日本一凄い経歴を持ったスポーツ選手と言っても過言ではないテニスプレイヤーの錦織圭さん。
現在は、日本・アメリカ・フランス・オーストラリアなど世界中で活躍していて、テニスを知らない方でも名前は知っているくらい世界中で有名な方ですね。
そんな錦織圭さんは5歳でテニスを始めて以来、数々の大会で好成績を残しテニス一色の人生を歩んでます。
具体的にどの様な人生だったのでしょうか。
現在も世界で活躍されている錦織圭さんの輝かしい経歴なども注目されています。
そこで、この記事では…
●錦織圭の生い立ちなどのwikiプロフィールが知りたい
●錦織圭の学歴や驚愕の経歴とは?時系列順にご紹介!
●錦織圭の歴代コーチは誰?現在のコーチについても
これらのことについて、まとめていきたいと思います。
錦織圭のWikiプロフィール
●名前:錦織 圭(にしこり けい)
●生年月日:1989年12月29日
●年齢:34歳(2024年1月現在)
●身長:178cm
●体重:73kg
●血液型:A型
●利き手:右
●バックハンド:両手
●出身地:島根県松江市
●所属:日清食品
島根県出身ということですが、あまり方言などを話しているイメージはありません。
錦織圭さんのテニスプレイヤーとしての人生は、一体どんなスタートだったのでしょうか?
一流選手になるまでの道のり、気になるよね。
錦織圭の生い立ち
錦織圭さんの父親(錦織清志さん)と母親(錦織恵理さん)は、地元のテニスサークルで知り合ったことがきっかけで結婚しました。
両親までテニスが縁で知り合ったなんて、運命を感じますね。
錦織圭さんが初めてテニスのラケットを持ったのは5歳の時ですが、その時には4歳年上の姉や父親と公園でボールを打っていました。
最初は公園でボールを打ち合ういわば軽い遊びのようなものだったのですが、2ヶ月後には雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートでテニスを始めます。
この幼少期が天才テニスプレイヤー錦織圭の原点となっています。
テニスを始める前は水泳、英会話、サッカーもやっていたんだって。
アクティブな子供だったんだね。
錦織圭の学歴
錦織圭選手の最終学歴は高卒です。
学歴
●2002年3月 松江市立乃木小学校卒業
●2005年3月 開星中学校卒業
●2008年3月 青森山田高校卒業
錦織圭さんは高校二年生の時にプロに転向表明しているから大学は行ってないよ。
ジュニア時代(小学生)
錦織圭さんは、松江市内に位置する「グリーンテニススクール」に入会し、4年生の時には中国地方の代表選手として全国小学生テニス選手権大会に出場します。
小学生時代の戦績がこちら。
・全国小学生テニス選手権大会(小学5年)…ベスト8
・全国選抜ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部/小学6年)…優勝
全国選抜ジュニアテニス選手権大会で錦織圭さんのプレーを見ていた松岡修造さんは、錦織圭さんの圧倒的な才能もはもちろん感じていましたが錦織圭さんの表現力の乏しさも見抜いていました。
松岡修造さんは、錦織圭さんの良い所も悪い所も全部見抜いていたんですね。
その後、全国選抜ジュニアから1週間経った時、「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」の招待状が錦織圭さんに届きました。
ちょうど修学旅行の時期でしたが、錦織圭さんは松岡修造さんのキャンプに行く事を優先させ参加しています。
それほど、この頃にはもう錦織圭さんの中で”テニス”をしめる割合が高くなっていたのでしょう。
松岡修造さんは、錦織圭さんの苦手とする表現力のメンタルトレーニングを克服する為、熱心に指導されました。
その指導結果、
・全国小学生テニス選手権大会…優勝(ストレート勝ち)
・全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)…優勝
こうして、史上5人目である全国大会三冠を達成いたしました。
そして小学6年生の時、修造チャレンジに2度目の参加をされました。
コートには取材カメラも多く密着しており、かなりのプレッシャーの中でしたが錦織圭さんは小学生でありながら、高校生に勝利しており、これからのテニスプレイヤーとしての大きな自信になりました。
この高校生とは身長が30センチも違ったんだって。
ジュニア時代(中学生)
中学1年生の時、錦織圭さんはヘッドコーチの推薦によりプロアスリートを専門にするスポーツ選手の総合養成学校であるIMGアカデミーに短期留学しました。
すでに、プロへの道を突き進んでいたというわけですね。
ここでは適応力・集中力・練習方法や試合に取り組む姿勢を高く評価され、渡米することになります。
ここでの戦績は、
・テキサス州のジュニア大会…ベスト8入り(ダブルスでは準優勝)
・オレンジボウル選手権(14歳以下の部)…準優勝
・モロッコのG3ジュニア大会(中学2年生の時)…優勝
わずか14歳で、モロッコG3ジュニア大会優勝だなんて
すごい快挙ですね。
そのほかにも、IMGアカデミーの日本人メンバーと共に男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップで日本代表として出場し、スペイン戦に勝利した為、日本を11位から5位入賞させる事に尽力しました。
ジュニア時代(高校生)
錦織圭さんは中学時代に引き続き渡米していたので、高校もアメリカ・フロリダ州にある完全寄宿制のテニス選手養成学校であるIMGアカデミーに在籍してテニスに打ち込む生活を送っています。
ちなみに、青森山田高校の通信制課程に入学をして高校卒業資格を取得しています。
高校での戦績は、
・ジュニアG2の大会…ベスト4(IMGアカデミーのトップグループに昇格/高校1年生の時)
・全米オープンジュニア…3回戦進出
・世界スーパージュニアテニス選手権大会…準決勝に進出(ダブルスでもベスト4)
・全豪オープン男子ジュニア…ベスト8入り(ダブルスでもベスト4)
錦織圭さんにとって、初のツアー大会出場となったATPチャレンジャーツアー大会と島津全日本室内テニス選手権大会ではワイルドカードで出場し、初戦は敗退いたしましたが、初のATPポイントを獲得しました。
【ATPとは?】
男子プロテニス協会(Association of Tennis Professionals)の事で、
ATPランキング=男子テニス世界ランキング
その後も、かなりの好成績を収めていきます。
・フューチャーズ大会(メキシコ)…ベスト4入り
・全仏オープン男子ジュニアダブルス部門…ジュニアダブルス優勝/男子ジュニアシングルス8強入り
・カリフォルニアの大会…ベスト4入り
・メキシコの大会…初優勝
このメキシコの大会で優勝した後、錦織圭さんはATPランキングポイント12を獲得し、ATPチャレンジャーツアーの予選に出場するまでにランキングを上げました。
高校生にして世界ランク入りするなんて
本当に凄いとしか言えませんね…
高校2年生の時点で世界ランキング603位で日本人選手10位と高校生ながら日本トップ選手の1人になりました。
高校生にして日本を代表する選手になるとは、どれだけ努力したことか計り知れません。
その後も錦織圭さんは数々の大会に出場し…
・マイアミ・マスターズのジュニア部門…優勝(初出場)
・全米男子クレーコート選手権シングルス…1回戦予選敗退(初出場)
・LAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルス…準優勝(初のチャレンジャー大会)
・カントリーワイド・クラシックシングルス…1回戦敗退
・RCA選手権シングルス…べスト8(日本人男子史上最年少)
・全米オープングランドスラム予選…予選2回戦敗退(初挑戦)
・チャイナ・オープンシングルス…1回戦敗退
このような結果を残しています。
もちろん、百戦錬磨というわけではなく苦い思いもしつつ、それでも挑戦しつづけたのです。
色んな大会にどんどん挑戦していく姿は、想像するとワクワクするよね。
錦織圭の経歴
プロ転向後の経歴
●2007年10月/高校2年生の時、プロデビュー
●2008年2月/ツアー初優勝
●2009年 ケガの為欠場
●2010年 復帰
●2011年 日本人男子歴代最高ランク達成
●2012年 全豪ベスト8 ツアー2勝目
●2013年 全豪ベスト8 ツアー3勝目
●2014年 全米準優勝 マスターズ準優勝/ATPファイナルズベスト4
●2015年 世界4位 アジア人初の生涯獲得賞金1000万ドル突破
●2016年 リオオリンピックで銅メダル/全米ベスト4で年間勝利数世界3位
●2017年 トップ10陥落/ツアー離脱
●2018年 マスターズ準優勝/全米ベスト4/ウィンブルドンベスト8/トップ10復帰
●2019年 ツアー12勝目 全豪ベスト8/全仏ベスト8/ウィンブルドンベスト8
●2020年 ケガによる故障
●2021年 東京オリンピックベスト8
●2022年 ツアー長期離脱/ランキング消滅
●2023年 チャレンジャーツアーより復帰
プロ入りしてからの経歴をそれぞれ詳細をみていきます。
【2007年】高校2年生の時、プロ入り
錦織圭さんは2007年9月29日に日本へ帰国して記者会見を行い、プロへ転向すると発表し、ジャパンオープンでプロデビューを果たします。
しかし、プロデビュー戦は苦い結果となりシングルスとダブルス共に1回戦敗退という結果に。
この当時17歳ですし、こういった悔しい思いが錦織圭さんを後押ししていったのかもしれませんよね。
プロの厳しさを痛感したかもしれないよね。
【2008年】2月 ツアー初優勝
プロデビュー戦では悔しい思いをした錦織圭さんですが、2018年2月に行われたデルレイビーチ国際テニス選手権では初進出の決勝でジェームズ・ブレークさんに見事勝利しツアー初優勝を果たします。
日本人男子選手としては、ATPツアー制覇は松岡修造さん以来16年ぶりとなる快挙でした。
日本人としては2人目だったんだって。
その後、ソニーと所属契約した錦織圭さんはその後も数々の大会に出場し、実力を伸ばしていきます。
【男子国別対抗戦デビスカップ】…日本代表に選出され世界ランクで99位
【北京オリンピック推薦枠での出場】…初出場を果たしたがシングルス1回戦敗退
【全米オープン】…4回戦敗退
【AIGオープン】…3回戦敗退
【ストックホルム・オープン】…ベスト4進出
オリンピックでは、
結果が残せず残念でしたね…
【2009年~2010年】 ケガからの復帰
数々の大会に出場し、戦ってきた錦織圭さんは、全豪オープンでは1回戦敗退と悔しい結果となりましたが、2009年2月2日付の世界ランキングでは自己最高となる56位となり、見事にATPワールドツアー最優秀新人賞を受賞しました。
順調に世界一の階段を上りつめていた錦織圭さんでしたが、体を追い詰めすぎたのか2009年5月に右肘の疲労骨折が判明してしまいます。
そのため2009年のウィンブルドン選手権と全米オープンを欠場し、8月には右肘の手術を受け残りの全てのツアーを欠場し、体の回復にます。
出場したい思いはあっただろうけど、体調を万全にしておくのもスポーツ選手にとっての大切なことだもんね。
怪我の完治には月日を要しましたが、、翌年の2010年には見事に怪我から復帰を果たします。
失っていたランキングも、復帰後は順調に好成績を収めてランキングを回復していきます。
この年の戦績は、
【全仏オープン】…2回戦で敗退
【ウィンブルドン】…初戦ストレート負け(主催者推薦で出場)
【全米オープン】…2回戦勝利(2年ぶりの本戦出場)
【楽天オープン(東京)】…初戦敗退
復帰後の試合というだけありなかなか厳しい試合になってしまいましたが、ATPチャレンジャーツアーでは4回の優勝を果たししっかりと結果を残しています。
怪我からのリハビリも大変だっただろうけど、少しづつ感覚を取り戻している感じだね。
【2011年】 日本人男子歴代最高ランク
2011年1月3日には、ユニクロとスポンサー契約を結びます。
この年にも、数々の大会に出場しています。
【全豪オープン】…初勝利
【SAPオープン】…1回戦ストレート勝ち(2月14日付で世界ランキングで68位)
【デルレイビーチ国際テニス選手権】…準決勝進出
【ソニー・エリクソン・オープン】…1回戦勝利(ATPワールドツアー・マスターズ1000大会の初勝利)
【全米男子クレーコート選手権】…準優勝(自己最高ランクの48位)
【バルセロナ・オープン】…3回戦敗退(自己最高の47位)
【全仏オープン】…2回戦敗退
【グランドスラム】…2回戦敗退
【デビスカップ/ウズベキスタン戦】…2日目のダブルス勝利/3日目のシングルス勝利
【上海マスターズ】…初のベスト4進出(※世界ランキング30位・日本人男子選手最高位更新)
【スイス・インドア】…決勝進出(ATPツアー3度目)
日本男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利しました。
これは錦織圭さんが史上初です。
そのためスイス・インドアでは優勝に期待がかかるも惜しくも準優勝となりました。
世界1位の壁って本当に高いんだねぇ…
【2012年~2013年】 全豪ベスト8 ツアー
【ブリスベン国際】…2回戦敗退
【全豪オープン】…準優勝敗退(ベスト8入り)
【デビスカップ・ワールドグループ】…クロアチアに負け敗退
【インディアンウェルズ・マスターズ】…1回戦負け(ソニー・エリクソン・オープンで日本男子初ベスト16入り)
【バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル】…準々決勝で途中棄権(腹筋を痛めた為)
バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルでお腹の筋肉を痛めてしまったので、全仏オープンは欠場となりましたが、その後はエキシビションマッチで復帰を果たします。
しかし、ウィンブルドン選手権では3回戦でストレート敗退となりました。
怪我からの復帰戦はかなり体的に大変そうだね。
その後ロンドンオリンピックに出場し、日本男子シングルス選手として88年ぶりの勝利を手にします。
このことからも、他の国のテニスのレベルがどれだけ高いかというのが分かるかと思います。
その後2回戦、3回戦と勝ち進み、ベスト8に進出と順調に勝ち進めていきますが、準々決勝敗退という惜しい結果になりました。
オリンピックの後の錦織圭さんの戦績がこちらです。
【全米オープン】…3回戦敗退(第17シードで出場)
【デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ/イスラエル戦】…勝利
【楽天ジャパン・オープン】…ツアー2勝目(※世界ランキング自己最高の15位)
デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフのイスラエル戦では初めの日に肩に痛みがあり、欠場となります。
しかし、最終日には無事に復活し、左脹脛が痙攣するという不調になりながらも勝利しました。
ただ、この年は怪我に見舞われる年だったのか、2012年最後に出場したパリ・マスターズの3回戦では右足首に痛みがあり棄権しています。
その翌年の戦績がこちら…
【ブリスベン国際】…ベスト4(第5シードで出場)
【全豪オープン】…4回戦敗退(日本人初のベスト16に2年連続進出)
【全米国際インドアテニス選手権】…ツアー3勝目(全試合ストレート勝ち)
【欧州クレーコートシーズン】…ベスト8進出
【全仏オープン…4回戦敗退(日本人選手では75年ぶりベスト16進出/※世界ランキング13位)
【ゲリー・ウェバー・オープン】…初戦敗退(シングルス自己最高ランキング11位※昨年度優勝者が準決勝敗退のため)
この間にも怪我などに見舞われますが、順調に世界ランキングをあげた錦織圭さんです。
にしても試合を振り返って思うのですが、錦織圭さんは一体どこで休んでいるのだろうと疑問に思うほどです。
怪我をした時以外にもしっかりと休む期間があるのか疑問さえ出てくるくらいにテニス漬けの日々ですね。
【2014年~2016年】 全米準優勝 マスターズ準優勝~全米ベスト4
では、ここからは2014年から2016年までの錦織圭さんの戦績をまとめてご紹介します。
2014年 全米準優勝 マスターズ準優勝
【2014年】
・全豪オープン…3年連続16強入り(※3年連続)
・デビスカップ2014…準々決勝進出(日本初)
・全米国際インドアテニス選手権…優勝(2連覇)
・マイアミ・マスターズ…ベスト4進出(マイアミ初のマスターズ1000では3年ぶり)
・バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル…優勝
・マドリード・マスターズ…決勝進出(※自己最高9位となり、アジア男子最高位タイ)
・全仏オープン…1回戦敗退
・ゲリー・ウェバー・オープン…準決勝敗退
・ウィンブルドン…4回戦敗退
・シティ・オープン…準々決勝敗退(ベスト8進出)
・全米オープン…決勝敗退(※世界ランク8位以上確定/日本人男子記録更新)
・マレーシア・オープン・クアラルンプール…初優勝(大会初/自己最高7位)
・楽天ジャパン・オープン…優勝
・BNPパリ・マスターズ…ベスト4進出
怪我の影響もあり1回戦で敗退することもありましたが、その後の錦織圭さんの巻き返しはすごく、日本人初の快挙である世界ランキング6位となります。
正直、この試合経過を書いているだけでも身震いするほどです。
錦織圭さんの徐々に上り詰めていく戦績、そして怪我の影響を受けながらもさらに上に、と本当に漫画のようですね。
この2014年のATPレース・ランキングでは、
など、合計4625ポイントを見事獲得して世界ランキング5位の成績を達成しています。
そして迎えたアジア出身男子初のATPワールドツアー・ファイナルズでは惜しくも敗退していまうのですが、ATPの年間最終ランキング自己最高の5位を記録することとなりました。
2015年 世界4位
【2015年】
・ブリスベン国際…ダブルスは決勝進出/シングルスではベスト4進出
・全豪オープン…ベスト8進出
・メンフィス・オープン…決勝進出(※世界ランキングで自己最高の4位確定)
・デビスカップワールドグループ…2勝3敗で敗退
・BNPパリバ・オープン…準々決勝敗退
・バルセロナ・オープン…優勝(ATPツアー優勝は日本人最多記録の9回を記録)
・マドリード・オープン…ベスト4進出
・BNLイタリア国際…準々決勝進出
・全仏オープン…準々決勝進出
・ゲリー・ウェバー・オープン…準決勝途中棄権(左ふくらはぎの筋膜炎を発症)
・ウィンブルドン選手権…2回戦棄権(ケガ悪化の為)
・シティ・オープン…優勝(世界ランキング4位)
・ロジャーズ・カップ…準決勝敗退
・全米オープン…初戦敗退
・デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ…シングルスの第2戦勝利となるがダブルス敗退
・楽天ジャパン・オープン…準決勝敗退
・上海マスターズ…3回戦敗退
・ATPワールドツアー・ファイナルズ…準決勝進出ならず(※年間最終ランキング8位)
錦織圭さんはこの年、「世界で最も稼ぐスポーツ選手」ランキング92位になりました。
メジャーリーガーで活躍する田中将大選手に続いて日本人ではランキング2位で、1950万ドル(日本円で約23億円)と発表されています。
獲得賞金ランキングでは、7位にランクインし、191万4692ドル(日本円で約2億3千万円)と発表されました。
なんて夢のあるスポーツなんでしょう。
でもここまでの選手になれるのはきっと一握りだよね。
2016年 全米ベスト4で年間勝利数世界3位&リオオリンピック銅メダル
【2016年】
・ブリスベン国際…シングルス準々決勝敗退/タブルス準決勝棄権
・全豪オープン…準々決勝進出(日本人最多記録の全豪通算20勝をあげる)
・メンフィス・オープン…優勝(大会初4連覇達成)
・メキシコ・オープン…2回戦敗退
・デビスカップ…第4戦敗退
・BNPパリバ・オープン…準優勝(2年ぶりのベスト4進出)
・バルセロナ・オープン…準優勝
・マドリード・オープン…準決勝敗退
・BNLイタリア国際…ベスト4進出
・全仏オープン…4回戦敗退
・ゲリー・ウェバー・オープン…2回戦棄権
・エキジビジョン…第2セットの途中棄権
・ロジャーズ・カップ…準優勝決勝
・ウエスタン・アンド・サザン・オープン…3回戦敗退
(ロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンの成績により全米オープンシリーズで85ポイントを獲得し、初優勝)
・全米オープン…準決勝敗退(大会後のランキングでは5位に復帰)
・デビスカップワールドグループ・プレーオフ/ウクライナ戦…第3試合のダブルス勝利
・楽天ジャパン・オープン…2回戦棄権
・スイス・インドア…準優勝(世界ランキングで自己最高の4位に復帰)
・BNPパリバ・マスターズ…3回戦敗退
・ATPワールドツアー・ファイナルズ…準決勝敗退(※年間最終ランキング5位)
この年の8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは、シングルスでベスト4入りを果たします。
準決勝では惜しくも敗退しましたが、3位決定戦で見事に勝利して自身初となるオリンピック銅メダルを獲得するのです。
きっと大勢の日本人が錦織圭さんの戦う姿に心打たれた事でしょう。
【2017年~2019年】 トップ10陥落からの復活劇
ここからは、2017年から2019年までの経歴を見ていきましょう。
2017年 トップ10から陥落
【2017年】
・ブリスベン国際…ダブルス準々決勝敗退/シングルス準優勝
・全豪オープン…4回戦敗退
・アルゼンチン・オープン…準優勝
・リオ・オープン…初戦敗退
・BNPパリバ・オープン…準々決勝敗退
・マイアミ・オープン…準々決勝敗退
・ムチュア・マドリード・オープン…4回戦で手首の痛みにより棄権
・BNLイタリア国際…3回戦敗退
・全仏オープン…準々決勝敗退
・ゲリー・ウェバー・オープン…2回戦途中棄権(腰の違和感により)
・ウィンブルドン選手権…3回戦敗退
・シティ・オープン…準決勝敗退
・ロジャーズ・カップ…2回戦敗退(ATPが2017年の大逆転勝利ベスト5マッチの第2位に選定)
試合の結果を見てもわかるように、この年は怪我によって不調がけっこう続いていたようです。
その後も錦織圭さんは手首の痛みがあり、検査をした結果、”尺側手根伸筋腱の部分断裂”と診断されるのです。
そのため、これから後の2017年シーズンは全休すると決めます。
その結果、最終ランキングは22位に後退となります。
ケガによる後退は、無念だった事とお察しします…
2018年 マスターズ準優勝し、ベスト4入り
怪我により休養していた錦織圭さんですが、この年から試合に復帰します。
【2018年】
・ATPチャレンジャーツアーのニューポートビーチ…1回戦敗退
・チャレンジャーツアー/RBCテニスチャンピオンシップス・オブ・ダラス…優勝
・ニューヨーク・オープン…準決勝敗退
・メキシコ・オープン…初戦敗退
・BNPパリバ・オープン…体調不良により棄権
・マイアミ・オープン…3回戦敗退
・モンテカルロ・マスターズ…準優勝
・ムチュア・マドリード・オープン…初戦敗北
・BNLイタリア国際…準々決勝敗退
・全仏オープン…3回戦完勝
・ウィンブルドン選手権…準々決勝敗退
・シティ・オープン…準々決勝敗退
・ロジャーズ・カップ…初戦敗退
・ウエスタン・アンド・サザン・オープン…初戦敗退
・全米オープン…準決勝敗退
・楽天ジャパンオープン…準優勝
・上海マスターズ…準々決勝敗退
・エルステ・バンク・オープン…準優勝
・パリ・マスターズ…ベスト8入り
・Nitto ATPファイナルズ…3回戦敗退
・エキシビションマッチ/ハワイオープン…優勝
この年、世界ランク9位が決定し、1年以上ぶりのトップ10に復帰を果たしました。
ちなみに錦織圭さんがジョコビッチ選手に何度も敗れているのは、相性が悪いからなのかな…
2019年 全豪ベスト8
【2019年】
・全豪オープン…ベスト8進出(※この大会の4回戦の試合時間5時間5分は自己最長であり、今大会も最長試合)
・ABNアムロ世界テニス・トーナメント・…準決勝敗退
・バルセロナ・オープン…準決勝敗退
・全仏オープン…準々決勝敗退
・ウィンブルドン選手権…準々決勝敗退
・ロジャーズ・カップ…2回戦敗退
・ウエスタン・アンド・サザン・オープン…2回戦敗退
この年の9月、右上腕の違和感を取り除くことを重視して錦織圭さんはアジアシーズンの欠場を発表します。
10月には右肘の手術を受けることになった為、2019年の残りシーズンを全休する事になり最新ランキングでは11位に後退し、TOP10から陥落となってしまいます。
年間での最終ランキングは13位と後退となりました。
【2020年~2021年】 コロナの影響~東京オリンピック出場
この年は、世界に多大な影響を及ぼした新型コロナウイルス感染症流行の影響により、ツアー自体が中断を余儀なくされます。
錦織圭さんはウエスタン・アンド・サザン・オープンを復帰戦として予定していたのですが自身が新型コロナウィルスに感染してしまい大会欠場となってしまいました。
その後の検査で陰性にはなりましたが、時間的にも準備が間に合わない為、全米オープンも欠場せざるを得ませんでした。
コロナ渦では、世界中の人が苦しい思いをしましたね。
その後、試合に参加し始めた結果がこちら。
【2020年】
・オーストリア・オープン…1回戦敗退
・BNLイタリア国際…1回戦勝利
・全仏オープン…2回戦敗退
(※年間最終ランキングは41位)
【2021年】
・ATPカップ…1回戦敗退
・全豪オープン…1回戦敗退
・ABNアムロ世界テニス・トーナメント…準々決勝敗退(ベスト8進出)
・マイアミ・オープン…2回戦敗退
・ムチュア・マドリード・オープン…2回戦敗退
・BNLイタリア国際…3回戦敗退
・全仏オープン…4回戦敗退
・ウィンブルドン…2回戦敗退
・シティ・オープン…準決勝敗退
・ナショナル・バンク・オープン…2回戦棄権
・全米オープン…3回戦敗退
・BNPパリバ・オープン…2回戦敗退
(※2021年の最終ランキングは47位)
この年、8月に1年遅れで開催されることになった東京オリンピック2020に単複出場を決定しました。
男子ダブルスでは準々決勝でクロアチアに惜しくも敗れ、男子シングルスでは準々決勝まで勝ち進みますがジョコビッチ選手に敗れました。
ここでもジョコビッチ選手…錦織圭さんにとっての宿敵だね。
【2022年~2023年】 ツアー長期離脱~チャレンジャーツアー復帰
全豪オープンを左股関節痛のため欠場してから様々なリハビリを試した錦織圭さん。
その経過も踏まえてチームと相談した結果、内視鏡による手術を受ける事になります。
それに伴って8月に全米オープンの欠場を発表。
6月に自身がアンバサダーを務めているユニクロと所属契約したばかりの決断でした。
楽天オープン開催期間中のイベントには、自宅であるフロリダからリモート出演し、復帰戦の見通しについて「早く出たい気持ちはあるが、今年は試合に全く出れない可能性もある」と複雑な心境も明かしていました。
そして10月には、世界ランキングが更新され2010年以降ずっと維持してきたポイントが消滅してしまいます。
実に、12年6カ月ぶりにランク圏外となってしまいます。
マネジメントより今季のツアー復帰は断念する事が公表され、股関節の回復については完治したとのことでしたが10月の復帰に向けての練習最中に足首を捻挫してしまい、今期出場は本人の判断により断念しました。
有明コロシアムで行われたユニクロのイベントに出席した錦織圭さんは、イベント後の取材でケガについて「いつ戻れるか分からず、今は1ヶ月くらいテニスができていない。」と語っていました。
夏にはテニスを辞める事も考えたと話しており、引退も考えて様ですね。
テニスプレイヤーにとって1か月コートに立てないという状況がいかに大変なことかが分かる言葉ですよね。
その後の2023年、錦織圭さんはATPチャレンジャーツアーのカリビアン・オープンに出場し、1回戦でクリスチャン・ランモ選手に勝利を収めました。
その後は順調に勝ち進み、復帰後初めての大会にて優勝を果たしました。
復帰後の快進撃がすごいね。
錦織圭の現在のコーチ
錦織圭さんの現在のコーチは、マイケル・チャンコーチとマックス・ミルヌイコーチの2人です。
引用:Twitter
マイケル・チャン
●生年月日:1972年2月22日(2023年6月現在 51歳)
●国籍:アメリカ合衆国
●経歴:ATPマスターズシリーズ優勝7回・自己最高ランキングは、シングルス2位
チャンコーチは2003年に現役を引退し、2013年より錦織圭選手のコーチとなりました。
引用:tennis365.net
マックス・ミルヌイ
●生年月日:1977年7月6日(2023年6月現在 45歳)
●国籍:ベラルーシ
●経歴:2012年ロンドンオリンピック混合ダブルスで金メダル・自己最高ランキングは、シングルス18位
ミルヌイコーチは2018年に現役を引退し、2020年より錦織圭選手のコーチングスタッフに入りました。
錦織圭さんにコーチングできるくらいの人達なので、その実力とコーチング力はお墨付きでしょう。
錦織圭の歴代コーチ
錦織圭さんの今までの歴代コーチについても見ていきましょう。
期間 | コーチ |
2003年〜2007年 | ニック・ポロテリー |
2007年~2010年 | グレン・ワイナー |
2010年~2019年 | ダンテ・ボッティーニ |
2013年~現在 | マイケル・チャン |
2019年~現在 | マックス・ミルヌイ |
ニック・ボロテリーさんは錦織選手の専属コーチではなかったのですが、錦織選手のテニスプレーヤーとしての原点となった人物なので、コーチ一覧に入れさせてもらいました。
そして、当時若干18歳だった錦織選手がデルレイビーチオープンで初優勝を飾ったのはグレン・ワイナーコーチがチャレンジしてみろと勧めたことがきっかけでした。
錦織圭さんはあまに乗り気ではなかったので、グレン・ワイナーコーチの強い勧めがなければ実現しなかったかもしれませんでした。
選手の背中をうまく押してあげられるというのも名コーチと言われる条件かもしれませんね。
そして錦織圭さんのテニス選手キャリアで、一番密接なつながりを持ったと言われるのがダンテ・ボッティーニコーチです。
ダンテ・ボッティーニコーチが錦織圭さんに教えたものはフィジカルでしょう。
幾度となく怪我をして涙したであろう錦織圭さんですが、それでも再び立ち上がり、好成績を収められたのはコーチの存在ありきだったのではないでしょうか?
そして、次に契約したコーチがイケル・チャンコーチと錦織圭さんとは、テニスプレイヤーとして多くの共通点があることもかなり大きいですよね。
小柄な身体でありながら、パワーヒッターに対抗するための戦術や技術など、錦織圭さんが欲しいているであろう情報と技術を持っているコーチと言えます
そして今現在のマックス・ミルニーコーチですが、現役を引退したのは2018年なのでコーチとしての経験はまだ浅いです。
ただ錦織圭さんとはIMGアカデミー時代からの知り合いで、アカデミー時代にもよく教えてもらっっていました。
色々な場所と人とのつながりが今の錦織圭さんを作り上げていて、なんだか感動してしまいいますね。
まとめ
●名前:錦織 圭(にしこり けい)
●生年月日:1989年12月29日(2024年1月現在 34歳)
●身長:178cm
●体重:73kg
●利き手:右
●バックハンド:両手
●出身地:島根県松江市
●プロ入り:2007年10月 16歳(高校2年生)
●現在のコーチ:マイケル・チャン、マックス・ミルヌイ
世界的テニスプレイヤーである錦織圭選手の経歴については、一部端折った部分もありますが、すさまじいものですね。
しかし、ケガや故障に悩まされ、2022年(31歳の時)には、引退の文字が頭をよぎった事もあります。
スポーツ選手にはケガがつきものですが、復帰戦を果たしたばかりの錦織圭選手の万全な体調をお祈りするとともに、益々の活躍を期待しています。