現在、日本のトップリーグにあたるJ1のセレッソ大阪でプレーしている毎熊晟矢(まいくま せいや)選手は、プロデビューした2020年以降、V・ファーレン長崎とセレッソ大阪でのプレーを経て、2023年9月には自身初の日本代表メンバーにも選出されました。
そしてW杯カタール大会で大金星を挙げたドイツ代表との再戦や強豪トルコ代表との試合が予定されているだけに、毎熊晟矢選手の代表初招集は話題になりましたね。
そんな毎熊晟矢選手ですが、普段Jリーグをチェックしていない方にとってはあまり馴染みのある選手ではないかもしれません。
それだけに、毎熊晟矢選手の経歴やプロフィール、どんな選手なのか?この記事では…
・毎熊晟矢選手のWikiプロフィール
・プレースタイル
・選手としてのこれまでの成績
・学歴と経歴
についてまとめました。
この記事を読んで毎熊晟矢選手のことをもっと知っておくと、今後の試合もより一層楽しむことができますよ。
毎熊晟矢(まいくませいや)のWikiプロフィール
まずはじめに、この記事で紹介する毎熊晟矢選手の基本情報をWikiプロフィールをまとめました。
毎熊晟矢Wikiプロフィール
名前:毎熊 晟矢(まいくま せいや)
生年月日:1997年10月16日
年齢:25歳(2023年9月現在)
出身:長崎県
身長:179センチ
体重:69センチ
所属:セレッソ大阪
ポジション:右サイドバック
プロデビュー戦:2020年2月23日J2開幕戦 VS 栃木SC
次からは毎熊晟矢選手のプレースタイルについて詳しく紹介していきます。
毎熊晟矢はどんな選手?
毎熊晟矢選手を端的に表すと、超攻撃的な右サイドバックです。
というのも、実は毎熊晟矢選手は右サイドバックではなく、当初は得点を求められるFWとしてプロ入りしていました。
その後、当時V・ファーレン長崎で指揮を取っていた手倉森誠監督が右サイドバックとしての才能を見出し、プロ一年目でFWから右サイドバックへ転向しました。
プロ一年目でのコンバートは異例ですね。
もともとFWだった経緯があるだけに、足元の技術や攻撃センスは抜群で、非常に攻撃に特化したサイドバックと言えるでしょう。
実際のプレー映像を見たら分かるように、ドリブルもクロスもかなり精度が高く、全体的に右サイドバックとしての能力を高水準で持ち合わせています。
スピードもあり、単身でサイドを突破してチャンスを作り出せる右サイドバックなので、柏レイソル時代の酒井宏樹選手の面影を感じるファンも多いようですね。
毎熊晟矢のプレースタイル4選
ここからは毎熊晟矢選手のプレースタイルの見どころとして、下記の4点をピックアップしました。
①推進力のあるドリブル
②精度の高いラストパス
③自陣でも落ち着いてボールを扱う技術
④90分上下運動を繰り返すスタミナ
それぞれ深掘りして解説していきますね。
プレースタイル①
推進力のあるドリブル
もともとFWでプレーしていただけに、毎熊晟矢選手のドリブルは非常にキレが鋭く、推進力もかなり高いです。
ゴールラインまで1人でボールを運んでクロスをあげるだけではなく、時には相手を交わして中に切れ込んでいくなど、ドリブルのバリエーションも豊富に持ち合わせています。
身体能力も高く、細かなステップなどのアジリティーが高いのも特徴的ですね。
チャンスと見たら相手を何人も交わしてサイドを切り裂いていくその姿は、とても迫力があって見ているファンに期待感を与えてくれます。
日本人離れの迫力がスタジアムを盛り上げています。
とにかくグイグイと前に突き進んでいく勢いが魅力の選手なので、その推進力どこまで通用するかにも注目です。
プレースタイル②
精度の高いラストパス
毎熊晟矢選手はドリブルや推進力だけではなく、ゴールに直結するラストパスの精度もかなり高いです。
その証拠に、V・ファーレン長崎で過ごした2021年シーズンは年間で10アシストを記録しており、アシストランキングでリーグ2位に食い込みました。
ドリブルで相手を抜き去っても最後のラストパスが乱れてしまって、得点に繋がらなかった…なんてシーンはサッカーではよく見られますよね。
ですが毎熊晟矢選手はセンタリングやスルーパスが正確で、殆どミスすることなく味方の足元へと繋ぐ技術を持っています。
もともとの技術の高さは勿論のこと、疲れていてもプレー精度が落ちないフィジカルの代物とも言えますね。
プレースタイル③
自陣でも落ち着いてボールを扱う技術
現代サッカーではハイプレスが主流になっており、サイドバックは狙われやすいポイントの一つになっています。
そのサイドバックにおいて、毎熊晟矢選手は持ち前の技術の高さをうまく生かし、難なくと相手のプレスを掻い潜ることができるんです。
味方を上手く使ったコンビネーションだけではなく、時には自陣からボールを持ち運び相手を交わしていく大胆なプレーを見せることもあります。
決して無謀なトライはせず、確実にボールを失わない判断をすることができ、その判断を実行する技術の高さも毎熊晟矢選手の特徴の一つですね。
プレースタイル④
90分上下運動を繰り返すスタミナ
勢いのある毎熊晟矢選手のプレーを支えているのが、90分間決してプレーの精度が落ちない強靭なスタミナです。
サイドバックは最も走力が求められるポジションと言われており、そのサイドバックの中でも毎熊晟矢選手の走行距離は毎試合かなり高い数値を叩き出していました。
なんと毎試合平均して11キロ前後の距離を走っており、2023年9月8日現在では所属するセレッソ大阪の中ではトップの通算走行距離263.44キロをマークしています。
体力おばけだね。
どれだけ技術が高くても、体力がなければ精度が落ちてしまい試合で活躍することはできません。
その点毎熊晟矢選手は技術も高く、無尽蔵に走り回れる体力も兼ね備えているので、サイドバックとしてはかなりスペックの高い選手と言えるでしょう。
毎熊晟矢の成績
2020年/プロ1年目:V・ファーレン長崎
2021年/プロ2年目:V・ファーレン長崎
2022年/プロ3年目:セレッソ大阪
2023年/プロ4年目:セレッソ大阪
次は毎熊晟矢選手のプロ入り後の成績を年度別に紹介していきます。
2020年/プロ1年目:V・ファーレン長崎
桃山学院大学卒業後、J2のV・ファーレン長崎に加入した毎熊晟矢選手は、ルーキーイヤーながら36試合に出場しました。
J2リーグ:36試合出場3得点4アシスト
出場した36試合のうちの先発出場は32試合で、加入1年目にしてチームの主力選手として活躍しています。
シーズン通して慣れない右サイドバックとして起用されていましたが、ほぼぶっつけ本番で適応していった形ですね。
かなり期待されていたんだろうなぁ
J1復帰を目標に掲げていたV・ファーレン長崎ですが、最後はアビスパ福岡に突き放され、惜しくも3位でシーズンを終えてJ1復帰は叶いませんでした。
その結果を受けて、毎熊晟矢選手を右サイドバックに抜擢した手倉森誠監督はシーズン終了後に退任しています。
2021年/プロ2年目:V・ファーレン長崎
手倉森誠前監督が去った後、コーチを務めていた吉田孝行氏が新たに監督になりました。
J2リーグ:38試合出場3得点10アシスト
天皇杯:1試合出場1得点
通算:39試合出場4得点10アシスト
吉田孝行新体制のもと、毎熊晟矢選手は昨年同様右サイドバックの主力としてV・ファーレン長崎を引っ張ります。
2021年シーズンは右サイドバックの選手として大きく花開いた年でもあり、リーグ2位の10アシストを記録。
チームは11位と低迷するも、その中で毎熊晟矢選手は攻守にわたってチームを支える孤軍奮闘の活躍を見せました。
その活躍を高く評価したJ1のセレッソ大阪が、シーズン終了後に完全移籍の正式オファーを提出します。
その後チーム間で交渉がまとまり、2021年12月21日に毎熊晟矢選手のセレッソ大阪への完全移籍が発表されました。
2022年/プロ3年目:セレッソ大阪
自身初のJ1でのプレーとなった2022年シーズン、移籍したセレッソ大阪でも右サイドバックとしてプレーしました。
J1リーグ:28試合出場3得点3アシスト
ルヴァン杯:11試合出場1得点
天皇杯:3試合出場
通算:42試合出場4得点3アシスト
シーズン開始時こそベンチが続いたものの、時間が経つにつれて従来のセレッソ大阪の攻撃的なスタイルに適応し、水を得た魚のように躍動していきます。
得点やアシストなどの数字こそ伸びなかったものの、第11節のサガン鳥栖戦からスタメンに定着し、1年間でリーグ戦21試合で先発出場を記録しました。
J1初挑戦で21試合スタメンはすごいね。
セレッソ大阪もリーグ5位でシーズンを終了しています。
残念ながらACL出場は逃したものの、チーム・個人ともに十分な成績を残したシーズンと言えるでしょう。
2023年/プロ4年目:セレッソ大阪
セレッソ大阪2年目となる2023年シーズンは、右サイドバックだけではなく右サイドハーフとしても出場し、プレーの幅を広げています。
J1リーグ:24試合出場1得点2アシスト
ルヴァン杯:3試合出場1得点
通算:27試合出場2得点2アシスト
※2023年9月8日時点
2022年シーズンとは違い、開幕戦から先発出場を続けており2023年9月8日時点では出場したリーグ戦全試合で先発出場を続けています。
もはやセレッソ大阪に欠かせない選手へと成長した毎熊晟矢選手は、今シーズンに右サイドハーフを経験したことで更に攻撃力を増した印象がありますね。
Jリーグ屈指の右サイドバックに成長し、2023年9月には遂に初の日本代表に召集されました。
日本代表の森保一監督は、毎熊晟矢選手の招集に関して、
Jリーグで活躍をし、存在感を示していたから招集した
とコメントを残しており、激戦区とも呼ばれる日本代表のサイドバックでのアピールが期待されます。
近年は海外でプレーする選手が代表に召集されやすい傾向にありますが、毎熊晟矢選手が活躍することで国内の選手にもチャンスがあることを証明してほしいですね。
毎熊晟矢の学歴
毎熊晟矢選手の最終学歴は、大学卒業です。
2009年:長崎市立城山小学校卒業
2012年:長崎市立渕中学校卒業
2016年:東福岡高等学校卒業
2020年:桃山学院大学卒業
各学校の詳細や当時のエピソードなどについて、下記で紹介していきます。
出身小学校は長崎市立城山小学校
大分県で生まれた毎熊晟矢選手はその後長崎市に引っ越しており、小学校は長崎市立城山小学校に通っていました。
長崎市立城山小学校は、第二次世界大戦で原爆の被害を受けた学校です。
爆心地から僅か500メートルしか離れておらず、全校生徒の8割が原爆の被害を受けて亡くなったと言われています。
そういった歴史があるだけに、教育の一環として戦争の悲惨さを伝える授業なども多く取り入れているそうです。
校舎の敷地内には平和に関してまとめられた施設や、亡くなった方に捧げる祈念碑などが数多く存在し、毎年多くの修学旅行生が訪れています。
出身中学は長崎市立渕中学校
長崎市立城山小学校を卒業した後、毎熊晟矢選手は長崎市立渕中学校へと進学しました。
長崎市立渕中学校は、国民的大人気アーティストの福山雅治さんの出身校で有名ですね。
長崎市立渕中学校のサッカー部は近年長崎県内で頭角を現してきており、2018年の新人生と2020年の中体連では共に県内3位を記録しています。
毎熊晟矢選手は当時サッカー部ではなくクラブチームでプレーしていたので、おそらく中学校時代は帰宅部だったことが予想されます。
ですが毎熊晟矢選手の活躍を見て憧れた子供たちが、今後長崎市立渕中学校のサッカー部に入部する可能性もなきにしもあらずかもしれませんね。
出身高校は東福岡高校
毎熊晟矢選手は中学卒業と同時に単身サッカーの名門校、東福岡高校へと進学しました。
東福岡高校は言わずと知れたサッカー名門校で、全国各地からプロサッカー選手になることを夢見る高校生が集まる高校です。
そのハイレベルな環境に飛び込んだ毎熊晟矢選手は、学校の寮から東福岡高校に通い日々レベルの高い環境で切磋琢磨して腕を磨いていきます。
当時を振り返ると、一つ上の世代の松田天馬選手(京都サンガFC)のレベルの高さに衝撃を受けたと語っていました。
見事毎熊晟矢選手は過酷なポジション争いを勝ち抜いてAチームに選ばれますが、東福岡高校在学時にJリーグからのオファーを得ることはできませんでした。
現時点でプロにはなれないと痛感した毎熊晟矢選手は、もっと実力を磨くために大学進学を決意しました。
出身大学は桃山学院大学
東福岡高校を卒業し、進学した大学は大阪府の桃山学院大学です。
東福岡同様に、桃山学院大学もサッカー部が非常に強いことで有名な大学ですね。
2004年と2011年には大学関西リーグを優勝しており、これまでに毎熊晟矢選手以外にも数多くのプロサッカー選手を輩出してきました。
現在大学4年生の奥田勇人選手は、今年からセレッソ大阪に特別指定選手として加入しており、毎熊晟矢選手とチームメイトになっています。
公式戦出場はないものの、大学卒業後の2024年シーズンから正式にセレッソ大阪へ入団することも発表されました。
非常に今後が期待されている選手の1人です。
セレッソ大阪での毎熊晟矢選手と奥田勇人選手の桃山学院大学コンビにも注目ですね。
毎熊晟矢の経歴
サッカー選手としての、これまでの毎熊晟矢選手の経歴は下記のとおりになります。
2015年:東福岡高校で高校総体と高校選手権の2冠を達成
2019年:桃山学院大学在籍時にセレッソ大阪の練習に参加
2020年:V・ファーレン長崎へ入団後、サイドバックへ転向
2015年:東福岡高校で高校総体と高校選手権の2冠を達成
東福岡高校での3年生時、毎熊晟矢選手は高校総体と高校選手権の2冠を達成しています。
当時、毎熊晟矢選手はサイドバックではなくFWとして活躍しており、高校総体優勝にも大きく貢献しました。
ただ、迎えた高校サッカー集大成となる高校選手権では、県大会の途中で怪我をしてしまい戦線離脱を余儀無くされます。
幸い全国大会にはなんとか間に合ったものの、万全のコンディションではなかったため一度も試合に出ることもなく、ベンチから仲間の優勝を見守ることしかできませんでした。
当時はかなり複雑な心境だったようで、セレッソ大阪でのインタビューでは高校時代を振り返り、
チームの優勝を素直には喜べなかった
と語っていました。
それでも高校総体と高校選手権の2冠達成は並大抵のことではなく、かなり貴重な経験になったはず。
優勝だけではなく怪我で出場できなかった悔しさも、毎熊晟矢選手にとってその後の成長の糧になったのではないでしょうか。
2019年:桃山学院大学在籍時にセレッソ大阪の練習に参加
桃山学院大学で3年生から4年生に進級しようとしていた頃、毎熊晟矢選手にセレッソ大阪の練習に参加する機会が訪れます。
当時は関西選抜にも選出されており、関西ではかなり有名なサッカー選手だったので、地元のセレッソ大阪が目をつけたのでしょう。
実際に何度かセレッソ大阪の練習に参加し、紅白戦などでテストされましたが、結果は不合格。
練習参加から正式オファーに進展することはありませんでした。
セレッソ大阪もJ1だったからレベルが高かったのかも…
その後、セレッソ大阪へ練習参加していたのと丁度同じ時期に毎熊晟矢選手を熱心に誘っていたV・ファーレン長崎のスカウトを受けて、進路を決めました。
大学時代は不合格となったセレッソ大阪に、V・ファーレン長崎を経由して移籍したのは何か縁のようなものを感じますね。
2020年:V・ファーレン長崎へ入団後、サイドバックへ転向
セレッソ大阪のインタビューで語っていたように、毎熊晟矢選手にとって最も大きな転機となったのは、V・ファーレン長崎での右サイドバックへの転向でした。
右サイドバックで起用されたのはプロ入り1年目のキャンプ時のことで、当時はFW以外でのプレーに抵抗もあり、本人は手応えが全くなかったようです。
ですがそんな自己評価とは反比例して、周囲の評価は高く、その評価が徐々に自信に繋がっていったと語っています。
熊谷せいや選手を右サイドバックへ抜擢したのは年代別代表監督歴もある手倉森誠監督で、選手の隠れた才能を見出すことに定評のある監督です。
その当時は手倉森誠監督にしか見えない、右サイドバックとしての隠れた才能が毎熊晟矢選手にはあったのかもしれませんね。
結果として大胆な起用が功を奏し、毎熊晟矢選手はプロ入り一年目の選手としては異例の年間36試合に出場しました。
一気に才能が開花したんだね。
あの時、手倉森誠監督が毎熊晟矢選手を右サイドバックで起用していなければ、ここまでの選手には成長していなかったのかもしれません。
才能を見抜いた手倉森誠監督はもちろん、素直に受け入れて前向きにトライした毎熊晟矢選手の努力の結果とも言えるでしょう。
まとめ
この記事では、ドイツ代表とトルコ代表との親善試合で初の代表選出となった毎熊晟矢選手について紹介しました。
いかがだったでしょうか?
今回、紹介したことをまとめると、
・長崎県出身のサッカー選手でセレッソ大阪に在籍
・豊富な運動量と攻撃力が武器の右サイドバック
・V・ファーレン長崎でアシストランク2位の10アシストを記録
・東福岡高校で2冠を達成し、桃山学院大学に進学した
となります。
毎熊晟矢選手は25歳にして初めての日本代表メンバーに召集されました。
近年、10代や20代前半で海外移籍をする選手も多く、その選手たちと比べると熊谷せいや選手は遅咲きの部類なのかもしません。
ただ、J2のV・ファーレン長崎でもJ1のセレッソ大阪でも、与えられた環境で目に見える際立った活躍を見せてくれました。
キャリアは日本国内だけでも、その実力は申し分ないことを証明しています。
Jリーグで名を挙げた勢いのある右サイドバックが、世界を相手にどこまで通用するのか今後に注目しましょう♪