関田誠大(バレー)学歴や経歴とWikiプロフ!父親も元バレー選手で柳田選手と知り合い!母親や姉など家族構成!

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関田誠大さん(バレー)は、2021年に開催された東京オリンピックに出場するなどし、海外チームでのプレー経験もある方です。

東京オリンピックでは、チームをベスト8に導く活躍を見せました。

チームの司令塔という役割を担っている関田誠大さんとは、一体おのような人物なのでしょうか?

また、プライベートや家族なども気になりますよね。

今回のこの記事では

・関田誠大のWikiプロフィールについて知りたい
・関田誠大のポジションについて
・関田誠大の出身中学や高校について
・関田誠大の経歴を時系列でご紹介
・関田誠大の家族構成や結婚について

これらのことに注目し、関田誠大さんのバレーボール選手とプライベートの両面に迫っていきたいと思います。

関田誠大さんに興味がある方はもちろん、この記事をきっかけで関田誠大さんを知っていただけると幸いです。

目次

関田誠大のWikiプロフィール

画像引用:ジェイテクトSTINGS

名前:関田 誠大(せきた まさひろ)
ニックネーム:ゴリポン/セキタ
国籍:日本
生年月日:1993年11月20日
年齢:29歳(2023年7月時点)
出身地:東京都江東区
身長:175cm
体重:71kg
血液型:B型
所属:ジェイテクトSTINGS(背番号12)
利き手:右

関田誠大さんは、東京都出身の29歳です。

過去の写真など比較すると、けっこう髪型やひげの有無でかなり印象の変わる方だなと思いました。

短髪の時も少し長めの髪もとても似合っていて、髪型をよく変えているのでおしゃれに敏感な方なのかもしれませんね。

身長は175cmなので、バレーボール選手としては高い方ではありません。

しかし身体能力はとても高い方なので、背のハンデは気にならないほどです。

試合の経験も豊富な選手で、チームの司令塔としても活躍するなど今後も期待できるバレーボール選手です。

関田誠大のポジションはセッター

関田誠大さんのポジションはセッターです。

【セッターとは?】
バレーボールでのセッターの役割は主に2つで、”スパイカーへのトス””両チームの状況判断”
定位置としては、アタックライン内の中央~少しライト側の位置


バレーボールにおけるルールとしては、相手のコートにボールを打ち返すまでに3回ボールに触れるというルールがあります。

その3回のうち、1回は必ずセッターがスパイカーにトスを上げることになるのでスパイクを打つ人にトスを上げるというのがメインのポジションとなります。

いわば、攻撃がうまくいくかどうかの重要なポジションといえますよね。

スパイクを打つ人にとって、スパイクしやすいトスは様々です。

そういった事から、スパイカーとのコミュケーションは大切です。

また、セッターは”チームの司令塔”とも言われています。

これは、味方チームや敵チームの状況把握、そして分析してチームメイトを動かしゲームコントロールするポジションでもあるからです。

より良いセッターになるためには、

・ボールに素早く反応できる俊敏性
・正確なトスを上げられる筋力
・試合全体の状況把握をしてゲームコントロールできる判断能力と冷静さ
・リーダーシップが取れる統率力

このようなことが必要です。

関田誠大さんは、正確なトス回しとミドルアタッカーを生かした攻撃をよく取り入れるセッターということで定評がある方です。

また試合経験が豊富な選手なので、リーダーシップや判断能力が長けているといっていいでしょう。

いぬ

一言でセッターと言っても、求められる能力ってたくさんあるだね。

関田誠大の学歴

関田誠大さんの最終学歴は大学卒業です。

画像引用:Instagram

関田誠大さんの高校や大学などの学歴についても見ていきましょう。

【2006年/12歳】
中之台小学校卒業

【2009年/15歳】
駿河台学園中学校卒業

【2012年/18歳】
東洋高等学校卒業

【2016年/22歳】
中央大学卒業

うま

関田誠大さんはどんな学生だったんだろうね?
いつからバレーボールを始めたのかも気になるね。

出身小学校は中之台小学校

関田誠大さんが通っていた小学校は、

中之台(なかのだい)小学校
(東京都葛飾区)

関田誠大さんは出身地が江東区で小学校が葛飾区ということなので、もしかしたら幼少期に引っ越ししたか、もしくは越境入学をされた可能性が考えられます。

関田誠大さんには姉がいますが、姉の影響を受け

小学1年生の頃にバレーボールを始めた

やはり、兄弟からの影響を受けて活躍しているスポーツ選手は多いですね。

小学生の時には、

東金町ビーバーズ(25期)に所属

このバレーボールチームは東京都葛飾区で活動している創設42年(2023年時点)を迎える老舗の小学生バレーボールチームです。

”夢と勇気”をモットーとして、子供たちの健康と心の成長に取り組んでいるチームです。

このチームの出身者には以下の方たちがいます。

・長内美和子選手
・田原愛里選手

そして意外な人物でいうと、お笑いタレントの平野ノラさん(5年生の時に全国優勝)も所属していました。

東金町ビーバーズは全国大会で優勝するような経歴を持つ強豪チームです。

東金町ビーバーズに入った関田誠大さんは、ここからバレーボール選手として頭角を現していきます。

出身中学校は駿河台学園中学校

中之台(なかのだい)小学校を卒業した関田誠大さんは、

駿台学園(すんだいがくえん)中学校
(東京都北区王子六丁目)

に入学します。

ここは私立の中学校で、普通科の特選クラスと総合クラスに分けられています。

この中学校は男子バレーボール部が強豪校として有名です。

今までにも全日本中学校バレーボール選手権大会に15回も出場経験があり、 優勝は7回・準優勝4回という成績を残しています。

関田誠大さんが駿河台学園中学校を選んだ理由も納得できますよね。

しかしバレーボールの世界はそう甘くはなく、関田誠大さんが中学一年生の時は試合にあまり出ずに球拾いが主でした。

きっとその当時は、上級生にレベルの高い選手がいてレギュラーは狭き門だったのでしょう。

この中学校の出身者がこちら。

・関舞選手
・今村優香選手(久光スプリングス
・加地春花選手(トヨタ車体クインシーズ)
・村山豪選手(ジェイテクトSTINGS)

関田誠大さんは中学3年生になると、今のポジションであるセッターとして活躍し始めます。

そしてセッターとして参戦した中学三年生のときの全国大会では優勝しています。

また、この当時に行われた北京オリンピック予選のバレーボールの試合を見ていた関田誠大さんは、バレーボールチームが一体となり、そして次第に体育館という場所が一体化していくのを感じ感動しました。

これをきっかけにオリンピックという夢が関田誠大さんの中で大きくなっていきます。

うさぎ

球拾いをしていた関田誠大さんなんて、今では想像がつかないよね。

出身高校は東洋高等学校

関田誠大さんが通っていた高校は

東洋(とうよう)高等学校
(東京都千代田区神田三崎町)

バレーボール選手として、より高見を目指したい関田誠大さんがこの高校を選んだ理由は、

柳田将洋(やなぎだ まさひろ)に一緒にやろうと勧誘された

【柳田将洋とは?】
・アジア男子選手権大会では金メダルを獲得
・バレーボール男子日本代表の主将も務めたことがある選手
・2023年7月1日には”東京グレートベアーズ”入団

柳田将洋さんと関田誠大さんは、漢字が違いますが同じ”まさひろ”という名前というのも縁を感じますが、実はお2人の父親同士が知り合いでした。

東洋高等学校に入学した関田誠大さんは、高校1年生の時ですでにレギュラーのセッターとして活躍を見せます。

そして迎えた2010年に行われた春の高校バレーでは同じチームメイトの柳田将洋さんと共に初優勝を飾りました。

2011年の春の高校バレーでもベスト4という成績を残しています。

ちなみに、この東洋高等学校出身者のバレーボール選手も多くいます。

・笠原紀久選手
・町野仁志選手
・高杉洋平選手(東レアローズ所属)
・相原昇監督(バレーボール指導者)

このような方々がいます。

関田誠大さんは、この高校で柳田将洋さんとの出会いや春高バレーでの優勝という貴重な経験を重ねていきます。

こあら

人と人との出会いが人生を大きく変えることもあるよね。

出身大学は中央大学

関田誠大さんが通っていた大学は、

中央大学法学部
(2023年度から文京区に移転)

関田誠大さんが中央大学に在籍していた時には2歳年下に男子日本代表の石川祐希選手もいました。

くま

運命を感じざるを得ませんね。

そして関田誠大さんが大学3年生の時には、セッターとして活躍し見事にチームをインカレ優勝へと導いて自身もセッター賞を獲得しています。

その後大学4年生になる頃には、チームのキャプテンを見事に務め上げてインカレで再びチームを優勝に導きます。

またその大会でも関田誠大さんは最優秀選手賞を受賞するほどに成長します。

その年にはユニバーシアード(2015年に開催した第28回光州大会)にも出場しています。

ちなみに、チームのキャプテンとなり最優秀選手賞までもらっている関田誠大さんですが本人は大学ではキャプテンをするつもりはありませんでした。

きっとキャプテンとしての苦悩なども知った上でのことでしょう…

いぬ

キャプテンになると、責任という重圧もあるだろうし大変だったんじゃないかなぁ?

関田誠大の経歴

画像引用:Instagram

ここからは、関田誠大さんの経歴についても見ていきましょう。

【2015年~2018年/21歳~24歳】
パナソニック・パンサーズに入団

【2018年~2021年/24歳~27歳】
堺ブレイザーズに移籍~東京オリンピック出場

【2021年~2022年/27歳~28歳】
ポーランド1部リーグのクプルム・ルビンに移籍

【2022年/28歳~】
ジェイテクトSTINGSに入団

【2015年~2018年/21歳~24歳】
パナソニック・パンサーズに入団

関田誠大さんが大学4年生の2015年12月1日には、パナソニック・パンサーズに内定が決まりました。

ちなみに、同期は今村貴彦選手と山内晶大選手です。

2016年シーズンになるとVリーグの選手となりましたが、同じチームにはライバルともいえる深津英臣選手がいて、セッターとしての地位を不動としていました。

【深津英臣(ふかつ ひでおみ)とは?】
・愛知県豊田市出身の33歳(2023年7月時点)
・アジア選手権で優勝してベストセッター賞を獲得
・全日本男子の主将を務めた
・現在もパナソニックパンサーズに所属

心強いチームメイトであり、セッターのポジション争いでは強敵ともいえる深津英臣選手の壁は高く、関田誠大さんが入団してから3年間くらいは試合に出ることは多くありませんでした。

しかし、そんな中でも確実にセッターとしての力を発揮していきます。

・2016年/日本代表メンバーに選出
・2016年/リオデジャネイロ五輪男子世界最終予選(兼アジア予選)メンバーにも選ばれる(最後の2試合ではスタメン出場し活躍)
・2017~2018年シーズン/天皇杯・Vリーグ・黒鷲旗に出場し、チームに貢献
・2018年/世界選手権出場

しかし、関田誠大さんはこの時代、自身の活躍には満足できず、控え選手となることも少なくありませんでした。

そのため、もっと試合に出て活躍するために堺ブレイザーズに移籍を決意します。

【2018年~2021年/24歳~27歳】
堺ブレイザーズに移籍~東京オリンピック出場

意を決して堺ブレイザーズに移籍した関田誠大さんは、移籍して1年目から、自身の念願であった正セッターとなることができました。(背番号11)

その後はパナソニックパンサーズ時代の2倍相当となる試合数をこなしていきます。(1シーズン/約100試合)

これは、関田誠大さんにとって申し分ない出場数だったのではないでしょうか?

この時代の関田誠大さんの功績がこちら。

・2018年/バレーボール男子世界選手権に出場
・2019年/FIVBワールドカップバレーボール2019において4位
・2019年/バレーボール男子アジア選手権にて3位
・2021年/念願の東京オリンピックに出場しベスト8入り

2021年の東京オリンピックでは司令塔のセッターとして、コート中央からの早い攻撃を相手に効果的に使う配球を見事にやりとげ、見事日本を29年ぶりのベスト8に導きました。

しかし関田誠大さんにとってはベスト8という結果も満足のいく結果ではなかったようで、

もっと上位を目標にしていたので達成できなかったのは正直悔しいです。

でも、けっこう自分たちの実力が出せた試合だったという充実感も感じています。


ただ、海外チームとの力の差をあらためて感じましたね。

くま

この年は関田誠大さんが急成長した時期だったように思うけど、目標はさらに高くってことだね。

【2021年~2022年/27歳~28歳】
ポーランドのクプルム・ルビ[Cuprum Lubin]に移籍

関田誠大さんは東京オリンピック終了後に、堺ブレイザーズを退団します。

そして、

ポーランド1部リーグのクプルム・ルビンに移籍を発表

ポーランドは、イタリアと並んでバレーボールの最高峰と言われている世界トップクラスのバレーボールリーグです。

関田誠大さんは堺ブレイザーズで充実した選手としての活動を行っていたように思いましたが、海外進出することに決めたのは関田誠大さんにとっては急なことではありませんでした。

それは

海外進出したいと思ったのは中央大学の時

石川祐希選手ががイタリアに行ったのをきっかけに、いつしか自分行きたいと思うようになりました。


そして、より強いチームでプレーすることで、その実力を自分の肌で感じることはとても大切なことなんだと石川祐希選手の姿を見て実感しました。

なんと、海外プレーしたいと思ったのは大学時代でした。

日本での選手としての実績をしっかり残し、海外進出するタイミングを見ていたのかもしれませんね。

そして2つ下の後輩であった石川祐希選手の活躍もかなり刺激になりました。

【石川祐希(いしかわ ゆうき)とは?】
愛知県岡崎市出身
2021年には全日本代表の主将に就任
現在はイタリアのパワーバレー・ミラノに所属し活躍中

関田誠大さんは、クプルム・ルビンに移籍した後もスタメンで試合に出場する機会も多くありました。

また、献身的なセッターとしてのプレーでチームメイトからの信頼も厚い選手として活躍しました。

クプルム・ルビンは、柳田将洋も以前所属していたチーム

【2022年/28歳~】
ジェイテクトSTINGSに入団

クプルム・ルビンに移籍し、1シーズンプレーした関田誠大さんはその後、

2022年6月1日に、”ジェイテクトSTINGS”に入団

となり、現在に至ります。

うま

これからの活躍がより楽しみだね。

関田誠大の家族構成

関田誠大選手の家族構成は、両親と姉の4人家族です。

画像引用:Instagram

関田誠大さんの家族構成は、

父親・母親・姉・本人の4人家族

では家族について一人づつ見ていきましょう。

関田誠大の父親も元バレーボール選手

関田誠大さんの父親は、柳田将洋選手の父親と知り合いだったことから「元バレーボール選手なのではないか?」という可能性が高いです。

関田誠大さんと柳田将洋選手がバレーボール選手となったのも、このお二人の父親の影響が強いと考えると

バレーボール選手だった過去がある

と考えられますよね。

父親同士は知り合いと言われていますが、単なる知り合いではなくバレーボール選手としてのライバルだったりした過去があっても不思議ではありませんね。

関田誠大の母親も元バレーボール選手

柳田将洋選手の母親は元バレーボール選手でしたが、関田誠大選手の母親が元バレーボール選手だったかはわかっていません。

お二人のご両親が全員元バレーボール選手とは限らないのですが、関田誠大さんの母親が元バレーボール選手だった為に、父親と出会っていた、といった可能性も考えられます。

関田誠大の兄弟は姉が一人

関田誠大さんには、姉が一人います。

関田誠大さんは小学一年生の時に、姉の影響でバレーボールを始めていますので、姉も東金町ビーバーズに所属していたのでしょう。

家族全員が、どこかでバレーボールに繋がっているという可能性は高いと考えられますね。

こあら

家族の方々は一般の方の方なので、写真は公開していないですね。

関田誠大は既婚者

関田誠大さんは、2022年に結婚報告しています。

2022年1月3日に結婚報告

関田誠大さんの献身的でクールなプレーや、かわいらしい笑顔が好きなファンにとっては既婚者である事に少しショックを受けたかもしれませんね。

結婚報告した文面を確認してみると「昨年お付き合いしていた方」という言葉があるので、お付き合いは少なくとも1年以上のようですね。

そんな人気選手の関田誠大さんの心をつかんだお相手の妻(嫁)が、誰なのかやはり気になりますよね。

しかし、関田誠大さんは結婚相手に関することをSNSには投稿していませんので、顔や名前は分かりませんでした。

お相手の方が一般の方と考慮してのことでしょうね。

うさぎ

いつかスポーツ番組とかで紹介してほしいな…

まとめ

関田誠大さんのバレーボール選手としての学歴経歴、そして家族についてや結婚などに迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?

簡単にまとめると、

・東京都出身の29歳
・ポジションはセッターでチームの司令塔として活躍
・最終学歴は中央大学法学部
・大学卒業後にパナソニック・パンサーズに入団
・堺ブレイザーズに移籍~ポーランド1のクプルム・ルビンに移籍し現在はジェイテクトSTINGSに在籍中
・家族構成は父親、母親、姉、本人の4人家族
・2022年に結婚発表している

このようになります。

海外でのプレーを経て、現在はジェイテクトSTINGSに在籍している関田誠大さんは、公私ともに充実し、バレーボール選手としてこれからまた新たな躍進を見せてくれることでしょう。

これからも関田誠大さんの活躍を見守りたいと思います。

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