西武ライオンズでホームランバッターとして大活躍している山川穂高さんは、野球選手としての人気はもちろんのこと、山川穂高さんの明るい性格も人気です。
また家族をとても大切にしている面も魅力の一つです。
公私ともに順風満帆そうな山川穂高さんですが、山川穂高さんの家族、そして奥さんや子供は一体どんな方たちなのでしょうか?
そこで、今回のこの記事では
・山川穂高の奥さん(嫁/妻)は麻衣子
・山川穂高の子供
・山川穂高の結婚前の家族構成や家族の人柄について
・山川穂高のWikiプロフィールが知りたい
・山川穂高の生い立ちについて
これらのことを中心にしてまとめていきたいと思います。
山川穂高さんに興味がある方や、野球ファンの方も必見です。
山川穂高の奥さん(嫁/妻)は麻衣子
山川穂高さんの奥さんは麻衣子さんです。
奥さんの名前は、
山川(旧姓:佐藤)麻衣子
一体、どんなお顔をしているのかが一番気になるところです。
実は、山川穂高さんが結婚を発表した時に、麻衣子さんの容姿の似顔絵を描き、”小池栄子さんに似ているかな~”と話したことがあります。
小池栄子さんに似ているとなると、目鼻立ちのはっきりとしたかなりの美人だと想像できますね。
かなり前のものだと思われますが、麻衣子さんのお顔がこちら。
確かに、髪型が似ているせいか小池栄子さんにどことなく似ている感じもしますね。
しかし、麻衣子さんは一般人ですので積極的にメディアに顔出しをしておらず、お顔が分かる写真はこれ以外にほとんどないので、夫である山川穂高さんが顔を出さないように配慮していると思われます。
有名人の家族も色々大変だよね。
山川穂高と妻(嫁)の出会いや馴れ初め
山川穂高さんと麻衣子さんは大学の先輩後輩です。
麻衣子さんは山川穂高と同じ、
富士大学の出身者
山川穂高さんが1年生の時、麻衣子さんは1学年上の先輩でした。
しかも、麻衣子さんは富士大学在学はソフトボール部に在籍していた選手でした。
富士大学のソフトボール部は、全国大会に出場経験があるくらい大変力を入れている部です。
そこで選手として活躍していたとなると、麻衣子さんも元アスリートだったということになりますね。
その大学の先輩後輩がどうやって交際することになったのかは、本人たちからは公表されていません。
しかし野球とソフトボールという近いスポーツをしていた二人の距離が近づくのも自然なことだったように思います。
山川穂高さんが大学1年生の時に交際がスタートし、大学を卒業した後もお二人の交際は続きました。
そして、約7年の交際を経て
2017年8月9日(野球の日)に婚姻届を出し、入籍
また結婚前には都内で同居生活もしていたということで、その頃から二人の中で結婚することは決まっていたのでしょうね。
また、結婚式はハワイで挙げて山川穂高さんがピアノでウエディングマーチなどをサプライズで披露するなどして結婚式は大盛況でした。
この時の気持ちを山川穂高さんは
最高に幸せでいっぱいです。
これからもいっぱいホームランを打とうと思うので、妻にはいつもの最高のステーキを作って見守ってほしいです。
このように幸せいっぱいなコメントをしています。
また、山川穂高さんはコミュニケーションとして、麻衣子さんとキャッチボールをしたりもしています。
山川穂高さんの送球を軽々とキャッチし、見事に球を投げ返す姿はファンをも驚かせました。
さすがは元ソフトボール選手だよね。
山川穂高の子供は娘が一人
山川穂高さんには娘が1人いらっしゃいます。
大学時代から約7年間の交際を経て、結婚した山川穂高さんと麻衣子さんはその後、
2019年5月15日に元気な女の子(3822g)が誕生
お二人のお子さんの名前は、真央ちゃんといいます。
山川穂高さんのInstagramには、真央ちゃんのかわいい姿が度々載せられいて、溺愛している様子がうかがえます。
しかし、真央ちゃんが3歳の誕生日を迎えたことをきっかけに、真央ちゃんの顔出しは無くなりました。
奥さんと同様、真央ちゃんの将来なども考えて顔立ちがしっかりしてくるくらいを目処にして、公表しないように気づかったのでしょう。
いつか、真央ちゃんが大人になった時に山川穂高さんと親子共演してくれたら嬉しいよね。
山川穂高の結婚前の家族構成
山川穂高さんの結婚前の家族構成は、母親と2人でした。
山川穂高さんは
2人家族
母:山川喜代子(58歳:2023年時点)
山川穂高さんは、母親との2人暮らしでした。
ではここからは母親の詳細について見ていきましょう。
山川穂高の両親は母親のみで母子家庭
山川穂高さんは母親と2人暮らしですが、なぜ2人暮らしなのか気になりますよね。
父親はなぜいないんだろう?と噂されていますが、
山川穂高が生まれて間もなく両親が離婚
という家庭環境でした。
両親の離婚の詳しい原因までは分かりませんが、何か事情があり離婚に至ったと考えられますよね。
女手一つで山川穂高さんをこうして一流の選手に育て上げた母親への感謝の気持ちはとても強く、山川穂高さんは母親への感謝をよく口にしています。
母親は幼い頃から山川穂高さんが自らやりたいと言った習い事を色々とさせてあげました。
習い事をたくさんと言うと、それなりに費用もかかるので裕福な家庭だったのかと思われがちですが、そうではありませんでした。
食事では、育ち盛りの息子のお腹を満たすために母親の分の御飯も山川穂高さんに分けてあげていました。
母親の愛を感じるエピソードですね。
また、幼少期の山川穂高さんが靴を頑張って履こうとしている時も、ただただ見守って急かしたり叱ったりせずに待っていました。
きっと母親は自分でできる力を伸ばしてほしかったのでしょう。
このようなエピソードからも、母親の喜代子さんが山川穂高さんに対して愛情をたくさんかけて育ててきたというのが分かりますね。
親の鏡のような母親ですね。
山川穂高の父親はどんな人?
一方、山川穂高さんが生まれて間もなく喜代子さんと離婚した父親は一体どんな方だったのでしょうか?
山川穂高さんから父親に関する話を語られることがほぼないことから、父親がどんな方だったのかは分かりません。
生まれて間もなく両親が離婚したということなので、山川穂高さんには父親の記憶がないことも考えられます。
また、母親から父親がどういった方が教えてもらう機会はあったかもしれませんが、あまり良い思い出がない可能性もありますね。
そのほかにも、山川穂高さんのお顔立ちがハーフっぽく見えるので、父親が海外の方ではないかと噂があります。
しかし父親の国籍は不明です。
ちなみに山川穂高さんは母親似だとのことなので、生まれつきのハーフ顔の可能性が高いですね。
山川穂高は一人っ子
山川穂高さんに兄弟はおらず、一人っ子です。
両親が離婚してから母一人子一人で暮らしてきたので、母親の愛情はしっかりと受け止めることができたのではないでしょうか?
母親である喜代子さんは、母でもあり漫画の”巨人の星”に出てくる明子姉ちゃんみたいな陰からそっと見守ることができる人だと語っています。
そういった事から、母親でありながらも時には優しく見守るようなお姉さん的存在でもあったのかもしれませんね。
山川穂高のWikiプロフィール
名前:山川 穂高(やまかわ ほたか)
国籍:日本
出身地:沖縄県那覇市
生年月日:1991年11月23日
年齢:31歳(2023年7月時点)
身長:176cm
体重:103 kg
投球と打席:右投・右打
ポジション:一塁手/三塁手
プロ入団:2013年~(ドラフト2位指名)
年俸:2億7000万円(2023年)
では、ここからは山川穂高さんの生い立ちや学歴などについても詳しく見ていきましょう。
一体、どんな幼少期、学生時代を送ってきたのか気になりますよね。
山川穂高の生い立ち
先ほども書かせていただいたように、山川穂高さんのご両親は山川穂高さんが生まれて間もなく離婚しています。
その後は、母親と山川穂高さんは母一人子一人で支えながら頑張っていくこととなります。
山川穂高さんが5歳の頃、母親の”綺麗な字を書けるのは良い事”という考えから山川穂高さんは書道を始めます。
書道は初めた頃、あまり乗り気ではなかった山川穂高さんでしたが、母親の意向に添うように中学3年生で8段を取るまで継続しています。
ファンの間では山川穂高さんの字の上手さは有名なんですよ。
また山川穂高さんは結婚式でもピアノを披露したことでも有名ですが、実はピアノも幼少期の習い事でした。
山川穂高さんが住んでいたアパートの4階の1つ上の階の5階に、ピアノ講師のお姉さんが住んでいたので遊び感覚で通いはじめたとのこと。
しかし楽譜を読むのは苦手だった山川穂高さんは独学でピアノが弾けるようなったのですが、ピアノは半年間という短期間でやめてしまいました。
少し勿体ない気もしますが、子どもの頃は興味のあるものが色々と移り変わるものですから仕方ないことかもしれませんよね。
山川穂高さんは水泳やアイススケートなども習っていたので、習い事の数にするとかなり多いのではないでしょうか?
これらの習い事は、習字以外、山川穂高さんは自ら習いたいと自主的にはじめたものなので、幼少期の山川穂高さんがいかに好奇心旺盛で行動力のあった子供だった事が分かるかと思います。
そんな山川穂高さんを、母親である喜代子さんは平日の朝~晩は仕事を一生懸命し、休日は山川穂高さんのために費やし協力していました。
山川穂高さんと母親の絆が分かる話だなね。
山川穂高の学歴や経歴
【2004年/12歳】
沖縄県那覇市立城北小学校卒業
【2007年/15歳】
沖縄県那覇市立城北中学校卒業
【2010年/18歳】
沖縄県 中部商業高校卒業
【2013年/21歳】
埼玉西武ライオンズに2位で指名
【2014年/22歳】
富士大学卒業
埼玉西武ライオンズに入団
出身小学校
山川穂高さんの出身小学校は、
那覇市立城北小学校
山川穂高さんは、小学3年生の時に仲良しの同級生である屋良くんに誘われて地元の少年野球チーム”首里マリナーズ”に所属することとなります。
ちなみに、この時の友人である屋良くんとは今も仲良しです。
出身中学校
山川穂高さんは
那覇市立城北中学校出身
城北中学校に入った後は中学校の野球部ではなく、硬式野球チームの”チームSOLA沖縄(現・大矢ベースボールクラブ)”で野球を続けます。
ちなみに部活動はバレーボール部に所属していました。
野球選手としては中学生時代に一塁手として、全国大会に出場して3位になっています。
山川穂高さんは、当時の監督から
君はホームランバッターになれる。だから絶対に小さい打撃はするんじゃない。
と指導を受けているので、その時すでに監督は山川穂高さんの素質を見抜いていたのでしょう。
また幼少期から習っていたピアノの腕前で、中学生時代には合唱コンクールで伴奏を担当しています。
このコンクールでの伴奏のためにお母さんに電子ピアノを買ってもらった山川穂高さん。
お母さんが山川穂高さんのしたいことを制限なくさせてくれたというのが伝わるエピソードですよね。
ちなみに、今ではぽっちゃり体型がトレードマークでもある山川穂高さんですが、中学校入学前は40kg台でしたが、お母さんの分の御飯もいただいたりしてスクスク育った結果、高校入学前には90kgまで増加。
成長期とはいえ、この体重の変化には驚きですよね。
中学校時代で体重が倍以上増加とは驚愕ですね。
出身高校
山川穂高さんは
中部商業高校出身
中部商業高校はスポーツにとても力を入れていて、その中でも特に女子バレーボール部は強豪として有名な高校です。
山川さんはこの高校の硬式野球部に入部して、部活動に打ち込んでいました。
スポーツに力を入れている高校だけあり、山川穂高さんが所属していた野球部は上下関係がとても厳しい環境でした。
入学してしばらくは、なかなかベンチにも入れてもらえない日々。
その時山川穂高さんは他の生徒よりも練習量には自信があったのですが、グラウンドにさえ立てないままで応援席でただ見ているという日々に耐えられなくなり、お母さんである喜代子さんに”野球を辞めようと思う”と初めて吐露するのです。
そう切り出した山川穂高さんに対し、喜代子さんは無理に引き止めようとはしませんでしたが
ここまでやってきたんだし、せっかくなら次の大会で負けるまでやってみるのはどうかな?
とアドバイスします。
その喜代子さんの言葉もあり、山川穂高さんは高校1年生の11月に開催された1年生のみの大会に出場してから野球を辞めようと考えていました。
ちなみに、この大会で山川穂高さんは4番に抜擢され、見事に大会では人生初となるホームランを打っています。
このホームランは山川穂高さんのターニングポイントとなり、このホームランがなければその時点で野球をやめていたと話しているので、このホームランと、お母さんの一言は今後の山川穂高さんの人生を大きく左右したと言えるでしょう。
その後は、甲子園を目指してひたすら長距離打者として練習し、燃え尽きるように野球に打ち込みます。
そして高校2年生の秋には、山川穂高さんは4番となり、高校3年生の夏には、チームは沖縄大会の決勝まで進出。
しかし強敵である興南高校に負けてしまい、念願だった甲子園は夢となりました。
この時、山川穂高さんは高校卒業と同時に野球を辞めるつもりでした。
しかし沖縄県予選準決勝で山川穂高さんがバックスクリーンに本塁打を放ったのを見ていた青木久典さんが
大学1年生から4番を打たせることを約束します。
そして絶対にプロに行かせてみせますのでうちの大学に来てください!
と言って、山川穂高さんと母親の前で土下座しました。
【青木久典さんとは?】
三重県出身の大学野球指導者
現在は六花亭製菓株式会社に勤めていて、六花亭軟式野球部で監督に就任
出身大学
青木久典さんに熱烈な誘いを受けた山川穂高さんは
富士大学に進学し、卒業
青木久典監督の言った通りに大学1年生の春からは4番を務め、その頭角をどんどん現していきます。
それがこちらです。
【大学1年生/2010年・18歳】
・北東北大学野球の秋季リーグにて打点王獲得
【大学2年生/2011年・19歳】
・第38回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出され、第1戦で満塁本塁打を放つ
【大学3年生/2012年・20歳】
・11月に開幕した第26回アジア野球選手権大会の日本代表に選出
【大学4年生/2013年・21歳】
・春季リーグでは指名打者のベストナイン獲得
・5月26日に行われたVS八戸学院大学戦では推定飛距離140メートルの本塁打を放つ
・10月の東アジア競技大会では大学生の中で唯一の日本代表に選出
・4番を務めて韓国戦では満塁本塁打を放つ
大学では山川穂高さんの本領発揮といった感じだね。
【2013年/21歳】
埼玉西武ライオンズに2位で指名され入団
山川穂高さんが大学4年生の2013年10月24日に行われた、プロ野球ドラフト会議で
埼玉西武ライオンズに2位で指名
青木久典さんのいう通りになったというのもすごいですよね。
この時の山川穂高さんとの契約内容は
このドラフトから少し後の10月27日に行われた、第5回明治神宮野球大会東北地区大学野球代表決定戦の準決勝[VS東日本国際大学戦]では、本塁打2本を打つなどの活躍を見せます。
決勝で惜しくも八戸学院大学に負けてしまいますが、山川穂高さんは大会の敢闘賞を受賞しました。
まとめ
ここまで山川穂高さんの家族についてや、学歴などについて迫ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・嫁は(旧姓:佐藤)麻衣子で娘は真央
・幼い頃に両親が離婚し、母子家庭で育った
・兄弟はおらず、一人っ子
・沖縄県那覇市出身の31歳(2023年7月時点)
・最終学歴は富士大学で2013年に埼玉西武ライオンズに2位で指名され入団
となります。
ご両親が幼少期に離婚して、苦労も色々とされてきた山川穂高さんですが、母親が野球に打ち込める環境を整えてくれたことで、お母さんの深い愛情を受けながら育ったと思います。
不祥事などもありましたが、現在は妻である麻衣子さんと可愛い愛娘の真央ちゃんに囲まれて幸せな家庭を築いていることとあります。
これからも、家族を大切にして野球に励んでほしいと思います。