母親の実家は貴族の館としても知られるケドルストンホールと呼ばれるお屋敷でした。

幼少期は両親の離婚と母親の度重なる再婚により、幾度となく引っ越しを余儀なくされていましたが、イギリスの貴族社会に疑問が膨らみ、19歳の時に祖国を離れてインドへ渡りました。

まとめ

名前:Venetia・Stanley・Smith(ベニシア・スタンリー・スミス)
●生年月日:1950年12月27日 イギリスの貴族の家系に生まれる
●出身地:イギリスのロンドン
●職業:ハーブ研究科、英会話学校経営者
●幼少期:2歳で両親が離婚、母親が再婚を繰り返し、点々と移住
●19歳の時、貴族社会に疑問を持ち、単身インドへ渡り、その後は来日
●23~24歳の時、日本人と結婚し3人の子供(サチア・ジュリー・主慈)を授かる
●27~28歳の時、離婚しシングルマザーとなる
●京都に移住し、英会話スクールを開き、梶山正と結婚して息子(悠仁)を授かる
●京都でガーデニングを始め、ハーブ研究家として確立
●2023年6月21日 享年72歳で永眠

英国庭園の素晴らしさを日本に伝え、ハーブ研究家として活躍してこられたベニシアさんについてまとめていきましたが、どの様な方だったのかおわかりいただけましたでしょうか。

優しい人柄や、愛に満ちた考え方に共感する人も多く、ファンを魅了してきたベニシアさんは、惜しまれつつ72歳で永眠いたしましたが、きっと人々の心に生き続ける事でしょう。

悲しみに暮れるご家族のお心をお察しすると共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。

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