佐々木麟太郎の父親は花巻東の監督で大谷翔平の育ての親!母親と兄弟は妹が一人!家族構成まとめ!

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花巻東高校の3番打者である佐々木麟太郎選手は、「怪物スラッガー」と呼ばれるほどの強打者で、高校通算140本のホームランを放っており、歴代最多記録を残している今一番の注目選手です。

花巻東高校では1年生の時からレギュラーとして活躍しており、ドラフトから最も注目を浴びている選手です。

今話題の佐々木麟太郎選手のことはもちろん目が離せませんが、

大谷翔平選手や菊池雄星選手を卒業生に持つ花巻東高校野球部の監督は、佐々木麟太郎選手の父親が務めていらっしゃいます。

そこでこの記事では…

●佐々木麟太郎の家族構成
●佐々木麟太郎の父親は大谷翔平の育ての親?

●大谷翔平の父親は佐々木麟太郎の育ての親?
●佐々木麟太郎の妹も野球部?

これ等についてまとめていきます。

目次

佐々木麟太郎の家族構成

佐々木麟太郎選手は両親と妹の4人家族です。

家族構成
●父親:佐々木 洋(ささき ひろし)
●母親:佐々木 玲香(ささき れいか)
●本人:佐々木 麟太郎(ささき りんたろう)
●妹:佐々木 秋羽(ささき しゅう)

父親の佐々木洋さんは佐々木麟太郎さんが通う花巻東高校の野球部監督を長年務めていらっしゃいます。

花巻東高校は菊池雄星選手や大谷翔平選手等を輩出している甲子園常連校です。

そんな強豪校の監督を務めていらっしゃるお父様の元で、トレーニングに励んでいる佐々木麟太郎さんには妹がいらっしゃり、妹の佐々木秋羽さんは兄と同じく花巻東高校に通い、硬式女子野球部に所属しています。

うま

野球一家ですね。

それでは早速!野球一家のご家族について詳細をみていきます♪

佐々木麟太郎のプロフィール

引用:Yahoo!ニュース

佐々木麟太郎プロフィール
●名前:佐々木 麟太郎(ささき りんたろう)
●生年月日:2005年4月18日(2023年8月現在 18歳)
●身長:184cm
●体重:117kg
●出身地:岩手県北上市
●学歴:北上立江釣子中学校→花巻東高等学校(現在高校3年生)
●記録:通算HR数140本

佐々木麟太郎さんの高校通算ホームラン数は140本です。

111本の記録を持つ清宮幸太郎選手(日本ハムファイターズ)を超える、歴代でも断トツのトップです。

2023年夏の甲子園で「大砲ビッグ3」の1人と言われており、その中でも唯一ベスト8に進出したのが佐々木麟太郎選手がプレーする花巻東高校です。

大砲ビッグ3
・佐々木麟太郎(花巻東高校)※高校通算ホームラン140本
・真鍋慧(広陵高校)※高校通算ホームラン62本
・佐倉俠史朗(九州国際大学付属高校)※高校通算ホームラン31本

菊池雄星選手・大谷翔平選手・佐々木朗希選手も岩手県出身で、またも凄い選手が岩手県から出てきました。

いぬ

岩手県凄い。
わんこそば食べて岩手県の力をいただきたいな。

スカウト陣や関係者からは、空振りしたとしても、常にフルスイングできる所が魅力。現在も凄いけど、まだまだ伸び代があると称賛されています。

どこの球団が佐々木麟太郎選手を獲得するのか?ドラフト会議が楽しみですね♪

うま

高校2年生の時からドラフト1位が確実視されてたんだって。

現役時代に三冠王を三度獲得している落合博満さんは佐々木麟太郎選手の事を

手が前に出ている分、苦労しないと思う
大物になる素質がある!

と以前番組内で称賛していました。

そんな強打者の佐々木麟太郎選手が4番ではなく何故3番打者なのか?と世間では噂になっていますが、

長打も打てる4番・5番の選手が控えている事によって、仮にアウトになっても後に2人長打者が居る!という安心感が持てる。

相手チームから佐々木麟太郎選手が警戒されている為、一・二塁のチャンスで、4番と5番がランナーをかえす

という考えの元、佐々木麟太郎選手をあえて3番打者に据えた戦略です。

佐々木麟太郎選手は日本のプロ野球球団のみならずアメリカでも注目されており、アメリカのFOXスポーツでは「大谷翔平選手と同じ花巻東高校で旋風を巻き起こしている!」と佐々木麟太郎選手の事を紹介しています。

うま

プロ顔負けの凄いスイングスピードで、
とても高校生とは思えない強打ですものね。

日本のみならずアメリカからも注目を受けている佐々木麟太郎選手ですが、三塁手や捕手として練習を重ねているものの現在守れるのは一塁のみです。

守備力が弱い佐々木麟太郎選手にとって、プロ入りしてからレギュラーを獲得するには、今以上の打撃が必要なのではないか?と不安の声もあります。

また野球選手にしてはチョット太っている?と思われる方もいらっしゃるかと思うほどの体格です。

左足の疲労骨折や胸郭出口症候群(肩や腕にしびれや痛み)に悩まされ、両肩の手術もしています。

体型により身体に負荷がかかり、今後もケガによる故障が続くのではないか?と不安視されています。

清宮幸太郎選手と比較される事が多いですが、確かに清宮選手も体重せいか?プロ入りしてからケガによる故障に悩まされていました。

清宮選手は減量を気に徐々に活躍の場が増えていきましたので、減量するという方法をとる事も長く野球をプレーしていく上では必要なのかもしれませんね。

大谷翔平の父親が育ての親?

中学時代に所属していた金ケ崎リトルシニアは大谷翔平選手のお父様である大谷徹さんが2014年に作った硬式野球チームです。

引用:毎日新聞

佐々木麟太郎選手は小学1年生の頃から野球を真剣に始めており、その幼少期時代位は地元の江釣子(えつりこ)ジュニアスポーツ少年団でプレーしていました。

この頃から

菊池雄星選手や大谷翔平選手の様に花巻東高校でプレーしたい

と花巻東高校への進学を目標に掲げており、その夢を今実現しています。

佐々木麟太郎選手は中学時代、中学の野球部ではなく 硬式野球チームである『金ケ崎リトルシニア』に所属していました。

佐々木麟太郎選手は金ケ崎リトルシニアで投手・三塁手として活躍されており、当時キャプテンも務めていました。

当時の事を「すばらしいリーダーシップ力を発揮していたキャプテンだった」と大谷徹さんは語っています。

くま

大谷翔平さんの父親に指導を受けていたなんて、
素敵だなぁ♪

佐々木麟太郎選手率いる花巻東高校が甲子園出場を決めた試合には、大谷翔平さんの父である大谷徹さんも応援に駆けつけており、

自分の成績よりもチームの為にどう働くかを常に考えている姿勢は、中学時代から変わらない

と佐々木麟太郎選手を称賛していました。

現在甲子園で激闘中の花巻東高校と佐々木麟太郎選手を、大谷徹さんは我が子の様に祈る思いで応援されている事でしょう。

父親は花巻東の監督

お父様の佐々木洋さんは、花巻東高校野球部の名監督です。

引用:NumberWeb

佐々木麟太郎の父親 プロフィール
●名前:佐々木 洋(ささき ひろし)
●生年月日:1975年7月27日(2023年8月現在 48歳)
●職業:教員(花巻東高等学校)であり野球部監督
●現役時代:捕手
●出身地:岩手県北上市

佐々木洋監督は花巻東高校を甲子園に通算11回も導いていらっしゃいます。

花巻東高校は菊池雄星選手や大谷翔平選手を輩出した事でも有名ですね。

農家の次男として生まれた佐々木洋さんは、幼少期にプロ野球選手を目指し野球に打ち込んでいました。

しかし中学生の時にはグレていたという過去があります。

いぬ

まさかそんな時代があったとは…

ヤンキー達の番長だった佐々木洋さんですが、「ヤンキーの番長ではリーダーシップの使い方を間違っている!」「番長を辞めて生徒会長になれ!」と真摯に向き合ってくれた為か、ボンタン・短ランを脱ぐ事になりました。

この時の恩師が自分を変えてくれたと感謝の気持ちを述べています。

そして佐々木洋さんは別の形でリーダーシップを発揮する事になり、更生した地元の県立黒沢尻北高校に進学しました。

しかし高校時代に甲子園等の全国大会へ出場経験はなく、この頃にはプロ野球選手になる夢はもう諦めていたのでしょう。

高校卒業後は国士舘大学に進学し、大学時代は28歳で指導者として甲子園に行く!と心に決めた佐々木洋さんは、大学卒業後に教育実習でお世話になった横浜隼人高校で教師となり、野球部のコーチを務めました。

その後、花巻東高校の社会科教師に就任した佐々木洋さんは、バドミントン部・女子ソフトボール部の顧問を経て野球部の監督に就任しました。

佐々木洋さんが監督に就任した当初の部員数は30名弱で、夏の大会では1回戦で敗退する様な弱小チームでしたが、就任3年後の2005年に夏の甲子園へ出場を果たし、2009年には菊池雄星選手を率いて春に準優勝いたしました。

くま

弱小チームをそこまでのチームに育てたなんて、
凄い手腕ですね。


野球の本を読んだり打撃の勉強会に行く等した上、指導者の先輩に相談したところ経営学を学ぶ事の重要性を教授してもらい、経営学を学んだ事で、自身の置かれている立場やチームの現状を客観的に把握できる様になりました。

そこで改善を始めたのは、まず生徒を入れる事。

しかしプロ入りや大学進学の実績がなかった花巻東高校には未来を見据えられる要素に乏しく、生徒がなかなか集まりませんでした。

そこで着手したのが野球部から有名大学へ進学させる道を学校側に提案しました。

野球部を強くする為にはまず学校を変えるといった考え方になったのは、経営学を学んだからこその発想でしょう。

そうして高校卒業後の未来を描ける様な学校づくりを始め、生徒の獲得を増やしていき、その事で必然的に野球部に集まってくる生徒も増え、野球部を強くさせる事ができました。

甲子園に出場した2005年当時、佐々木洋監督は30歳。目標だった28歳は過ぎてしまいましたが、生徒達の活躍を目の前で見る事ができ、本当に嬉しかったと思います。

その後は大谷翔平選手をプロへと導き、監督に就任してから10年の間にとんでもない偉業を成し遂げています。

引用:スポニチ

そして2021年に菊池雄星選手・大谷翔平選手と共に日本スポーツ学会大賞を受賞しました。

日本スポーツ学会とは?
発足は1996年、早稲田大学公認の学術団体であり、会員は競技団体・スポーツ研究者・競技団体関係者のみならず、大学の教員や官公庁の関係者、マスコミ関係者等を中心に約150名ほどいらっしゃいます。

スポーツ学会大賞は、上記のメンバーで構成された会員から推薦の上、理事の投票により受賞者を選考しており、授賞式や記念講演会を行っています。

息子が花巻東高校への進学を望んでいる事に反して、父親である佐々木洋監督は、他校の全寮制の高校に進学してほしいと願っていました。

そこには、他の選手と公平に指導できるのか?といった父親として監督としての両方の想いが交錯していたのでしょう。

大谷翔平の育ての親!

メジャーリーグで大活躍中の大谷翔平選手は花巻東高校野球部出身で、3年間佐々木洋監督の元で高校球児として励んでこられました。

引用:ForbesJapan

佐々木麟太郎選手は、大谷翔平選手の父親にリトルリーグ時代指導してもらっていましたが、大谷翔平選手を育てたのは佐々木洋監督といっても過言ではないですね。

いぬ

これは家族ぐるみのお付き合いと言えるでしょう。

大谷翔平選手は、自身がいい意味で変われたのは高校時代によく怒られたからだと話しています。

先入観を捨てる事こそが不可能を可能にする

と当時大谷翔平選手に教授したのが佐々木洋監督でした。

大谷翔平選手がメジャー入りしてからも交流があり、

打撃の話ばかりするから、
僕が投手だという事を忘れてるんじゃないかな?

等と大谷選手は冗談も交えて話していましたし、とても親しい関係性である事がうかがえますね♪

また佐々木洋監督の事を、

一人の人間としてとても尊敬している

と大谷選手は以前インタビューで答えていました。

くま

世界で活躍する大谷翔平さんから尊敬される監督…
そんな指導者の元で戦っている選手たちは幸せですね♪

現在佐々木洋監督の息子である佐々木麟太郎さんは甲子園で活躍中ですが、遠くアメリカで活躍中の大谷選手の事もきっと気にかけていらっしゃる事でしょう。

佐々木選手のお父様も大谷選手のお父様も、野球の事だけでなく人間性についてもしっかりと教授される方ですので、その2人に育てられた佐々木選手は、大谷選手に負けず劣らず素晴らしい人格者であると予測できますね。

佐々木洋監督の名言

先入観を捨てる事こそが不可能を可能にする
・誰もがやっていない事に挑戦する
・非常識な発想を持つ

オレは翔平を特別扱いする
・野球を上達したければ、上手な選手の傍に行けばいい

先入観を捨て、不可能を可能にするといった事や、誰もやっていない事に挑戦する等は、大谷選手が大谷選手は高校時代、ケガによる故障が多かった事はご存じでしょうか?

佐々木洋監督は大谷翔平選手の骨の成長がまだ止まっていない事に気付き、他の選手達の前で「ケガを治す為に翔平を特別扱いする!」と断言しており、

「今は睡眠が一番のトレーニングになる!」として練習を早めに切り上げでも睡眠時間を十分に取る事を優先させていました。

うま

そういった先を見据えた事って、
なかなかできないですよね。

他にも佐々木洋監督が子供達に伝えているのは、「勉強ができる様になりたければ、頭のいい子の傍に」「野球が上手になりたければ、上手な人の傍に」と豪語しています。

ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手が先陣を切って侍ジャパンを盛り上げたWBCでは、若手選手達が2人の傍に寄り、精神面から自身の力を奮い立たせたのではないでしょうか?

佐々木麟太郎の母親

引用:えづりこ6区自治会だより

佐々木麟太郎さんの母親である佐々木玲香さんは、詳細な情報が明かされていませんでしたが、

2009年に行われた江釣子(えづりこ)地区大運動会にて、ご主人の代わりに表彰台に上がる姿が公開されていました。

高校野球部の監督をされ、多忙な毎日を過ごされているご主人に代わって地区行事にも積極的に参加されているご様子から察するに、アクティブで明るいお母様なのではないでしょうか?

強豪校に通う子供達と、強豪校の監督を担う夫を献身的に支えてこられた内助の功ですね。

うさぎ

母親のサポートがなければ、
ここまで野球に打ち込んでこれなかった事でしょう。

朝早くからの練習や遠征等で多忙な家族の為、家の事や健康面での食事もきっと大変ではないでしょうか?

そういった事から仕事はされていないのではないか?と考えられます。

佐々木麟太郎の兄弟は妹が一人

佐々木麟太郎選手には、1歳年下の妹がいらっしゃり、妹も花巻東高校で野球をされています。

引用:Yahoo!ニュース

佐々木麟太郎の妹プロフィール
●名前:佐々木 秋羽(ささき しゅう)
●生年月日:2006年9月29日(2023年8月現在 16歳)
●学歴:花巻東高等学校(2023年8月現在 高校2年生)
硬式女子野球部主将

こあら

妹さん、とっても可愛い方ですね♪

花巻東高校には女子硬式野球部があり、妹の佐々木秋羽さんは野球部に所属し、主将を務めています。

幼少期からとても仲良しな兄妹で、妹の秋羽さんにとって兄の麟太郎さんは、とても優しく一緒にキャッチボールしたり、一緒に練習したりして、野球を通じて兄妹の仲が深まったと語っていました。

うま

幼少期から野球をプレーするには、
ピッタリの環境にあったんですね。

中学3年生の時に兄の麟太郎さんと同じ花巻東高校へ進学する事を決め、その事を麟太郎さんに相談した際は、

父親が監督を務めている
兄が周りから期待されている


といった面からいろいろプレッシャーがかかる事やその事を理解して覚悟を決めるべき等と的確なアドバイスをくれたとも話していました。

悩む所はあったと思いますが、おそらく周りからのプレッシャーがあったとしても、父親や兄の背中を追いかけようと心に決めたのでしょう。

父親の事は「父でありながらも監督として接しているお兄様の姿を尊敬」しており、自身も努力し続けています。

まとめ

●佐々木麟太郎(花巻東高校3年)の父親は花巻東高校野球部の監督
●佐々木麟太郎の父親は菊池雄星・大谷翔平を導いた名指導者

●佐々木麟太郎は中学時代大谷翔平の父である大谷徹の元で野球をプレー
●佐々木麟太郎の妹の秋羽は花巻東高校2年生で硬式女子野球部の主将

現在甲子園で大活躍中の佐々木麟太郎選手のご家族についてまとめていきましたが、いかがでしたでしょうか?

母親の情報はほとんど明かされていませんでしたが、今後佐々木麟太郎選手がプロ入りする事になった時には、母親も表に出て来られるのではないでしょうか?

妹の秋羽(しゅう)さんも同じ花巻東高校の野球部だったとは驚きでした!名監督である父親の元、素晴らしい選手になっていかれる事が楽しみですね♪

佐々木麟太郎選手はプロ入りを決意されていましたが、背中の痛みにより現在は迷っているといった話もあります。

今はまず甲子園での戦いに集中し、今後大谷翔平さんの後を追っていける選手に飛躍する事を願います。

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