西岡良仁さんは日本男子プロテニス選手であり、世界でも素晴らしい活躍をしている選手です。
2023年4月3日の最新世界テニスランキングでも24位という実力をお持ちの西岡良仁さんは、テニス界で”錦織圭選手の2世”と呼ばれており、今後の日本男子テニス界を引っ張っていくのではないかと言われています。
また、最近ではウェザーニュースキャスターで人気の檜山沙耶さんとの交際を発表して話題にもなっていますね。
そんな西岡良仁さんとは、一体どんな選手経歴でどんな家族がいるのでしょうか?
今回のこの記事では
・西岡良仁のWikiプロフィールが知りたい
・西岡良仁の生い立ちについて
・西岡良仁の高校や大学などの学歴は?
・西岡良仁の経歴詳細を時系列でご紹介
・西岡良仁の家族の名前や職業について
これらのことに注目してまとめていきます。
西岡良仁さんの事を知っている方はもちろん、今回の檜山沙耶さんとの交際発表で知ったという方も、ぜひ最後までお楽しみください。
西岡良仁のWikiプロフィール
名前:西岡 良仁(にしおか よしひと)
国籍:日本
出身地:三重県津市
生年月日:1995年9月27日
年齢:27歳(2023年7月時点)
身長:170cm
体重:64kg
利き手:左
バックハンド:両手打ち
所属:ミキハウス
尊敬する選手:錦織圭選手/マルセロ・リオス(チリ・サンティアゴ・デ・チレ出身)
好きな有名人:西野七瀬
西岡良仁さんは、三重県津市出身です。
三重県津市は綺麗な海と山の自然に囲まれた街で、気候も比較的住みやすい環境が整っているので、西岡良仁さん自然と戯れながらすくすく育ったのではないでしょうか?
身長は世界のテニスプレイヤーと比べると低い方になりますが、テニスプレイヤーとしての実力は素晴らしいものがあり、戦略的に相手選手を追い込んでいくプレーなども得意としています。
また、試合に負けてしまった時は悔しさを隠すことなく露わにするところもあり、それだけテニスへの情熱が伝わる方でもあります。
悔しい感情を隠さないなんて、とっても素直な性格のようだね。
西岡良仁の生い立ち
西岡良仁さんは1995年9月27日に三重県津市に生まれ、4歳でテニスを始めます。
そのテニスを始めるきっかけとなったのは、
父親が経営していたニックインドアテニスカレッジ(津市高茶屋小森町)に先に通っていた兄の影響
西岡良仁さんのお兄さん(※後述します)が先にテニスを始めていて、その兄とテニスの練習を始めたのが西岡良仁さんにとってのテニスプレイヤーとしての第一歩です。
その当時、このニックインドアテニスカレッジで子どもたちを教えていたのは西岡良仁さんの母親でした。
ですので、はじめて西岡良仁さんにテニスを教えたのは母親ということになりますね。
母親であり指導者ですので、きっとお互いに接する時の切り替えもちゃんとしていたのではないでしょうか?
しかし、当時の西岡良仁さんはテニスよりもドッチボールなどの遊びが好きな少年でした。
子供ならドッチボールにハマる時期もあるでしょうし、自然なことですよね。
では何故、西岡良仁さんがテニスにのめり込むようになったのかというと
小学3年生くらいになると大会で良い結果を残せるようになったから
自分の頑張ってきた成果が、実感できたのでしょう。
その当時の実力は、親の目から見ても上級生を勝るくらいに強かった様ですね。
そして西岡良仁さんはお父さんにプロになりたいという気持ちを伝えました。
当時の西岡良仁さんは体格が小さいし、両親はテニス選手にしたいという強い気持ちはあまりなかったみたいだよ。
西岡良仁の学歴
【2008年/12歳】
三重県津市立養正小学校卒業
【2011年/15歳】
三重県津市立橋北中学校卒業
【2014年/18歳】
青森山田高等学校卒業
西岡良仁さんの学生時代はどんな感じだったのかなぁ?
出身小学校は三重県津市立養正小学校
4歳の頃からテニスを始めた西岡良仁さんが入学した小学校は
三重県津市立養正(せいしょう)小学校
この小学校は三重県津市にある公立小学校ですので、西岡良仁さんの地元の小学校となりますね。
西岡良仁さんの通っていたテニススクールのニックインドアテニスカレッジは、西岡良仁さんのご両親がコーチをしていて父親が校長も務めている学校です。
小学生時代、西岡良仁さんは低学年の頃からジュニアの試合に出場し始めます。
そして小学6年生になった頃には
上記の大会で、優勝という結果をすでに残しています。
4歳の頃からテニスをやっていただけあって、その実力は本物だね。
出身中学校は三重県津市立橋北中学校
立養正小学校を卒業した西岡良仁さんは、
三重県津市立橋北(きょうほく)中学校
に通っていました。
前述した通り、小学3年生の頃にはすでにテニスプレイヤーとしてプロになることを目標としていた西岡良仁さんは、中学生の時に、テニスで世界挑戦をするするために”公益財団法人 盛田正明テニス・ファンド”の選考テストを受けています。
【公益財団法人盛田正明テニス・ファンドとは?】
盛田正明さんは1992年にソニー生命保険の社長兼会長に就任した人物で、1998年にソニー生命名誉会長を退いた後に、テニスの有望若手選手を育成するために考案
公益財団法人盛田正明テニス・ファンドを西岡良仁さんが受けるも、2度落選してしまいます。
普通であれば3度目という機会は与えられません。
しかし、そこは西岡良仁さんが強運の持ち主なのかアメリカのテニスの名門で知られるIMGアカデミーからコーチを招いて開催した練習会に参加することができ、西岡良仁さんは見事にその練習会で合格しました。
そして西岡良仁さんが中学3年生になり、盛田正明テニス・ファンのサポートのもとIMGアカデミーに留学を果たします。
【IMGアカデミーとは?】
アメリカ合衆国フロリダ州ブレイデントンにある、スポーツ選手の育成やパフォーマンス向上のための寄宿学校・スポーツトレーニング施設
この中学校を卒業した有名スポーツ選手には以下の方たちがいます。
出身高校は青森山田高等学校
立橋北(きょうほく)中学校で、IMGアカデミーに留学した西岡良仁さんは
青森山田高等学校
に進学します。
この高校にはスポーツコースが設置されていて、特にサッカー選手を多く輩出しています。
実はこの高校は、西岡良仁さんが尊敬しているテニスプレイヤーの錦織圭選手(通信制課程東京校)の出身校でもあります。
西岡良仁さんは入学した当時はアメリカを拠点として活動していたので、推測ではありますが通信制過程でテニスと勉強を両立していたのでしょう。
高校時代のテニスの成績がこちら。
【2012~2013年/高校2年生】
・9月 全米オープンジュニア…シングルスとダブルスともにベスト4
・2013年2月 メキシコF3フューチャーズ…初優勝
【2013~2014年/高校3年生】
・11月 ニッケ全日本テニス選手権…シングルス準優勝
・2014年1月 プロに転向
高校3年生ですでにプロなんて、かなり順調だね。
西岡良の経歴
【2014年/18歳】
プロに転向し、ヨネックスと所属契
【2015年/19歳】
全米オープンでベスト8入り
【2016年/20歳】
世界ランキング85位
【2017年/21歳】
ミキハウスと所属契約、世界ランキング70位
【2018年/22歳】
金泉チャレンジャーや深圳オープンで優勝
【2019年/23歳】
全豪オープンでベスト16進出
【2020年/24歳】
世界ランキング48位
【2021年/25歳】
東京オリンピック初出場
【2022年/26歳】
世界ランキング36位
【2023年/27歳】
世界ランキング24位
檜山沙耶との交際を公表
高校3年生で、プロに転向した西岡良仁さんがプロになってからの経歴や戦績などをまとめてみましたのでご覧ください。
【2014年/18歳】
プロに転向し、ヨネックスと所属契約
・1月 プロ転向/ヨネックスと所属契約
・6月 国内初の札幌フューチャーズ…優勝
・8月 全米オープン…予選突破するも本戦1回戦で途中棄権し敗退
・9月 上海チャレンジャー…初優勝/仁川アジア大会…優勝
青森山田高等学校在学中に、プロ転向を表明した西岡良仁さんは、ずっと愛用してきたメーカーであるヨネックスと所属契約を結びます。
高校生にしてメーカーとの所属契約というのはスポーツ界ではよくあることなのかもしれませんが、やはり一般的に見てすごいことですよね。
プロとなって高校を卒業した西岡良仁さんはグランドスラム予選初挑戦となる全米オープンに参戦しました。
予選は無事に突破、しかし本戦ではパオロ・ロレンツィ選手との対戦途中で棄権し、1回戦敗退という結果に終わりました。
しかし、その後の上海チャレンジャーとATPチャレンジャーツアーでは初優勝を飾ることとなります。
いよいよ、海外への挑戦の始まりだね。
【2015年/19歳】
全米オープンでベスト8入り
・2月 全米オープン…ベスト8入り
・8月 シティ・オープン(米国ワシントン)…予選突破するも1回戦敗北(※ロブショットがATP公式サイトにHOT SHOTとして紹介)
・コメリカバンク・チャレンジャー…2回戦の背面でのパッシングショットが2015年度のチャレンジャーツアーHOT SHOT年間Best1になる)
・9月 全米オープン…2回戦敗退
・11月 ダンロップワールドチャレンジテニストーナメント(愛知県豊田市)…優勝/全豪オープン・アジア(中国の深圳)…ワイルドカード獲得するも1回戦敗退(※2016年1月開催)
迎えたプロ2年目は、2月に行われた全米オープンのデルレイビーチ国際選手権ではベスト8入りを果たします。
これは、日本人では錦織圭選手(2008年に達成)以来の快挙でした。
また、試合中のショットがHOT SHOTに掲載され、年間Best1になるなど選手としての注目度も高まっていきます。
【2016年/20歳】
世界ランキング85位
・1月 全米オープン…本戦1回戦敗退
・2月 メンフィス・オープン…本戦準々決勝敗退
・3月 デビスカップ…ダブルス1回戦敗退/マイアミ・オープン…本戦3回戦敗退
・5月 全仏オープン…予選決勝敗退
・6月 ウィンブルドン…本戦1回戦敗退で/ニールセン・プロテニス選手権…優勝(※世界ランキング100位)
・8月 アトランタ・テニス選手権…準決勝敗退(※世界ランキング85位)/全米オープン…1回戦敗退/デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ(ウクライナ戦)…シングルス第5試合勝利(ワールドグループ残留決定)
・11月 キャピタル・カップ…優勝(※世界ランキング100位)
2016年には、ニールセン・プロテニス選手権にて優勝し、ついに世界ランキング100位に入りました。
また、その後のアトランタテニス選手権で準決勝進出となり、更にランキングを上げ自己最高85位という結果を残しました。
ついに世界ランキングに名前を連ねました。
【2017年/21歳】
ミキハウスと所属契約、世界ランキング25位
・1月 1日にミキハウスと所属契約/ブリスベン国際…本戦1回戦敗退/全豪オープン…2回戦敗退/デビスカップ・ワールドグループ…第4試合で左腕負傷のために棄権(※世界ランキング82位)
・2月 メンフィス・オープン…2回戦進出/メキシコ・オープン…ベスト8進出(※世界ランキング70位)
・3月 BNPパリバ・オープン…本戦4回戦敗退(※世界ランキング58位)/マイアミ・オープン…2回戦で左膝負傷で途中棄権。→左膝前十字靭帯断裂と診断となり、手術術のためにツアー離脱
2017年には、ミキハウスと所属契約します。
【ミキハウスとは?】
三起商行(みきしょうこう)株式会社は、ベビー服・子供服メーカー
スポーツクラブを運営しており、2019年時点では13競技で34人が在籍
メキシコ・オープンでベスト8止まりとなり、世界ランキング70位となります。
その後のBNPパリバ・オープンで4回戦進出しますが、世界ランキング3位のスタン・ワウリンカ選手に負けてしまいましたが、58位まで世界ランキングを上げました。
しかし、その同月に行われたマイアミ・オープンで左膝を怪我してしまい途中棄権という結果に。
病院での診断は”左膝前十字靭帯断裂”でした。
【前十字靭帯断裂とは?】
ひざ関節の中にある靭帯の中の、前十字靭帯が全てもしくは一部が断裂していることを指す
結果として、手術することとなりツアーを離脱せざるを得ませんでした。
スポーツ選手に怪我は付き物だけど、きっと悔しかっただろうなぁ…
【2018年/22歳】
金泉チャレンジャーや深圳オープンで優勝
・全豪オープン…2回戦敗退
・5月 金泉チャレンジャー…優勝
・全仏オープン…1回戦敗退
・9月 深圳オープン…初優勝
怪我からの復帰となる、2018年は、全豪オープンで2回戦敗退となってしまいますが、ATPチャレンジャーの金泉チャレンジャーでおよそ1年半ぶりに優勝を飾りました。
続く、9月に行われた深圳オープンでも見事に初優勝となり、怪我から完全に復帰した年となりました。
手術後は辛い日々だっただろうけど、復帰してからのこの活躍を見ると、相当リハビリにも励んだろうから、努力の見える結果となったね。
【2019年/23歳】
全豪オープンでベスト16進出
・全豪オープン…ベスト16進出(4回戦途中棄権)
・全仏オープン…2回戦敗退
・ウィンブルドン選手権…初戦敗退
・シティ・オープン…3回戦敗退
・ウエスタン・アンド・サザン・オープン…準々決勝敗退(食中毒のため棄権/※ベスト8進出)
・全米オープン…2回戦敗退
・楽天オープン…2回戦敗退
・デビスカップ・ファイナルズ…フランス戦で勝利(※世界ランキング73位)
怪我から、無事に復帰を果たした西岡良仁さんは引き続き、健闘しつづけます。
迎えたウェスタン・アンド・サザンオープンでは憧れの錦織圭選手と対戦することになりました。
試合結果は西岡良仁さんが錦織圭選手をストレートで下しています。
その後も順調に準々決勝まで勝っていき、マスターズ1000ベスト8進出(日本人で3番)を成し遂げました。
そのまま勢いに載っていくかと思われましたが、準々決勝の試合直前に食中毒となってしまい棄権せざるをえなくなりました。
きっと本人もこの結果には納得できなかっただろうと思いますが、運が悪かったと思うしかなかったでしょう。
食中毒になるなんて本人も思ってもみなかったことだろうね。
【2020年/24歳】
世界ランキング48位
・1月 ATPカップ…日本代表として出場したが決勝トーナメント進出ならず
・全豪オープン…3回戦敗退
・2月 デルレイビーチ・オープン…準優勝(※世界ランキング48位)
・全米オープン…1回戦敗退
・BNLイタリア国際…2回戦敗退
・ドイツ国際オープン…1回戦敗退
・全仏オープン…で2回戦敗退
・パリ・マスターズ…2回戦敗退(※世界ランキング56位)
2020年には、デルレイビーチ・オープンで西岡良仁さんは2度目となる決勝進出を果たしました。
決勝でライリー・オペルカ選手に負けてしまい惜しくも準優勝でしたが、世界ランキング48位となり、トップ50入りを達成します。
ここまでランキングをあげるまで、色々なことがあっただろうな。
【2021年/25歳】
東京オリンピック初出場
・ATPカップ…アルゼンチンとロシアに勝利するがラウンドロビン敗退
・全豪オープン…初戦敗退
・全仏オープン…2回戦敗退
・ウィンブルドン選手権…2回戦敗退
・東京オリンピック…初出場となるが、シングルスとダブルス共に初戦敗退
・テニス殿堂選手権…シングルス1回戦敗退/ダブルスでベスト8入り
・シティ・オープン…1回戦敗退
・ナショナル・バンク・オープン…本戦1回戦敗退
・ウエスタン・アンド・サザン・オープン…本戦1回戦敗退
・全米オープン…1回戦敗退
・BNPパリバ・オープン…2回戦敗退
・パリ・マスターズ…予選敗退(※世界ランキング81位)
先ほども書かせていただきましたが、西岡良仁さんは世界のテニスプレイヤーと比べると、身長は低い方です。
ですのでテニス選手としてはデメリットとなりうるのですが、そんなことを思わせない試合展開をウィンブルドンで見せつけます。
ウィンブルドン選手権の1回戦で、ジョン・イズナー選手(※身長差は38cm)と対戦し、見事に勝利して初戦突破するのです。
そして、この年は東京オリンピックも開催され、西岡良仁さんは初出場となりました。
結果はシングルスとダブルスともに1回戦敗退となりましたが、その戦いぶりは日本の皆さんに届いたのではないでしょうか?
【2022年/26歳】
世界ランキング36位
・全豪オープン…1回戦敗退
・コロンバス・チャレンジャー…優勝
・クリーブランド・チャレンジャー…準優勝
・メキシコ・オープン…ベスト8に進出
・BNPパリバ・オープン…予選敗退
・マイアミ・オープン…3回戦進出
・マドリード・オープン…予選一回戦敗退
・BNLイタリア国際…予選1回戦敗退
・リヨン・オープン…予選敗退
・全仏オープン…1回戦敗退
・ウィンブルドン選手権…1回敗退
・シティ・オープン…準優勝
・ナショナル・バンク・オープン…1回戦勝利
・全米オープン…1回戦敗退
・韓国オープン…優勝
・ジャパン・オープン…初戦敗退
・ヨーロピアン・オープン…ベスト8入り
・エルステ・バンク・オープン…一回戦敗退
・パリ・マスターズ…2回戦敗退(※世界ランキング36位)
東京オリンピックが終わり、2022年はシティ・オープンで約2年半ぶりとなるATPツアー準優勝を達成しました。
その後の韓国オープンでは、4年ぶりとなる2度目のATPツアー優勝となりました。
パリ・マスターズを終えた時点で世界ランキング36位となり、日本人の男子テニスプレイヤーでは歴代2位という成績を残します。
【2023年/27歳】
世界ランク24位・檜山沙耶との交際公表
・1月 アデレード国際1…ベスト4入り(準決勝で途中棄権/※世界ランク33位)
・全豪オープン…シングルスでベスト16入り/ダブルスで初の2回戦進出
・2月 デルレイビーチ・オープン…2回戦敗退
・アカプルコ…初戦敗退
・3月 BNPパリバ・オープン…初戦敗退
・マイアミ・オープン…初戦敗退
・4月 バルセロナ・オープン…2回戦敗退
・マドリード・オープン…3回戦敗退
・5月 カラアナ・チャレンジャー…ベスト8進出ならず
・ローマ・マスターズ…初戦敗退
・全仏オープン…ベスト16入り(※世界ランキング27位)
・6月 20日発表の世界ランクで24位になる。
・7月 ウィンブルドン選手権…初戦敗退/檜山沙耶さんとの交際公表
そして2023年はアデレード国際1で準決勝まで勝ち進み、途中棄権となってしまい決勝進出とはなりませんでしたが、この時点で世界ランキングは33位でした。
全仏オープンでベスト16入りを果たし、6月20日付けで世界ランキング24位まで順位が上がりました。
また7月7日には、”ウェザーニュースLiVE”でお天気キャスターとして活躍している檜山沙耶さんとの交際をTwitterで公表しています。
西岡良仁の家族構成
西岡良仁さんの家族は【4人家族】です。
ではここで、西岡良仁さんの家族についてもまとめていきます。
父親:西岡範夫
母親:西岡きみえ
兄:西岡靖雄
ここからはこのご家族一人一人について見ていきましょう。
また、西岡良仁さんが交際しているお相手、気象キャスターの檜山沙耶さんについてもまとめていきます。
西岡良仁の父親の職業
前述した通り、西岡良仁さんの父親は
西岡範夫
西岡良仁さんの左隣りが父親ですね。
とてもまじめそうな方ですね。
そして職場は、
ニックインドアテニスカレッジ
住所:〒514-0817三重県津市高茶屋小森町2890-1
電話番号:059-234-1011
上記のテニススクールを運営しています。
またここの校長とジュニアヘッドコーチもされており、
このように、テニスプレイヤーとしても数々の受賞をしていて西岡良仁さんを小さい頃から指導していました。
父親にとっても西岡良仁さんは自慢の息子だね。
西岡良仁の母親の職業
西岡良仁さんの母親は、父親が経営しているテニスカレッジのコーチを担っています。
西岡良仁さんの母親は、
西岡きみえ
母親のきみえさんは
父親が経営するニックインドアテニスカレッジでコーチ(ジュニア)を担当
しかし現在のニックインドアテニスカレッジの公式サイトにはコーチとして名前の記載がなかったので、コーチとしては活動していないのではないでしょうか?
ニックインドアテニスカレッジを父親の範夫さんと一緒に経営している可能背が高いので、もしかしたら事務などの経理などを担当しているかもしれませんね。
とっても優しそうな母親だね。
西岡良仁の兄はどんな人?
西岡良仁さんの兄はテニスコーチをしています。
西岡良仁さんには2歳上のお兄さんがいます。
西岡靖雄
西岡靖雄さんは現在、テニスコーチとして活躍しYONEXアドバイザリーコーチでもあります。
靖雄さんは、若手テニスプレイヤーの福田詩織選手や佐藤南帆選手、輿石亜佑実選手などたくさんの方々のコーチをしています。
お兄さんである靖雄さんは、西岡良仁さんと小さい頃からテニスの練習をしていました。
2歳差の二人ですが、幼少期での2歳の体格差は大きく西岡良仁さんは靖雄さんに負けてしまうと、とても悔しがっていました。
その時、西岡良仁さんは「やっちゃん(靖雄さん)が一番のライバル!」と競争心を燃やしていました。
そんな西岡良仁さんも、成長と共にライバルだった靖雄さんをテニスプレイヤーとして追い越していきました。
兄の靖雄さんにしてみればかなり複雑でしたでしょうし、西岡良仁さん自身も少し悩んでいました。
しかし、今では西岡良仁さんのYOUTUBEで靖雄さんがよく登場しているので、関係性はとても良好のようです。
西岡良仁の交際相手は檜山沙耶
西岡良仁さんは、気象キャスターの檜山沙耶さんとの交際を公表しました。
また、檜山さんもこのようにTwitterで報告しています。
名前:檜山沙耶(ひやま さや)
ニックネーム:さやっち
生年月日:1993年10月27日
年齢:29歳(2023年7月時点)
出身:茨城県水戸市
身長:159.5 cm
血液型:A型
職業:気象キャスター
事務所:ウェザーニューズ
西岡良仁さんと檜山沙耶さんが交際しているのではとささやかれたのは、2023年7月4日にイギリスで開催されたウィンブルドン選手権で、檜山沙耶さんらしき人物がTVの中継に映り込んだことがきっかけでした。
しかも、檜山沙耶さんが座っている席は家族関係者が座れるファミリーシートなので、親密な関係なのでは?と噂になりました。
また檜山沙耶さんの隣には、西岡良仁さんの母親であるきみえさんが座っていたので、きっと両親公認だったのでしょう。
お二人の年齢的や両親公認ということからも、結婚も間近かもしれませんね。
お二人ともとっても爽やかでお似合いのカップルだね。
まとめ
ここまでテニスプレイヤーとしての西岡良仁さんの歩み、そしてプライベートの部分にもまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると
・三重県津市出身の27歳
・両親がテニススクールを運営しており、兄が通っていた影響で始めた
・最終学歴は青森山田高等学校
・2023年6月20日付けで世界ランキング24位という成績
・お天気キャスターの檜山沙耶と交際を公表
・家族は父親・母親・兄の4人でテニス一家
となります。
西岡良仁さんはテニスプレイヤーとして、これからますます活躍が期待されることでしょう。
もちろんそれはご自身の努力の結果でもありますが、周りの家族や恋人が辛い時期も支えてくれたことも大きいのではないでしょうか?
これからも公私ともに、より充実した日々になりますよう応援しています。