広島初の1億円プレーヤーとなった北別府学さんは、1992年に球団史上初の200勝を達成しており、未だこの記録は破られておりません。
そんな広島東洋カープ一筋のレジェンド北別府学さんが、2023年6月16日の12:33に広島市内の病院でお亡くなりになりました。
惜しまれつつプロ野球を引退した北別府学さんは、どの様な功績を残し、どの様な家族と生涯を過ごされてきたのでしょうか。
そこでこの記事では、
●北別府学の妻は元ミスコン?
●北別府学の娘は医者?
●北別府学の息子は?
●北別府学のプロフィール
●北別府学の経歴
等についてまとめていきますので、どうぞ最後までご覧くださいませ。
北別府学の妻「広美」は元ミス日本
北別府学さんの奥さんは広美さんといいます。
引用:ヒロシマウィメンズハーモニー
北別府学の妻
●名前:北別府 広美(きたべっぷ ひろみ)
●生年月日:不明
●職業:国連支援交流協会 広島支部長
北別府学さんの奥様である北別府広美さんは、元ミス日本といった噂がありますが、歴代のミス日本グランプリ受賞者に広美という名前の方はいません。
ですので出場経験がある、もしくはファイナリストだったのではないか?とも考えられます。
年齢は明かされていませんが、60歳前後ではないかと予想しています。
また現在は、国連支援交流協会の広島市部長も務めていらっしゃいます。
【国連支援交流協会とは?】
国連の活動を支援することを通じ、平和、福祉、安全、環境保全、人権など、地球規模での諸問題解決を目指し、国際相互理解の促進に貢献寄与することを目的とする
北別府学と妻の出会いや馴れ初め
北別府学さんと広美さんの出会いはお見合いです。
シーズン前に「今年20勝挙げたら、結婚しよう!」と広美さんにプロポーズしていた事は明かされています。
そして1982年に見事20勝を挙げ、ご結婚されました。
とても献身的に北別府学さんを支えてこられた方だという事は間違いありません。
北別府学さんの妻である広美さんは、自身のブログで黒革のリクライニングチェアの写真を掲載し、子供達が父親のために用意してくれたと投稿されていました。
引用:北別府学 公式ブログ
父親をここに座らせてあげたい。と子供達の思いが詰まった椅子に、座れなかったとしてももう一度帰宅させてあげたい。という思いで毎日拭いていらっしゃいました。
家族の愛を感じますね。
北別府学の子供や家族構成
北別府学さんの家族構成は5人です。
家族構成
●妻:広美
●長女:優
●長男:名前は非公開
●次男:名前は非公開
北別府学の娘の職業は医者
娘
●名前:北別府 優(結婚されている為、現在の姓は不明)
●生年月日:不明(2023年6月現在 38歳前後)
●職業:医者(広島赤十字原爆病院の内科医)
●結婚:2013年
2007年に北別府学さんは、野球人生を綴った自伝それでも逃げないを出版し、この自伝の中で娘が医学生であることを明かしています。
娘の優さんは国立大学である山口大学医学部(偏差値62.5)を卒業されており、その後、医師となって広島赤十字原爆病院の内科医として勤務している事がわかっています。
生年月日は明らかになっていませんが、2013年に18歳でしたので、2023年6月現在は38歳前後だと考えられます。
優さんが医学の道に進む事になったのは、北別府学さんがプロ野球選手という職業柄もあり、スポーツ医学を学びたいと思った事がきっかけです。
北別府学さんは、広島市内の病院でお亡くなりになられたと発表されていますので、もしかしたら娘さんの勤務する病院で息をひきとられたのかもしれませんね…
北別府学の息子は二人
北別府学の息子
●長男:名前は非公開
●次男:名前は非公開
北別府学さんには娘さんの下に男の子が2人居ますが、名前等の詳細は明かされていません。
しかし以前、北別府学さんは自身のブログに長男は明治大学に通っていたという事を掲載しており、とても騒がれた為に長男にお叱りを受け削除されている為、現在その記事は残っていません。
長男は大学卒業後、名古屋に引っ越し会社員をされていた事はわかっており、2012年に就職が決まり、名古屋赴任になったとのこと。
明治大学に通っていたということなので、一流企業に就職しているのかもしれません。
長男は初任給で父の北別府学さんへネクタイをプレンゼントし、母の広美さんへはネックレスをプレゼントしています。
親孝行なご長男だね。
次男の情報は全くと言っていいほどありませんが地元広島に残っていらっしゃり、次男は北別府学さんのドナーとして骨髄移植をされていますので、お父様の最期を見届けたのではないでしょうか?
北別府学の簡易Wikiプロフィール
引用:デイリー
プロフィール
●名前:北別府 学(きたべっぷ まなぶ)
●生年月日:1957年7月12日
●没年月日:2023年6月16日(享年65歳)
●出身地:鹿児島県曽於市
●職業:日本プロ野球名球会理事
●元広島東洋カープの名投手(右投/右打)
北別府学さんは、1957年7月12日に鹿児島県曽於市で生まれ、地元の中学校に通っていました。
中学生時代、はじめはテニス部に所属していましたが、学校内の野球大会での活躍が認められ、野球部のエースにまでなりました。
その後、宮崎県立都城農業高等学校へ進学し、甲子園出場は果たせなかったものの、1年生の時から既にエースとして活躍しており、その名はプロ野球界にも届いていました。
甲子園に出場していないのに注目されるなんて、
凄いなぁ~
そこで原石に目を付けた広島東洋カープからドラフト1位指名を受け、入団しチームを優勝に導く大活躍をし続けてきました。(広島東洋カープでの経歴は後述いたします。)
しかし、広島のレジェンドと言われ続けてきた北別府学さんですが、2020年1月に白血病を患っている旨、公表されました。
その年の5月、次男がドナーとなり骨髄移植を受けており、手術は成功したものの、移植後特有の合併症を引き起こしてしまい、闘病生活を送る事となりました。
2022年3月には尿毒症を発症、6月に敗血症、2023年2月に帯状疱疹を発症しており、辛い闘病生活を送られていました。
北別府学の簡易経歴
引用:Yahoo!ニュース
北別府学の経歴
●1975年 ドラフト会議1位指名で広島東洋カープに入団
●1977年より、先発ピッチャーを任される
●1979年 チームトップの17勝を達成し、リーグ優勝
●1982年 20勝を挙げ、最多勝と沢村賞を受賞
●1986年 最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、沢村賞を受賞
●1991年 最高勝率のタイトルを獲得
●1992年 球団史上初の200勝を達成
●1994年 現役引退を発表
●1995年 オープン戦を最後に引退
●1995年~2000年 野球解説者として活躍
●2001年~2004年 広島カープの投手コーチとして活躍
●2005年~2023年 野球解説者として活躍
●2018年 私立英数学館高等学校の硬式野球部コーチに就任
甲子園にも出場経験がなかった北別府学さんですが、広島東洋カープの首脳陣からその実力を認められており、
ドラフト1位指名を受けた北別府学さんは、チームを優勝に導く素晴らしい活躍をされてきました。
1986年に広島東洋カープが優勝を決めた試合で先発投手を任された北別府学さんは8回まで投げ、9回も続投する予定でしたが直談判し、優勝の瞬間を抑え投手の津田恒実さんにピッチャーを任せました。
この美談には広島ファンのみならず、みんなが涙しました…
北別府さんの人間性が垣間見れた瞬間でしたね。
北別府学さんが1992年に球団史上初の200勝を達成した際は、20世紀最後の200勝を挙げた投手として、未だ広島のレジェンドとして崇められています。
北別府学の投手成績
年度 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝 | 敗 | 勝率 |
1976年度 | 9 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .667 |
1977年度 | 33 | 22 | 3 | 0 | 0 | 5 | 7 | .417 |
1978年度 | 39 | 25 | 8 | 2 | 1 | 10 | 7 | .588 |
1979年度 | 36 | 33 | 12 | 3 | 4 | 17 | 11 | .607 |
1980年度 | 30 | 30 | 6 | 2 | 0 | 12 | 5 | .706 |
1981年度 | 32 | 32 | 13 | 2 | 3 | 16 | 10 | .615 |
1982年度 | 36 | 35 | 19 | 5 | 5 | 20 | 8 | .714 |
1983年度 | 33 | 30 | 12 | 1 | 0 | 12 | 13 | .480 |
1984年度 | 32 | 27 | 9 | 2 | 1 | 13 | 8 | .619 |
1985年度 | 35 | 24 | 8 | 3 | 2 | 16 | 6 | .727 |
1986年度 | 30 | 30 | 17 | 4 | 5 | 18 | 4 | .818 |
1987年度 | 29 | 29 | 6 | 1 | 4 | 10 | 14 | .417 |
1988年度 | 27 | 27 | 13 | 1 | 9 | 11 | 12 | .478 |
1989年度 | 22 | 21 | 1 | 0 | 0 | 9 | 10 | .474 |
1990年度 | 17 | 17 | 1 | 0 | 1 | 8 | 4 | .667 |
1991年度 | 25 | 24 | 3 | 1 | 0 | 11 | 4 | .733 |
1992年度 | 26 | 26 | 4 | 1 | 1 | 14 | 8 | .636 |
1993年度 | 13 | 13 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | .500 |
1994年度 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | .500 |
通算(19年間) | 515 | 260 | 135 | 28 | 36 | 213 | 141 | .602 |
北別府学の全盛期
上記の表からもわかる通り、1986年は勝率は8割を超えています。
18勝4敗と最多勝も防御率1位も獲得しており、勝率もリーグ最多に輝きました。
春先は2ケ月間で3勝しかできませんでしたが、辛抱強く監督が中5日で起用してくれた事に感謝している。
と当時喜びを噛みしめていましたね。
参考までにエンゼルス大谷翔平投手の勝率は、
●2018年:.667(4勝2敗)
●2020年:.000(0勝1敗)
●2021年:.818(9勝2敗)
●2022年:.625(15勝9敗)
といった成績ですので、勝率8割を超える事がどのくらい凄い事か、また北別府学投手がどのくらい凄い選手かといった事が、おわかりいただけるかと思います。
まとめ
●名前:北別府 学(きたべっぷ まなぶ)
●生年月日:1957年7月12日
●没年月日:2023年6月16日(享年65歳)
●家族:妻(広美)・長女(優)・長男・次男
●妻:ミス日本と言われているが、グランプリ受賞者ではない
●娘:山口大学医学部卒業後、広島赤十字原爆病院の内科医
●長男:明治大学卒業後、会社員
●次男:広島に在住・北別府学のドナー
●全盛期の投手成績は、勝率8割超え
広島東洋カープのレジェンド北別府学さんについてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
北別府学さんの野球人生については、簡易的にまとめさせていただきましたが、まだまだ書ききれないほどの功績をおさめてこられた方です。
日本プロ野球界において、本当に惜しい人を亡くしましたね…
ご冥福をお祈りいたします。