三笘薫のWikiプロフや経歴と学歴!生い立ちや高校時代のエピソードと大学など学歴がすごい!【最新情報】

2022年FIFAワールドカップの日本代表選手に選ばれた三笘薫選手は、プロ入りが打診されていたにも関わらず、大学へ進学し、その後プロ入りされた異例の経歴を持つ選手です。

そんな三笘薫選手は、小学生時代ではファンクラブができるほど人気だった事や、中学生時代には敵チームの監督から称賛されるほどの実力を持っているなど、他にも様々な伝説エピソードを残しています。

現在はイングランドのプレミアリーグで活躍されていますが、それまでの経歴や伝説のエピソードについても気になります。

そこでこの記事では…

●三笘薫のwikiプロフィール
●三笘薫の「ひばり幼稚園」時代
●三笘薫の「鷺沼小学校」時代
●三笘薫の「有馬中学校」時代
●三笘薫の「橘高校」時代
●三笘薫の「筑波大学」時代
●三笘薫の伝説エピソード

等についてまとめていきたいと思います!

三笘薫選手のサポーターも、ワールドカップではじめて三笘薫選手を知った方もご覧ください。

目次

三笘薫のWikiプロフィール

引用:JFAニュース

プロフィール
●名前:三笘 薫(みとま かおる)
●生年月日:1997年5月20日(2024年1月現在 26歳)
●出身地:神奈川県川崎市宮前区
●最終学歴:筑波大学
●家族:父・母・兄
●身長:178cm
●体重:71kg
●ポジション:FW・MF
●利き足:右
●愛用のスパイク:PUMA ウルトラアルティメット
●川崎フロンターレで長きに渡り活躍
●2022年FIFAワールドカップ日本代表に選抜
●現在の所属FC:ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC

三笘薫選手は、兄の影響でサッカーを始めていますが、その後川崎フロンターレユースに加入し、トップリーグからのオファーを断ってまで大学に進学いたしました。

大学卒業後は川崎フロンターレに入団して活躍していましたが、イングランドのプレミアリーグに移籍し、活躍されています。

トップリーグのオファーを断ってまで大学に進学した経緯は、自身の今の技術では活躍できそうにないといった自分にストイックな理由からでしたので、向上心が強く、凄い方だと尊敬します。

三笘薫の生い立ち(学歴)

学歴
●ひばり幼稚園
●鷺沼小学校
※さぎぬまSCを経て、川崎フロンターレユースへ加入
●川崎市立有馬中学校
※中学1年生(12歳)の時、川崎フロンターレU-15へ昇格
●川崎市立橘高校
※高校1年生(15歳)の時、川崎フロンターレU-18へ昇格
●筑波大学

サッカーが盛んな川崎で幼少期からサッカーをされていましたので、周りにもサッカー少年が多かったと思いますので、ライバルが多い分、本気で練習したで事しょう。

三笘薫選手は小学生の頃から川崎フロンターレユースに加入していますが、ユース時代どんなサッカー生活を送られてきたのか、年代別にまとめていきたいと思います。

三笘薫の幼少期

三笘薫選手には3歳年上の兄がいらっしゃいます。兄は俳優でモデルの結木滉星さんで、その兄の影響でサッカーを始めており、

小さなゴールネットをリビングに置き、ボールを蹴っていました。

三笘薫選手の父親は陸上競技をされていて、母親はバレーボールをされていたので、まさにスポーツ一家ですね。

うま

運動神経の良さは、親譲りなんだなぁ。

通った幼稚園は「ひばり幼稚園」

三笘薫選手の通った幼稚園は神奈川県川崎市のひばり幼稚園です。

引用:Twitter

なでしこジャパンにも選抜された日テレベレーザの三浦成美選手とは幼なじみです。

家族ぐるみの付き合いだったそうで、三浦成美選手は三笘薫選手の事を「お兄ちゃん的な感じで、頼りがいがある」と当時の事を語っていました。

ひばり幼稚園ではキリン組でした。

こちらの写真は、サッカーアースという番組で流れたものですが、三笘選手が可愛すぎる!と話題になりました。

うさぎ

確かに女の子と間違われそうなくらい可愛いですね♪

三笘薫の出身小学校は「鷺沼小学校」

三笘薫選手の通った小学校は鷺沼小学校です。

引用:川崎フロンターレ

幼稚園の頃からサッカーボールを蹴ったりしていましたが、本格的にサッカーを始めたのは小学2年生の頃でした。

さぎぬまSCでプレーされていましたが、川崎フロンターレにジュニアチームができる事になり、セレクションを受けた所、見事合格した為、小学3年生(8歳)から川崎フロンターレU-12に入団 しました。

川崎フロンターレユースは、ご両親が見つけてきてくれたそうで、あの時入団テストを受けさせてくれた両親には感謝しかないと語っています。

うさぎ

サッカーに打ち込めたのは、
ご両親のサポートあっての事ですものね…

川崎フロンターレU-12はプロチームの育成組織なので、かなり厳しい世界だったと三笘薫選手も過去を振り返っていました。

サッカー以外の所でも、人の目を見て話す事や、自分から意見を言う事等、サッカー以外の事も多く学ばれました。

1つ上の学年にはロイヤルアントワープFCの三好廉児選手や、ボルシア・メンヒェングラートバッハの板倉滉選手等、素晴らしい選手が揃っており、求められる基準も高かった為に、日々ついていくのが必死だったと以前語っていました。

小学生の時は、憧れだった川崎フロンターレの中村憲剛選手と手をつないで競技場に入場した事もあります。

引用:Twitter

しかし後にプロ入りしてからは、中村憲剛選手の現役最後の得点をアシストするまでになり、一緒にプレーできた事は本当に嬉しかったと思います。

また、俳優の松重豊さんとは家族ぐるみの付き合いで、子供の頃は松重豊さんと同じマンションに住んでいた事があります。

以前隣に住んでいたおじさんです。

と口火をきった松重豊さんは、

「お母さんの帰りを待つ間、うちのリビングでゲームをしていた少年が、
まさか日の丸を背負う事になるとは!

と松重豊さんは昔を懐かしんで声援を贈った事が、2022年ワールドカップの時、大きな話題になりましたね。

松重豊さんも、自分が可愛がっていた子が世界で活躍している姿を見て、本当に嬉しそうでした♪

三笘薫選手は、小学5年生と時と6年生の時に全日本少年サッカー大会(現在のJFA全日本U-12サッカー選手権大会)に二大会連続出場しています。

また小学6年生の時にはチームキャプテンとしても活躍していました。

引用:サカママ

キャプテンに抜擢された理由は、チームのまとめ役にふさわしいといったわけではなく、単純に一番上手だった為に選ばれたみたいですね

当時はボランチでプレーしていますので、チーム全体をみるという経験はこの時に培われたのかもしれません。

三笘薫と田中碧は幼馴染

引用:Twitter

田中碧選手とは、川崎市の少年サッカークラブさぎぬまSC川崎フロンターレU-12で共にプレーしていました。

同じ川崎市立鷺沼小学校に通っており、1学年違いのふたりが同じチームで活躍する事に対して、サポーター達は三笘薫選手と田中碧選手の事を「さぎぬま兄弟」と親しんでいます。

2022年FIFAワールドカップの後は、

●リアルキャプテン翼
●大野くんと杉山くん(ちびまる子ちゃん)の将来像
●さぎぬま兄弟が無敵艦隊(スペイン)を撃破

等、さぎぬま兄弟の活躍に感激の声が飛び交っていました!

2022年のワールドカップでは、幼なじみの2人が優勝候補のスペインを撃破するという素晴らしい活躍で日本中に歓喜をわかせました!

その時決勝トーナメント進出を決めた立役者の田中碧選手が2点目を決めた際、アシストしたのが三笘薫選手で、試合終了後に2人が抱き合ってピッチに倒れ込んでいる様子には、日本中が涙しましたね。

この試合は三笘薫選手の折り返しのゴールが、ギリギリピッチ内に残っており、ゴールが認められました。

引用:スポニチ

このギリギリのラインに残っていた瞬間を「三笘の1mm」と呼び当時のニュースでも毎日の様に取り上げられていました。

三笘薫選手の1学年下に田中碧選手がおり、ふたりはさぎぬまSC時代から共に切磋琢磨してきた戦友です。

揃って日本代表選手に選出された事も本当に嬉しかったと思いますが、2人で力を合わせて決めたワールドカップでのゴールは言葉にできない喜びがあった事と思います。

小学校時代の三笘薫、伝説エピソード

さぎぬまSCの夏合宿終了後、夏の思い出を文集にする事が恒例だったのですが、他の子供達がサッカーのエピソードを書くなか、三笘薫選手はスイカ割り、一番最初に割れて嬉しかった!と書いた珍エピソードがあります。

また幼少期からモテモテだった三笘薫選手は、小学生ながら三笘薫ファンクラブがありました。

三笘薫選手は、9歳の時川崎フロンターレユースに加入しており、小学4年生が中心のセレクションに小学3年生で選ばれる等、常に1つ上のクラスでプレーしていました。

くま

実力は上級生並みだったって事ですよね。

また三笘薫選手は、さぎぬまSCでプレーしていた幼少期にゲーゲンプレス(相手のプレスに対する戦術)の重要性をすでに理解していました。

ゲーゲンプレスとは?】

相手にボールを奪われた瞬間に激しくボールを奪い返しにいく守備戦術です。
ゲーゲン(Gegen)はドイツ語で「反対・対立」という意味で、「相手のプレスに対するプレス戦術」です。

この頃の三笘薫選手の活躍を振り返ったさぎぬまSC代表の澤田秀治さんは、

小学2年生でこんな事ができる子は、今までいなかった。

と驚きを隠せませんでした。

冷静に状況判断できており、小学生の頃から本当に凄い子でした。と絶賛しています。

猪突猛進タイプで、目標に向かってひたすら突き進む性格の三笘薫選手は、ボールを取ったら無我夢中でゴールに突き進んでいた為、チームメイトから「パス出せよ!」とよく言われていて、

その際も「何でだよ!」と言い返し、ドリブルし続けていました

気の強い性格で、負けず嫌いだからこそ今の三笘薫選手があるんでしょうね。

三笘薫の出身中学校は「川崎市立有馬中学校」

三笘薫選手の通った中学校は川崎市立有馬中学校です。

三笘薫選手は小学生の頃から引き続き、川崎フロンターレU-12から川崎フロンターレU-15に昇格し、プレーしています。

引用:集英社

川崎市立有馬中学校は、全校生徒800人のマンモス校ですので、おそらく1学年5~6クラスあったのではないでしょうか?

三笘薫選手や田中碧選手以外にも、

●雄平(プロ野球選手)
●新井恵理那(アナウンサー)
●ベッキー(タレント)
●木口亜矢(タレント)

等がいます。年代が違うので、同じ時期に中学時代を過ごしていたわけではありませんが、結構著名人がいらっしゃるのですね♪

川崎フロンターレU-15の監督は中学時代の三笘薫選手の事を右肩上がりに、順調に成長していった。と語っていました。

三笘薫の中学時代の伝説エピソード

三笘薫選手は、敵チームの監督から称賛されるほどの実力でした。

クラブユース選手権の準決勝、川崎フロンターレユースvsガンバ大阪ユースが対戦しました。

この試合で川崎フロンターレユースは負けてしまいましたが、試合の後ガンバ大阪ユースの監督は「ここまで崩されたのは川崎フロンターレが初めて」三苫薫選手の事を絶賛していました。

こあら

敵チームから称賛されるなんて本当に凄いプレイヤーなんだね。

当時ガンバ大阪ユースにはスター選手が揃っていましたが、三苫薫選手のドリブルを食い止める事は困難だったと当時の監督は語っています。

三笘薫選手といえばドリブルが凄い事で有名だった為、三笘薫選手のドリブルには敵チームも常に警戒していました。

三笘薫の出身高校は「川崎市立橘高校」

三笘薫選手の通った高校は川崎市立橘高校です。

引用:川崎市立橘高校公式

神奈川県川崎市立橘高校は、川崎市中原区に位置する共学高等学校です。

普通科、国際科、スポーツ科がありますが、三笘薫選手が何科のクラスに居たのか公表されていません。

しかしスポーツ科の可能性が高いと考えられますね。

スポーツ科がある公立高校は珍しいですので、橘高校を選んだのかもしれません。

また川崎市立橘高等学校は進学校としても実績がある高校で、

●明治大学
●青山学院大学
●立教大学
●法政大学
●中央大学

等の有名私立大学に合格者を多く輩出しています。

また多くのスポーツ選手や有名人も卒業しており、三笘薫選手の他に、

●新井直登(サッカー選手)
●塚田しおり(バレーボール選手)
●島村春世(バレーボール選手)
●横田千里(元バレーボール選手)
●近藤志歩(元バレーボール選手)
●吉村志穂(元バレーボール選手)
●白岩直也(元バレーボール選手)
●山本洋平(元バレーボール選手)
●黒岩俊喜(ボブスレー ソチ五輪代表選手)
●丑山努(元プロ野球選手)
●根本りつ子(女優)
●塚越孝(元アナウンサー)

等がいらっしゃいます。

いぬ

特にバレーボール選手が多いですね。

「川崎市立橘高校」の偏差値は?

引用:Twitter

川崎市立橘高等学校の偏差値は44~58(科によって異なる)

●普通科:偏差値58
●国際科:偏差値54
スポーツ科:偏差値44

三笘薫の高校時代の伝説エピソード

引用:Twitter

三笘薫選手は川崎市立橘高等学校に進学した後、高校の部活に入部せず川崎フロンターレU-18に昇格しプレーしていました。

2015年2月、高校2年生の時に行われたアルビレックス新潟とのテストマッチで、脅威的なドリブルを披露した三笘薫選手はプロからゴールも奪っています。

テストマッチにも関わらず驚異的なドリブルを見せ、プロからゴールを決めた事は、サッカー関係者やサポーターの間で、かなり話題になっていました。

トップチームへの昇格を打診されていた三笘薫選手ですが、プロで活躍できる確信が持てない。といった理由でトップ昇格を断り、スポーツ推薦で筑波大学体育専門学群への進学を決めました。

くま

プロからオファーがあったのに凄い決断だなぁ。

三笘薫の出身大学は「筑波大学」

三笘薫選手の通った大学は筑波大学です。

引用:筑波大学公式

茨城県つくば市に位置する筑波大学は国立大学です。

まほ

この筑波大学時代に今の奥さんと出会ったんだよね。

スポーツの強豪校でもあり、蹴球部(サッカー部)は、全日本大学サッカー選手権大会で4度の優勝を記録しており、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントでも3度優勝しています。

他にも、バスケットボール・バレーボール・野球・ラグビー・陸上・柔道 等も優勝経験があり、オリンピック選手も輩出しています。

筑波大学の現役サッカー選手
阿部翔平 所属:SHIBUYA CITY FC
安藤梢 所属:三菱重工浦和レッズレディース
(ロンドン五輪・北京五輪・アテネ五輪代表、FIFA女子ワールドカップ日本代表)
横山亜依 所属:愛媛FC
岡田隆 ジュビロ磐田
玉城峻吾 ツエーゲン金沢
熊谷紗希 所属:FCバイエルン・ミュンヘン
(ロンドン五輪代表・FIFA女子ワールドカップ日本代表)
作田裕次 所属:ツエーゲン金沢
三丸拡 所属:柏レイソル
山越享太郎 所属:栃木SC
車屋紳太郎 所属:川崎フロンターレ
小澤司 所属:FC今治
森谷賢太郎 所属:サガン鳥栖
瀬戸口梢 所属:ちふれASエルフェン埼玉
早川史哉 所属:アルビレックス新潟
谷口彰悟 所属:アル・ラーヤンSC
中山雅史 所属:アスルクラロ沼津
中野嘉大 所属:湘南ベルマーレ
奈良輪雄太 所属:東京ヴェルディ
八反田康平 所属:ジェイリースFC
木島悠 所属:ジェイリースFC
猶本光 所属:三菱重工浦和レッズレディース
野本泰崇 所属:奈良クラブ
戸嶋祥郎 所属:柏レイソル
西澤健太 所属:清水エスパルス
小笠原佳祐 所属:藤枝MYFC
鴨川 実歩 所属:ジェフユナイテッド市原・千葉レディース

筑波大学の偏差値

筑波大学の偏差値は55~65(科によって異なる)

体育学群の共通テスト得点率は70%です。

三笘薫選手は筑波大学をスポーツ推薦で入学

三笘薫選手は一般入試では無くスポーツ推薦で筑波大学に入学しました。

スポーツ推薦は、高校時代の学力や偏差値は関係ありませんので、偏差値44の高校に通っていたとしても国立大学に入学できました。

プロの世界でトッププレイヤーとして活躍する自身が持てなかった三笘薫選手は、筑波大学でサッカーに打ち込み、更に実力を付けていきました。

引用:Twitter

プロへの道が遠回りになったとしても、大学で鍛えなおしたいといった思いから大学進学を決意されたのでしょう。

大学出身のJリーガーも多く居らっしゃいますが、ほとんどの方が高校卒業の時プロチームからのオファーがなかった為に大学に進学しています。

しかしオファーがあった三笘薫選手は自ら遠回りをするといった決意をした事には、高校生にしてその様な冷静な決断ができる人は、なかなか居ない。

ともったいない気持ち半分、むしろ称賛の声の方が多かったですね。

三笘薫の卒業論文が話題に

引用:Getty Images

卒業論文のテーマはサッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究

ドリブルが優れたグループと劣っているグループとでは何が違うのか?頭にGoProを着けてボールを持って走りながら、実際の撮った映像を解析し、相手の視線がどこにありどう反応するのかを、ひたすら研究していました。

三笘薫選手が卒業論文のテーマを提示してきた当時、

●ドリブルを極めたい
●もっと深く考えたい

といった強い意志を感じました。と当時の様子を筑波大学でサッカー部を指導していた小井土監督が語っていました。

学生がテーマに選ぶ多くのケースはゲーム分析系だそうで、実際に試合を観て統計データを算出すれば結果が出る為、失敗は少ないと思われますが、

三笘薫選手は、実験型のテーマを選んでいたので極めて稀なケースだとして称賛されており、

卒業論文のテーマがドリブルに特化されていた事にイギリスのデイリーメール紙も熱視線を送っていました。

三笘薫の大学時代の伝説エピソード

三笘薫選手が、トップリーグからのオファーを断り、大学へ進学した事は有名な話です。

そんな大学時代、大学2年生の時に出場していた天皇杯でベガルタ仙台相手に60m以上の距離を一人でドリブルし、ゴールを決めるという驚異的なプレーを見せています。

うま

子供の時から変わらず猪突猛進なんだね。

なりたい自分像を具体的にイメージし、現在の自分に何が足りないのか?またどんな武器を身につけるべきか?等をしっかりと把握しており、

大学4年間で、三笘薫選手はやるべきことを明確にし、それに向かって地道に努力し続けました。

筑波大学サッカー部では、陸上の指導者から走り方のアドバイスを受け、身体の仕組みや使い方を論理的に学び、運動生理学や栄養学についても学んでいました。

ユース時代はタイミングや技術で相手を抜くドリブルに特化していましたが、大学では相手を置き去りにするほどの速さも加わり、みるみる内に成長していきましたね。

また、スパサカの11秒チャレンジ2020シーズン俺のココを見てくれに出演された際、

●縦へのドリブル
●アイディアのあるプレー
●アウトサイドでのパス
●狭いエリアでのプレー
笑顔

と回答していましたw

くま

とっても可愛い所があるんだね。

2020年/22歳 川崎フロンターレに入団

引用:Getty Images

略歴
●川崎フロンターレに合格する前は、東京ヴェルディスクールを経てサギヌマSCに入団
●小学3年生(8歳)の時、川崎フロンターレU-12に入団
●中学1年生(12歳)の時、川崎フロンターレU-15へ昇格
●高校1年生(15歳)の時、川崎フロンターレU-18へ昇格
●2020年(22歳)川崎フロンターレに入団
●2021年8月10日(24歳)イングランドのプレミアムリーグ ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに移籍

略歴を見てわかる通り、川崎フロンターレ一筋で幼少期からサッカー人生を歩んできた三笘薫選手は、2020年22歳の時、川崎フロンターレに入団し、プロサッカー選手として活躍されました。

三笘薫選手は筑波大学進学前にお父様と「4年後に戻ってくる」といった約束も交わしており、筑波大学卒業後の2020年に川崎フロンターレに入団し、有言実行しました!

川崎フロンターレ入団後、鋭いドリブルを生かしながら、すぐに活躍していき、三笘薫選手の技術は、止める、蹴るだけだけではなく、外す動き出しも習得していました。

大学卒の初年度はゴールタイ記録である13得点をマークしており、川崎フロンターレで確固たるポジションを手にしていきます。

三笘薫選手はドリブルも上手いが、寄せに行ったら背後を取られる等、駆け引きが非常に上手い!と一緒にプレーしていた選手からも称賛されるほどでした。

努力家で負けず嫌いの三笘薫選手ですが、やり過ぎずオンとオフの使い分けを上手にしていたとも言われています。

うま

やはり何事もメリハリが大事ですね。

イングランドのブライトンへ移籍

川崎フロンターレで活躍していた三笘薫選手ですが、Jリーグから海外に渡ったケースでは史上最高額となる推定300万ユーロ(約3億9000万円)の移籍金を提示され、

東京オリンピック終了後の2021年にイングランドのプレミアリーグであるブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに移籍しました。

しかしサッカー日本代表経験もない事からイギリスの労働ビザの問題で、ベルギーのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへ期限付きでレンタル移籍する事になります。

ユニオンSGでは、RFCスラン戦でハットトリックを達成しチームを逆転勝利へ導きました。

その後、2022年夏よりブライトンへ復帰し、8月13日ニューカッスル・ユナイテッド戦の後半74分、ついにプレミアデビューを果たしました。

三笘薫のサッカー選手としての凄さ

三笘薫選手は、ドリブルの凄さが注目されていますが、一番凄いのはやはりドリブルの失敗数の少なさです。

ドリブル成功数は32回に対してドリブル失敗数は28回です。

数字だけでは凄さが伝わらないかもしれませんが、三笘薫選手はプレミアリーグのドリブル成功ランキング11位に位置しています。

引用:ABEMA TIMES

ほとんどの選手は、ドリブル成功数よりドリブル失敗数の方が圧倒的に多いほど、ドリブルはかなり難易度の高いプレーです。

三笘薫選手は、無理にドリブルを仕掛けるわけではなく、確率が低くなるかもしれないといった場面ではパスを出しています。

そういった的確な状況判断を下すのは、上京の変化が目まぐるしいサッカーでは非常に難しい事です。

そういった判断力も、三笘薫選手の凄さと言えるでしょう…

三笘薫のサッカーに対する思い

三笘薫選手は、自分自身に点をつけるとするなら「70点くらい」と話していた事があります。

その理由は、

自分のプレーを出せた試合は充実していたが、
悔しいシーズンでもあった為

と話しており、自分はもっとやれる!という自信があるのだと思いました。

三苫薫選手の得意であるドリブルは、

常に自分の置き所にボールを置く事を大切にしている

と話しており、置きどころについては、右足のつま先の真ん中だと説明しています。

この置きどころは、近すぎず遠すぎず足首の角度一つでインサイドにもアウトサイドにもどちらにもボールを動かす事ができる位置で、次のプレーに移行しやすい位置でもある絶妙なところです。

また、ドリブルをする時の姿勢にも拘りがあり、頭が下がっていると周りを見渡せないですし、相手にもパスの選択肢はないのだなと感じ取られるので、前を向いて周りを把握している様に見せる。

その様に相手が近づきにくい体制でドリブルをするといった事も考えていらっしゃいます。

そういった細部にまで拘りを持っているからこそ、素晴らしいプレーができるのだと思います。

三笘薫の主な戦績

まとめ

三笘 薫(みとま かおる)
●ひばり幼稚園時代、兄の影響でサッカーを始める
●鷺沼小学校時代、田中碧・権田修一とともにさぎぬまSCでプレー後、川崎フロンターレユースに入団
●有馬中学校時代、川崎フロンターレU-15に昇格し、敵チームからも絶賛されるほどの選手に成長
●橘高校時代、川崎フロンターレU-18に昇格し、プロ並みのプレイヤーとして活躍
●筑波大学へはトップリーグのオファーを断り進学
●2020年 4年後に戻ってくると言った約束を果たし川崎フロンターレへ入団

いかがでしたでしょうか?

幼少期から始めたサッカーを自分なりに極めていき、川崎フロンターレ一筋でしたが、現在はイングランドのプレミアリーグで活躍しています。

子供の頃から努力家で負けず嫌いの三笘薫選手ですので、今後益々実力を伸ばしていく事でしょう…

2026年のワールドカップでも是非日本代表選手として活躍してほしいと願っています。

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