羽生善治(会長)の学歴や経歴とWikiプロフ!生い立ちや妻(嫁)や子供など家族構成!

羽生善治さんが日本将棋連盟の会長に就任した事が2023年6月9日に発表されました。

6月9日の棋士総会で、新しい役員による理事会で佐藤康光会長の退任と同時に、羽生善治さんが会長に選出されました。

中学生の時にプロ棋士となった羽生善治さんですが、将棋を知らない人でも羽生善治さんの事が多く知られている理由は、トレードマークである寝グセです。

しかし寝グセはいつの間にか整髪される様になり、あまり寝グセ姿の羽生善治さんをあまり見かけなくなりましたね。

結婚した事や数々のタイトルを取得してく内に、何か心境の変化があったのでしょうか。

そこでこの記事では…

●羽生善治のプロフィール
●羽生善治の学歴や経歴は?
●羽生善治の成績って?
●羽生善治が結婚と子供について
●羽生善治が日本将棋連盟の会長に就任
●羽生善治の棋士としての凄さ
●羽生善治の将棋に対する思い
●羽生善治の伝説や珍エピソード

等について、わかりやすく記していきます。

目次

羽生善治のWikiプロフィール

まずは羽生善治さんの基本となるプロフィールから…

引用:朝日新聞

プロフィール
●名前:羽生 善治(はぶ よしはる)
●ニックネーム:恐怖の赤ヘル・鬼畜眼鏡・ウサギおじさん
●生年月日:1970年9月27日(2023年6月現在 52歳)
●出身地:埼玉県所沢市
●プロ棋士:1985年12月18日(当時 15歳)
●家族:妻・長女・次女

羽生善治さんは小学2年生の時に将棋を始め、15歳の時プロ入り19歳の時にタイトル(竜王)を獲得し、26歳で七冠を達成しました。

そしてその年に、アイドルの畠田理恵さんと結婚しました。

結婚後はウサギを飼っており、ウサギの為に自宅のソファを捨てる程の溺愛ぶりで、ついたニックネームはウサギおじさんです。

何十手先まで先読みしなければいけない将棋の世界で、常に頭をフル回転させている羽生善治さんにとって、動物は頭をリセットさせる癒しなのでしょう。

トレードマークの寝グセ

羽生善治さん=寝グセですが、いつの頃からか寝グセ姿の羽生善治さんをあまり見かけなくなりましたね。

1996年3月28日に羽生善治さんは、アイドルの畠田理恵さんと結婚式を挙げ、その直後のインタビューで、

「今日は寝グセが整えられていますね」と記者から問いかけられた際、

寝グセは独身時代で終わりにします。

寝グセ封印を宣言していました。

しかし結婚後も何度か寝グセをお見かけしています(笑)

うま

寝ぐせが激しい時は、
調子がいいみたいだよ。

うさぎ

真ん中の画像の寝癖は重力に逆らってるし、その右の画像はトルネード型の寝癖だね。

また、インタビューで「対局中カメラは意識されていますか?」と聞かれた際、

意識していたら寝グセなんてつけてませんよ

と答えています。

羽生善治の生い立ち&学歴

羽生善治さんの最終学歴は高卒(通信制)です。

学歴
●1983年3月 八王子市立元木小学校卒業
●1986年3月 八王子市立恩方中学校卒業
●1986年4月 東京都立富士森高等学校入学
後に通信制の上野高校へ転校し、卒業

羽生善治さんは小学1年生の時に将棋を始め、小学6年生の時プロ棋士を目指す為に奨励会に入会し、中学3年でプロ棋士になりました。

その後、都立富士森高等学校に進学されましたが、学校生活とプロ棋士との両立が難しくなり、通信制の上野高等学校へ転校されました。

それでは、それぞれ詳細をみていきます。

羽生善治の幼少期時代

羽生善治さんは、小学校に入ってから将棋を始めていらっしゃるので、幼稚園の頃のエピソードは特に明かされていませんが、

埼玉県所沢市で生まれ育った羽生善治さんは、幼稚園に入る頃、八王子市に引っ越しされました。

羽生善治の小学校時代とエピソード
(将棋との出会い)

羽生善治さんの出身小学校は、地元である八王子市立元木小学校です。

引用:Twitter

出身は埼玉県所沢市ですが、幼稚園に入る頃から八王子市に移転しています。

小学1年生の時、近所の同級生から駒の動かし方を教えてもらった事がきっかけで、将棋を始める事になりました。

あまり先生に褒められた記憶もなく、怒られた記憶もほとんどない。
印象の薄い生徒だったと思う。

とインタビューの時にご本人が話していました。

学校の宿題や勉強は支障のない程度にやっており、小学校2年生の時から公文に通っていた為、算数を得意科目としていました。

くま

公文に通っていた人はとても計算が早いですよね。

羽生善治さんは全ての棋譜を2分で記憶できるほど、記憶力抜群ですが数字にも強く、数独もよく解いています。

しかし数独を解くのは、頭の体操の為ではなく指の運動の為だそうですので、羽生善治さんにとってはただのツールでしかないのですね。

羽生善治さんは小学2年生の頃から八王子将棋クラブに通い、本格的に将棋を始めました。

将棋クラブ通い始めてからはみるみる内に力をつけ、小学3年生の時にアマチュア初段を取得し、4年生の時に四段、5年生の時はで五段になっています。

小学5年生の夏休みには4つの小学生の大会で優勝するほどの腕前でした。

小学6年生の時小学生将棋名人戦で優勝し、6年生の時プロ棋士を目指して奨励会に入会しました。

【小学2年】
・八王子将棋クラブ入会
【小学3年】
・アマチュア初段取得
【小学4年】
・四段
【小学5年】
・五段 夏休み中に大会で優勝
【小学6年】
・小学生棋士名人戦 優勝
・プロ棋士を目指し奨励会に入会

しかし羽生善治さんは小学生時代、将棋一筋ではなくキャプテン翼に影響され、サッカーに熱中してました。

・小学校の休み時間、高学年の頃はだいたいサッカーをしていた。
・キャプテン翼の影響で、サッカーが流行り始めていた。
・グラウンドが広かった為、ほとんど外でサッカーしていた。

と話していました。

他にも

ルービックキューブやヨーヨーも流行っていたので、一通り遊んでいた。

と話しています。

意外にも普通の少年だったんですね。

羽生善治の中学生時代とエピソード

羽生善治さんの出身中学校は、地元である八王子市立恩方中学校です。

羽生善治さんは中学3年生まで公文に通っていたとインタビューで話しており、ドラえもんの放送前までに公文式の宿題を終わらせる事が日課でした。

うま

羽生さんの小学生時代のドラえもんの放送時間は17時だね。

小学生の時にプロ棋士を目指して奨励会に入会していた為、中学時代も将棋に打ち込んでいました。

そして中学3年生の時、四段に昇進してプロ棋士になりました。

中学生のプロ棋士は史上3人目でした。

しかし藤井聡太さんが中学生でデビューして頭角を現していった時は、

自分の中学生時代より強い!

と藤井聡太さんの凄さを称賛していました。

羽生善治九段からのお墨付きですので、自分の中学時代より強いなんて言われて、藤井聡太さんも嬉しかったでしょうね。

羽生善治の高校生時代とエピソード

羽生善治さんが進学した高校は、都立富士森高等学校です。

こちらの高校の偏差値は53で、都内の公立高校219校中73位とレベルの高い高校です。

羽生善治さんは中学3年生の時にプロデビューを果たし、高校時代も年間約80局も対局されています。

その為、

学校は月に10日近く休んでいたので、ちゃんと行っていたとは言えない。
だから、多分悪い生徒だったと思う。

とインタビューで話しています。

しかし記憶力が非常に良く、高校時代の成績は良かった様ですね。

学校が終わると急いで新幹線で大阪に行って対局し、
始発の新幹線で東京に帰ってくると東京駅のホームには母親が待っており、
対局用のカバンと学校用のカバンを交換して学校に登校していた。

といった多忙な高校生活を過ごしていました。

しかしいくら成績が良くても出席日数が足りなくなり、通信制の都立上野高等学校に転校し、なんとか高校を卒業しました。

羽生さんも当時を振り返り、学校は休みがちだったので「多分、悪い生徒だった」と語っています。

高校生活はあまり良くなかったとはいえ、棋士としては素晴らしく成長しており、高校1年生の時に40勝14敗と、全棋士中1位の勝率を記録しています。

いぬ

将棋大賞の新人賞と勝率一位賞を受賞したんだって。

そして高校2年生の12月に17歳2か月で天王戦に優勝しました。

高校3年生の時には対局数、勝利数、勝率、連勝記録の4部門を独占し、史上最年少で将棋大賞の最優秀棋士賞を受賞されました。

今まで棋士になる方は高校に通わない事がほとんどでしたが、羽生善治さんが高校を卒業した事から、高校生と棋士の両立をする方が増えてきました。

羽生善治さん本人も、

高校に通う事により、将棋以外の世界を知れてよかった。

と話していました。

高校卒業後は大学に進学せず、棋士として将棋に専念しています。

そして高校を卒業した年に史上最年少で初タイトル竜王を獲得しました。

羽生善治の経歴について

引用:時事通信

【1985年】15歳
・プロ入り


【1987年】17歳
・一般棋戦初優勝(若獅子戦)
・全棋士参加棋戦初優勝(天王戦)
・記録4部門独占
・NHK杯で4人の名人経験者を破って優勝


【1989年】19歳
・最年少でタイトル竜王を獲得

【1990年】20歳
・竜王を失い無冠

【1991年】20歳
・棋王を獲得

【1992年】21歳
・王座を獲得(二冠達成)

【1993年】22歳
・竜王を獲得(三冠達成)
・棋聖を獲得(四冠達成)
・王位を獲得(五冠達成)

【1994年】23歳
・名人を獲得


【1994年】24歳
竜王を奪還(六冠達成)
・永世棋王

【1995年】24歳
・永世棋聖

【1996年】25歳
・七冠達成
・七冠独占終了(棋聖を失冠)
・名誉王座

【1997年】26歳
・永世王位

【2004年】33歳
・一冠に後退(名人戦)

【2005年】34歳
・同一タイトル連覇新記録(王座14連覇)

【2006年】35歳
・永世王将


【2007年】36歳
・通算1000勝達成(最年少・最速・最高勝率)

【2008年】37歳
・永世名人・十九世名人
・永世六冠

【2010年】39歳
・同一タイトル19連覇 (王座戦)

【2011年】40歳
・名誉NHK杯


【2012年】41歳
・タイトル81期 史上最多
・通算1200勝達成(最年少・最速・最高勝率)

【2013年】42歳
・通算公式戦優勝125回 史上最多(棋聖戦)
・同一タイトル獲得21期 史上最多(王座戦)


【2017年】46歳
・永世竜王
・永世七冠

【2018年】47歳
・無冠(27年9か月ぶり)
・国民栄誉賞を受賞
・一般棋戦優勝45回史上最多(NHK杯)

【2019年】48歳
・通算1434勝達成 史上最多

【2022年】51歳
・通算1500勝達成

羽生善治さんは25歳の時、史上初となる七冠独占を達成しましたが、七冠達成後は防衛戦を余儀なくされ、かなりのプレッシャーがかかっていました。(上記の写真)

そんな中、三浦弘行さんとの対局で七冠独占を失い、一冠にまでなった時期があった羽生善治さんですが、

逆に肩の力を抜いて普段通りの将棋を打てる事になり、
また違った喜びがあった。

と当時語っていました。

天才と呼ばれ続けてきた羽生善治さんの功労と共に、2008年 永世名人の資格が与えられました。

さらに永世名人が与えられた後、十九世名人・永世竜王・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世棋聖・永世王将といった七冠を達成しました。

そして羽生善治さんは2018年 国民栄誉賞を受賞されました。

昇段履歴

段(級)年月日年齢備考
6級1982年12月2日12歳奨励会入会
5級1983年2月3日12歳9勝3敗
4級1983年3月28日12歳6連勝
3級1983年5月11日12歳6連勝
2級1983年7月7日12歳6連勝
1級1983年8月24日12歳6連勝
初段1984年1月11日13歳12勝4敗
二段1984年9月10日13歳14勝5敗
三段1985年4月25日14歳12勝4敗
四段1985年12月18日15歳プロ入り
五段1988年4月1日17歳順位戦C級1組昇級
六段1989年10月1日19歳竜王挑戦
七段1990年10月1日20歳
八段1993年4月1日22歳順位戦A級昇級
九段1994年4月1日23歳タイトル3期

主な成績

タイトル獲得年度獲得期数連覇永世称号
竜王1989・1992・1994-1995・2001-2002・20177期2永世竜王
名人1994-1996・2003・2008-2010・2014-20159期3十九世名人
王位1993-2001・2004-2006・2011-201618期9永世王位
叡王
王座1992-2010・2012-201624期19名誉王座
棋王1990-2001・200413期12永世棋王
王将1995-2000・2002・2004-200812期6永世王将
棋聖1993以前-1995・2000・2008-201716期10永世棋聖

羽生善治が結婚

羽生善治さんは畠田理恵さんとご結婚されています。

羽生善治の妻
●旧姓:畠田 理恵(はただ りえ)
●生年月日:1970年11月10日(2023年6月現在 52歳)
●出身地:大阪府堺市
●職業:元アイドル
●1986年(当時16歳)高校を中退し、芸能界入りの為上京
●1996年(当時26歳)に羽生善治さんと結婚し、芸能界を引退

小学生の時、両親が離婚した為、大阪府箕面市で母親と2人暮らしをしていました。

15歳の時、オーディション「86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に応募しMomoco賞を受賞。


16歳の時、大阪福島女子高等学校在学中に、「第2回ミスモモコクラブ」オーディションで「ミスMomoco」グランプリを受賞した事がきかっけで、スカウトされ、芸能界入りの為に高校を中退して上京されました。

人形のような容姿の正統派美少女というキャラクターを売りにし、アイドルとして活躍されていました。

しかしデビューから10年後の1996年3月28に羽生善治さんと結婚し、惜しまれつつ芸能界を引退しました。

この日を境に羽生善治さんは、脱寝グセ宣言していましたね。

羽生善治の子供

羽生善治さんには2人の娘さんがいらっしゃいます。

引用:芸能人の子供まとめ

羽生善治の子供
●長女:舞花 1997年7月生まれ(2023年6月現在 25歳)
●次女:桃花 1999年11月生まれ(2023年6月現在 23歳)

上記の写真を見るともう1人男の子が写っているので子供は3人なのでは?とも言われていましたが、

こちらに写っている小さな男の子は、羽生善治さんの甥御さんです。

以前番組で、娘さん達が羽生善治さんに手紙を書くといった企画がありました。

当時長女の舞花さんは大学生で、次女の桃花さんは高校生でしたが、

おふたりとも

「父をとても尊敬しています」「父が大好きです」

と書いてあり、20歳前後のお嬢様達が、ストレートにお父さんの事を大好きだと言えるなんて、素敵なご家族なのですね♪

羽生善治さんはインタビューに答えている時もとっても朗らかな方ですが、きっと家の中でも優しいお父さんなのでしょう。

うま

本当に素直でいい子に育ったんだね…

羽生善治の2人娘が通った中学と高校は
田園調布雙葉中学校・高等学校

娘さん達は2人とも中高一貫の田園調布雙葉中学校・高等学校に通われていました。

こちらの学校の偏差値は73で、カトリック系の名門校です。

原則小学校もしくは附属の幼稚園からの進学とされており、中学・高校での一般募集はほとんど行われていません。

学力も必要である事はもちろんですが、家庭環境や家柄等も関係してきますので、田園調布雙葉中学校・高等学校に入る事はかなりの難関です。

しかし羽生善治さんと畠田理恵さんのお嬢様ですから、礼儀正しく朗らかな事は想像できますので、面接も難なくクリアされた事でしょう。

羽生善治が会長に就任

引用:Yahoo!ニュース

2023年6月9日、羽生善治さんが日本将棋連盟の会長に就任したと発表されました。

初めての役職ですが
大きな責務と、やりがいで身が引き締まる思いです。

と決意表明しており、翌日の6月10日には東京都渋谷区の駒テラス西参道グランドオープン記念式典に出席し、新会長として初仕事をこなしています。

駒テラス西参道は、将棋教室や将棋イベントを行い、動画配信も行っていく場所として、将棋ファンの聖地を目指しています。

羽生善治新会長は、こちらに設置されている日本将棋連盟前会長の佐藤康光九段の等身大パネルと握手をして、会長をバトンタッチしていました。

羽生善治新会長の等身大パネルは?と聞かれた際、

いやいや…

と恥ずかしそうに笑っていたのが印象的でしたね。

いぬ

羽生善治さんらしいなぁ~

また6月15日には会長就任以来初の対局をされており、羽生善治九段が大橋貴洸七段に96手で勝利しています。

B級1組開幕戦会長就任後の初戦を勝利で飾った事は、本当に誇らしい事ですね。

羽生善治の棋士としての凄さ

引用:トップコート

羽生善治さんの凄さについて分かりやすく一覧で記したものです。

●史上3人目となる中学生プロ棋士
●奨励会に入会し、わずか1年で6級→初段
●国民栄誉賞を受賞
羽生マジック:マジックをみせられたかの様な信じられない手を指して大逆転
羽生世代:同世代の強豪棋士の総称として用いられる
●対局後は体重が2~3kg落ちる
●番組の企画で目隠しをして二面指しで圧勝
●記憶力を試す企画で、渡された棋譜を2分で覚え、その全てを将棋盤で完璧に再現
●将棋の事を考えすぎて事故を引き起こしかけた
●4年間負け無しだった過去がある
●ほとんどのプロ棋士から羽生善治さんと対局する事を目標とされている

数々のエピソードがありますが、対局後は体重が2~3kg落ちるほど集中している事にはビックリですね。

対局中にアイスクリームを出された際、アイスクリームが溶けきるほど長考していたといったエピソードもあります。

羽生マジック

羽生善治さんといえば「羽生マジック」これについて本人はどう思っているのでしょうか?

羽生マジック
羽生善治さんが対局の中盤~終盤で、マジックを見せられた様な信じられない手を指して
大逆転する事から、羽生マジックと呼ばれる様になりました。

羽生善治さんは若手の頃から、相手が考えもつかない様な手を指す事で知られています。

羽生マジックと呼ばれる事に対し羽生善治さんは、

マジックといった言葉の響きに違和感を覚えていると話しています。

羽生善治さん本人曰く、自分が最善だと考える手を指しているので、相手を罠にはめたり起死回生の大逆転を目指しているわけではない為、マジックという言葉を使われる事に対して、自分の勝負観の違いや踏み込みの甘さがそういった表現を呼ぶのかもしれないとも語っています。

とはいえ羽生マジック羽生マジック2羽生マジック傑作選と書籍まで出ていますので、ご本人も受け入れているのではないでしょうか♪

羽生世代

羽生善治さんと同世代の強豪棋士の事を総称して羽生世代と呼ばれる事がよくありますが、

羽生世代と呼ばれる人にはどの様な方がいらっしゃるのでしょうか?

羽生世代と呼ぶ定義は特に決まっていませんが、強豪棋士ではない場合にも羽生世代と呼ばれる事がありますが、主に下記の10名が羽生世代と呼ばれています。

名前生年月日(2023年6月現在の年齢)九段昇段通算勝利数
村山 聖1969年6月15日(享年29歳)1998年8月356勝
佐藤 康光1969年10月1日(53歳)1998年6月1092勝
先崎 学1970年6月22日(52歳)2014年4月700勝
丸山 忠久1970年9月5日(52歳)2000年6月980勝
羽生 善治1970年9月27日(52歳)1994年4月1528勝
藤井 猛1970年9月29日(52歳)2000年10月725勝
森内 俊之1970年10月10日(52歳)2002年5月963勝
郷田 真隆1971年3月17日(52歳)2001年8月939勝
屋敷 伸之1972年1月18日(51歳)2004年4月818勝
深浦 康市1972年2月14日(51歳)2008年9月895勝

羽生世代の中でも九段昇段の速さや勝利数から、羽生善治さんの凄さが一目瞭然ですね。

うさぎ

同学年または1学年違いの方ばかりなんだねt演

1980年代終盤から30年近く、タイトル獲得の過半数を羽生世代の棋士が占めており、羽生世代だけで全タイトルを制覇した年が4回あります。

まさに将棋の全盛期だったと言えるでしょう。

羽生善治の将棋に対する思い

引用:デイリー新潮

羽生善治さんは、

将棋はゲーム

と言っていますが、以前小学生と対局した際、悪手を指してしまった小学生に対して激怒したといったエピソードがあり、相手が誰であろうと常に真剣勝負で闘っている事がうかがえます。

また対局中、勝利を確信すると指の震えが止まらなくなる事でも有名ですが、どれほどのプレッシャーを抱えて対局しているのか、凡人には計り知れません。

日本将棋連盟の会長に就任した後は、若い子供達に将棋の素晴らしさや奥深さを伝えていきたいと語っています。

羽生善治の伝説&珍エピソード

引用:amazon

羽生善治さんは、将棋以外でも数々の伝説や珍エピソードがありますので、ご紹介したいと思います。

●趣味のチェスでも日本一の実績
●長期休暇中、パリのチェス国際大会に出場
●意外にも英語がペラペラ(通訳なしで英語のインタビューに返答)
●奥様との初デートで水族館に行った際、自分のチケットだけ購入し、勝手に入館
●奥様が親知らずを抜く事を告げた際、親知らずを抜いた後に腫れたとしても、丸顔だから目立たないよと返答
●最長26時間眠った事があるほどのロングスリーパー
●ニックネームが恐怖の赤ヘル・鬼畜眼鏡・ウサギおじさん
●羽生善治さんが漫画化された

一番ビックリしたのは、奥様(結婚前)との初デートで自分のチケットしか買わずに勝手に入館していた事です。

うま

まぁ羽生さんらしいといえば
らしいけど(苦笑)

普通の女性なら、呆れて2度目のデートはないと思いますよ…

しかし奥様は羽生善治さんの事を理解された上でお付き合いされていたのでしょう。

結婚しようとまで思ったわけですからね

まとめ

名前:羽生 善治(はぶ よしはる)
●生年月日:1970年9月27日(2024年1月現在 53歳)
●出身地:埼玉県所沢市→東京都八王子市
●学歴:八王子市立元木小学校・八王子市立恩方中学校・都立富士森高等学校→都立上野高等学校(通信制)に転校
経歴:1985年(当時15歳)プロ棋士・1996年(当時25歳)七冠達成
●羽生善治の成績:通算優勝152回、公式戦優勝144回、タイトル獲得99期、タイトル戦登場138回、同一タイトル戦26回連続登場(王座)、同一タイトル獲得通算24期(王座)、一般棋戦優勝45回
1996年 女優の畠田理恵と結婚
子供:舞花・桃花
2023年 日本将棋連盟の会長に就任
●史上3人目の中学生プロ棋士であり、棋譜を2分で全て記憶する等、脅威の記憶力
●相手が誰であれ常に真剣勝負。また今後は子供達に将棋の素晴らしさを伝えていくと宣言

天才プロ棋士と言われ続けた羽生善治九段ですが、もう52歳なんですね。

日本将棋連盟の会長に就任され、大役を任される事も多くなってきますので、今後はトレードマークの寝グセが披露される機会も少ないのかもしれません。

しかし、寝グセが酷い時の方が調子がいいそうなので、また対局中には寝グセ姿が見れるかもしれませんね。

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