現在、ジェイテクトSTINGSに所属し、バレーボール選手として活躍しつづけている西田有志さんは、プライベートではバレー日本代表の古賀紗理那さんと結婚したことでも話題となりました。
第一線で活躍するバレーボール選手同士の結婚ってなんだか素敵ですよね。
そんな、公私ともに充実しているであろう西田有志さんとは一体どんな方なのか気になりますよね。
この記事では
・西田有志(バレー)のWikiプロフィールが知りたい
・西田有志(バレー)の特徴はジャンプ力?
・西田有志(バレー)の出身高校などの学歴について
・西田有志(バレー)の経歴を順に紹介!
・西田有志(バレー)の家族について!身長も!
これらのことを中心にまとめてみました。
西田有志さんのことが気になっていた方も、バレーボールが好きだという方もぜひ、最後までお付き合いください。
西田有志の家族構成
現在、一流バレーボールプレイヤーとして活躍している西田有志さんの家族構成ですは、5人家族です。
父親、母親、姉、兄、本人の5人家族
一体、ご家族はどんな方たちなのか、詳しく見ていきます。
西田有志の父親は西田徳美
西田有志さんの父親は、元バスケットボール選手の西田徳美さんです。
西田徳美
西田有志さんと仲睦まじく映っている右側の方が父親の西田徳美さんです。
どことなく、西田有志さんと似ていますよね。
西田有志さんのご両親は二人ともバスケットボールの選手でした。
実業団に入ってプレーしていたので、バスケットボール選手としてはかなりの腕前だったと想像できますね。
両親は東芝名古屋工場で働いていて、その頃に所属していたバスケットチームが
東芝名古屋
1996年には自宅のあった四日市から現在のいなべ市大安町に住居を新築して引っ越ししてるので、西田有志さんはその家で生まれ育ちました。
ご両親がバスケットボール選手ということは、身長も高そうですよね。
下の写真の後ろの一番右が父親ですが、後ろの列の左から二番目にいる西田有志さんと比べると父親の方が大きいですね。
西田有志さんが186cmなので、
180cm後半~190cm台
と推測できます。
優しそうな父親ですね。
父親の徳美さんの趣味は車で、車に関する知識はプロ級でマニアです。
西田有志さんがバレーボールに打ち込んで、フォームを試行錯誤して研究していたのも、一つの事に入れ込める父親の遺伝が影響していそうですね。
西田有志の母親は西田美保
西田有志さんの母親も、父親と同じく元バスケットボール選手です。
母親の名前は、
西田美保
バスケットボール選手だったということは、母親も身長が高い可能性がありますよね。
西田美保さんは
168㎝
母親は1968年生まれですので、当時の日本人女性にしては高い方ですしバスケットボール選手だったというのも納得です。
母親の美保さんは、西田有志さんが高校生の時は毎日お弁当を持たせてくれていました。
西田有志さんの健康を考えてサポートしていたのでしょう。
母の愛ですね。
ご両親の写真を見ると、西田有志さんは父親と母親、両方に似ていると感じました。
西田有志の姉は西田早希
西田有志さんには9歳年上の姉がいます。
西田有志さんの姉は
西田早希
1991年生まれなので西田有志さんの9歳年上になります。
早希さんは、Twitterをしていて時々兄弟の仲の良い様子などと投稿しています。
兄弟は食事も一緒にいくほど仲良しな様子が伝わってきます。
姉の早希さんも、西田有志さんよりも早く大安ビートルでバレーボールを始めています。
バレーボールを始めた理由は、ご両親が大安チームの方針に共感したからです。
その方針としてバレーボールの指導はもちろんですが、靴をきちんと並べたり返事の仕方など、礼儀作法も指導してくれる為、ご両親はありがたいと思った事でしょう。
早希さんは、西田有志さんに財布をプレゼントしています。
このことからもかなりの仲良し姉弟なのが分かりますね。
歳が離れているから余計に可愛がられているんだね。
西田有志の兄は西田圭吾
西田有志さんの兄も7歳年上のバレーボール選手です。
西田有志さんの兄は
西田圭吾
上の写真の一番左の方ですね。
兄の圭吾さんは、小学2年生の時に早希さんが通っていたバレーボールを見学に行ってバレーボールを始めています。
兄弟が皆、それぞれに影響を受けているなんて素敵ですね。
圭吾さんは、
株式会社ジェイテクトの自動車部品メーカーの社員
【株式会社ジェイテクトとは?】
トヨタグループ主要13社に属している大手の会社で、機械・自動車部品製造会社
この会社は様々な都市に工場を持っているので、圭吾さんは転勤したりしていましたが2018年には豊橋勤務を機にまたバレーボールを始めています。
西田有志さんがジェイテクトSTINGSに入団しようと決断したのも、兄の圭吾さんの「ジェイテクトって会社にはバレーボール部がある。」といった言葉でした。
お互いをリスペクトしている様子が伝わるね。
西田有志のWikiプロフィール
名前:西田 有志(にしだ ゆうじ)
ニックネーム:ユウジ
国籍:日本
出身地:三重県いなべ市
生年月日:2000年1月30日
年齢:23歳(2023年6月時点)
身長:186cm
体重:87kg
血液型:O型
利き手:左手
所属:パナソニックパンサーズ
結婚:既婚(配偶者・古賀紗理那)
西田有志さんは、三重県いなべ市出身です。
いなべ市といえば、伝統的な陶器や焼き物が有名ですよね。
また自然を活かしたイベントなども多いので、きっと西田有志さんものびのびと過ごしたのではないでしょうか?
西田有志さんがバレーボールを始めたのは、幼稚園の頃で、きっかけは、姉と兄がバレーをやっていた影響です。
兄弟の影響というのは幼少期は大きいですし、きっと西田有志さんも憧れのような気持ちを抱いたのではないでしょうか?
これからバレーボール選手としてどんどん伸びていきそうだね。
西田有志の特徴はジャンプ力
西田有志さんの身長は186cmです。
一般の日本人男性と比べると平均くらいですが、バレーボール選手としては決して高い方ではありません。
しかし西田有志さんは、
このように、ジャンプをした時の最高到達点がかなり高い選手です。
この記録は、日本代表の平均値である338cmと比較するとスパイクを打った時で12cmも高くジャンプしているということです。
ここまでの高いジャンプができるのは、やはりに西田有志さんの筋力にあるでしょう。
西田有志さんは、高校時代に現在所属してるジェイテクトSTINGSに練習参加したのですが、その時に”筋肉の付きやすい体質”と言われています。
ですので、これからのトレーニング次第ではより高いジャンプも望めそうですよね。
身長のデメリットをジャンプ力でカバーとは、すごい努力をしたんだろうね。
西田有志の学歴
西田有志さんの最終学歴は高卒です。
【2012年/12歳】
いなべ市立石榑小学校卒業
【2015年/15歳】
いなべ市立大安中学校卒業
【2018年/18歳】
海星高等学校卒業
出身小学校は石榑小学校
西田有志さんの出身小学校は、
いなべ市立石榑(いしぐれ)小学校
前述いたしましたが、西田西田有志さんがバレーボールをはじめたのは保育園の年長でした。
「保育園児がバレー?」と少し想像しにくいのですが、兄弟の影響や自分の持ち前の負けず嫌いで、バレーボール選手としての頭角を現していきます。
その時から西田有志さんのサーブには周りが驚かされていたというのですから、相当バレーボールの素質があったのでしょう。
小学校に入学した後、西田有志さんはジュニアチームである「大安ビートル」に所属します。
チームに所属すると自身のスパイクフォーム作りの研究をするようになります。
例えばタオルをグルグルと回してフォームについて調べたり、小学2年生の頃にはジャンプサーブについて前向きに練習をし始めます。
しかし、その当時の西田有志さんの練習方法は確立しているものではなく、肩を痛める可能性もあって危ないと監督からストップがかかりました。
その後、4年生になってからジャンプサーブについて本格的な指導を受けるようになり、その指導のかいあってか4年生の時にはスタメンで全国大会出場を勝ち取りました。
当時の西田有志さんの身長は140㎝台でしたが、この頃からジャンプ力はすごくて6年生と比較しても劣っていないほどの強烈なスパイクを打っていました。
こうしてバレーボール選手としてどんどん成長していき大安ビートルで西田有志さんは活躍し続けます。
それを見た方たちは、西田有志さんの選手としての素質やセンスを見抜いたのでしょう。
小学校を卒業する頃には、周りの強豪中学校から声がかかるほどの選手になっていました。
ただ、この誘いを西田有志さんは断っています。
理由は、
強豪校に行って全国大会に行くのが当たり前とは思っていなかった。
それに、強いチームでずっと上位にいるよりも下からどんどん倒していく方が楽しめるし、その方が僕の人生的に合っていると思った。
小学生にしてこのような考えを持っていることに驚きですよね。
この時からすでに将来を見据えていたのかもしれません。
大人もうなづくほどの実力と思考力だね。
出身中学校は大安中学校
いなべ市立石榑(いしぐれ)小学校を卒業し、強豪校からの誘いを断って西田有志さんが選んだ中学校は、
公立大安(だいあん)中学校
この中学校はいなべ市内にある中学校です。
小学校に引き続き、中学校でもバレーボール部に入部し主力選手になりました。
中学校時代には、クラブチームである”NFOオーシャンスター”に在籍しています。
バレーボール選手として練習に励む日々の中でも、山に登ったりして橋の上から滝壺に飛び込むという野生児のような遊びを楽しんでいたという一面もあります。
活発でヤンチャそうな西田有志さんが思い浮かびますね。
中学2年生になると、JOCの三重県選抜メンバーに選ばれています。
この時が「バレーボールプレイヤーとしての転機でした。」と西田有志さん本人が語っています。
この時の夢が「石川祐希選手と一緒にバレーボールをすることです。」と話していますが、現在の西田有志さんはその夢を実現しています。
【石川祐希とは?】
日本の男子バレーボール選手で、愛知県出身
大学卒業後はプロバレーボール選手として活動
2021年の4月には全日本代表の主将に抜擢
その後、中学生3年生では第28回全国都道府県対抗中学バレーボール大会の三重県選抜チームに選ばれることになります。
着実に自分の夢に近づいていて、そのための西田有志さんの努力を想像すると感動さえ覚えますね。
順調にバレーボール選手として歩んでいる西田有志さんですが、実は怪我や痛みなどを多く繰り返していてたくさんの病院を受診もしています。
スポーツ選手にとって健康は基本中の基本ですから、本人の納得できるまで診察や治療をしていました。
スポーツをやっていく上で怪我は付きものだもんね…
出身高校は海星高校
公立大安(だいあん)中学校を卒業した後、西田有志さんが進学した高校は、
私立の海星高校
この高校は1945年に開校したカトリック系の高校で、もともとは男子校でしたが、2021年度から男女共学になっています。
西田有志さんが通っていた時期は男子校でした。
また、この高校には普通科と特別進学コースがあるのですが、西田有志さんは普通科を選択しています。
高校進学の時も、東海地区のバレーボール強豪校として有名な星城高校(石川祐希選手の出身校)等から声をかけられています。
しかし西田有志さんの地元に対する思いが強く、海星高校へ進学しています。
また西田有志さんは、下から倒していくような戦い方の方が自分の性に合っているのでしょう。
しかし海星高校は部活動に力を入れている高校でもあり、硬式野球部は甲子園の常連としても有名なので、皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
高校に進学した西田有志さんは、もちろん高校でもバレーボール部に入部し活躍します。
高校生の時には、主に体力づくりを中心にトレーニングをしていた西田有志さんは、実家近くの山を走り、体を鍛えるトレーニングも取り入れています。
そのトレーニングのかいがあって、かなり筋肉も仕上がっていました。た(高校3年生の時に体脂肪率4~5%を保っていた)
自分に厳しい一面がスポーツマンとしてカッコいいですよね。
当時、高校バレーボールに関しては松坂工業高校が圧倒的な強さを見せており、西田有志さんは春高バレーに未出場という苦い経験もしています。
そしてインターハイ出場を決めたのも高校3年生の1度きりですが、そのインターハイではエースとして活躍しベスト16入りしています。
一方で、高校時代には第11回アジアユース男子選手権大会(U-19)に出場するU-19日本代表に選ばれていて、この大会では見事優勝を飾っています。
また、高校3年生の時には現在在籍しているVプレミアリーグ男子の”ジェイテクトSTINGS”に高卒内定選手として入団します。
【Vプレミアリーグとは?】
日本バレーボール協会と日本バレーボールリーグ機構が主催している日本の社会人バレーボールリーグ
高卒内定選手として迎えた2018年1月6日の対堺ブレイザーズ戦では、高校生選手として公式戦初出場しました。
試合ではスパイクをどんどん決めていき、決定率70%という好記録を残しています。
また、翌日JTサンダース戦でもチームの中で最多となる26ポイントを記録し、記録にも記憶にも残るまさに電撃デビューを果たしました。
高校生の時にはすでにVプレミアリーグから声がかかっていたんですね。
大学に進学しなかった理由
西田有志さんは代表メンバーに選ばれなかったことを経験し、この先もバレーボールをやるなら、もっと努力が必要だ。と考え大学に進学をすることなく、Vリーグを選択しました。
高校の時は順風満帆なバレーボール選手生活を送っているかと思いきや、実は悔しい思いもしています。
それは
バレーボール男子ユース世界選手権の代表メンバーから外されてしまった
この事により、落ち込んでしまいました。
しかし、持ち前である明るさと前向きな精神でこの悔しさから1週間くらいで立ち直りました。
そして、今までに増してより全力で練習に取り組むようになっていきます。
バレーボールを優先して考えた結果の選択だったんだね。
西田有志の経歴
【2018年/18歳】
ジェイテクトSTINGSに正式入団となり、日本男子代表に選出
【2019年/19歳】
バレーボールワールドカップにてベストサーバー賞受賞
【2020年/20歳】
ジェイテクトSTINGS、初優勝
【2021年/21歳】
東京オリンピックに出場。
イタリアセリエA、ヴィボ・ヴァレンツィアへの移籍発表
【2022年/22歳】
ジェイテクトSTINGSに復帰
バレーボール選手の古賀紗理那と結婚(NECレッドロケッツ所属)
【2023年/23歳】
6月30日をもってジェイテクトSTINGSを退団
パナソニックパンサーズへ移籍
【2018年~2021年】
ジェイテクトSTINGSに入団~ヴィボ・ヴァレンツィアへ移籍
高校を卒業した西田有志さんは、さらにバレーボール選手として飛躍を目指すべくジェイテクトSTINGSに正式入団し、この年には日本代表に選出されています。
また、入団して2年目には正社員選手からプロ契約選手に切りかえています。
その理由として、
世界で戦っているトップクラスの選手たちとバレーボールをしてみて、自分がトップレベルの選手であるためにもバレーボールに集中できる環境を優先的に考えました。
その後の2019年10月に行われたバレーボールワールドカップでは、見事にベストサーバー賞をとっています。
このワールドカップでのカナダ戦の最終セットでは、6連続ブレイクを記録という活躍を見せて見事試合を勝ち取っています。
2020年2月にはジェイテクトSTINGSをVプレミアリーグで初優勝に導き、西田有志さんは最高殊勲選手賞(MVP)、更には得点王・サーブ賞などを見事に受賞しています。
2021年の5月には、ファン向けに行われた紅白戦の途中で右足首に怪我を負ってしまいます。
怪我の具合に不安が残りながらも治療を続け、ネーションズリーグに復活しました。
その後の6月には東京オリンピック代表に内定され、東京オリンピックにも出場しました。
東京オリンピックが終わった後、イタリアセリエAのヴィボ・ヴァレンツィアに移籍することを発表し、その後はイタリアでも多くの試合で活躍するのですが、怪我での欠場などの影響もありセリエA2(2部)に降格してしまうという壁にも阻まれます。
【2022年~2023年】
ジェイテクトへの復帰~結婚
イタリアでの悔しい経験をした後の2022年には、6月にジェイテクトSTINGSに復帰することを決意します。
また、同年の12月31日には同じバレーボール選手の古賀紗理那さんと4か月の交際の後に結婚しています。
とってもお似合いの二人ですよね。
同じバレーボール選手なので、公私ともに支え合って共感できることも多いでしょうね。
西田有志さんは古賀紗理那さんに対して
裏表がなくハッキリした性格で、バレーボールに対しても人との付き合いの上でもとてもまっすぐで強い女性です。
出会った時から「この人しかいない」と思っていました。
このように語っています。
しかし、この幸せな結婚をするまでには辛い出来事も多くありました。
それが、
主にこの二つになります。
実は、2020年に行われた天皇杯の後、西田有志さんは原因不明の体調不良になっていることを打ち明けます。
その時、血液検査や尿検査、腫瘍マーカーにDNA検査など、可能性がありそうな病気を診断できそうな検査をすべて受けるものの、原因が分からない体調不調が続いたのです。
そんな時に支えてくれたのが、現在の妻である古賀紗理那さんと、藤井直伸さんです。
【藤井直伸とは?】
日本のバレーボール選手であり、全日本代表メンバー
東レアローズに所属していたが、2022年2月に胃がん(ステージ4)であり脳にも転移していると公表
2023年3月10日に31歳の若さで逝去
このお二人に西田有志さんは辛い時期をずっと支えてもらい、今の自分があると語っています。
そして2023年5月にはジェイテクトSTINGSを契約期間満了に伴って6月30日をもって退団することを発表しました。
まとめ
ここまで西田有志さんのバレーボール選手として、そしてプライベートについても迫ってきましたがいかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・三重県いなべ市出身
・高身長ではないが、ジャンプ力がすごい
・最終学歴は海星高校卒業
・バレーボールを極めるために大学進学をしなかった
・東京オリンピック出場経験あり
・ヴィボ・ヴァレンツィアへ移籍経験あり
・5人家族で3兄弟の末っ子
となります。
2023年6月30日をもって、ジェイテクトを退団した西田有志さん現在はパナソニックパンサーズでプレーしています。
これからまた世界で活躍する姿が見れるかもしれませんね。
色々な壁も乗り越えてきた西田有志さんの活躍をこれからも応援しています。