【広末涼子の家族構成】両親(父親/母親)の職業と兄弟は妹が1人!生い立ちは?

中学2年生の時、自らCMオーディションに応募して見事グランプリを受賞し芸能界入りした広末涼子さんは、幼いながらに芸能界に飛び込むという決断は、家族の協力なしでは叶えにくいものでもありますよね。

広末涼子さんの”芸能界に入って女優になる”という夢を支えたご両親やご兄弟は一体どんな方達でしょうか。

【2024年1月1日】
広末涼子さんと鳥羽周作さんが2024年中に結婚する意志を発表しました。

【2023年7月23日】
広末涼子さんが、キャンドル・ジュンさんとの離婚を発表しました。

そこで、今回のこの記事では、

・広末涼子の家族構成について
・広末涼子の両親は、どんな人なのか?
・広末涼子の兄弟について
・広末涼子の生い立ちは?

これらのことにについて、まとめていきたいと思います。

広末涼子さんの家庭環境に興味がある方はもちろん、芸能界に入りたいという夢を持っている家族がいる方も最後まで必見です。

目次

広末涼子の家族構成

広末涼子さんの家族構成は、父親・母親・本人・妹の4人家族です。

父親:廣末忠彦
母親:廣末眞弓
本人;広末涼子
妹:廣末衣美

幼い頃は、ローラースケートや川遊びなど活発な遊びが好きで元気に育った広末涼子さんですが、ご両親は、広末涼子さんを育てる上でしつけは厳しくされていました。

厳しいだけではなくしっかりと愛情もあったので、家族4人がとても仲も良くて明るい家庭で育ちました。

こあら

ご両親はメリハリのある育児をされていたんだね。

では、その広末涼子さんのご両親はどんな方なのか、詳細を記載していきます。

広末涼子の両親について

広末涼子さんを育ててきたご両親についてご紹介いたします。

父親:廣末忠彦
母親:廣末眞弓

広末涼子さんの女優になりたいという夢を応援し、厳しくも愛情のある家庭で育てたご両親1979年(昭和54年)に結婚されています。

ご両親の出会いのきっかけは、1975年(昭和50年)に父親が横浜駅前で母親に声をかけたことだったとのことなので、いわゆるナンパってことですね。

父親は積極的な面があったとうかがえますね。

また、母親も父親の優しい面に惹かれて交際がスタートしました。

結婚した翌年1980年(1980年)には広末涼子さんが誕生しています。

そんな広末涼子さんの父親と母親について、詳しくみていきましょう。

うま

ご両親が美男美女だから広末涼子さんは美人なんだね。

広末涼子の父親の職業

広末涼子さんの父親の職業は雑貨店の経営です。

名前:廣末忠彦
生年月日:1955年生まれ
年齢:68歳(2023年6月時点)

上の写真は、父親のまだ若い頃ですが、広末涼子さんにそっくりでイケメンですよね。

当時はとてもモテたのではないでしょうか?

一般の方なのであまり詳しいことは公開されていませんが、現在の職業は、

全国フランチャイズの生活雑貨店「MAMAIKUKO(ママイクコ)」の経営

という事がわかっています。

ママイクコでは、ギフトに最適な送りものなど、幅広い商品が取り揃えられていて通販も行っています。

画像引用:Instagram

とても清潔感のあるホームページで、好感が抱けるSHOPでした。

父親は、地元では高知名物である”よさこい踊り”の名手としても有名とのことで地元を大切にしている方だというのが分かりますよね。

広末涼子さんが帰省した時には、親子でお酒を飲みに出かけることもあるほど仲良し親子です。

いぬ

父親にとって娘と一緒にお酒を飲む事は至福の時でしょうね。

広末涼子の父親が亡くなった噂

そんな広末涼子さんとも仲良しな父親ですが、”亡くなった”という噂もあります。

しかしこの噂は、

俳優の高倉健が亡くなったことと勘違い

という可能性が高いです。

広末涼子さんは、俳優である高倉健さんとは映画”鉄道員”で娘として共演しています。

高倉健さんが亡くなられた時に広末涼子さんはお悔やみのコメントを出していているのですが、その際に”父が亡くなった”という書き方をしていたので、広末涼子さんの父親が亡くなったという勘違いが広まったのだと推測します。

広末涼子さんの実の父親である忠彦さんが亡くなったという情報はないので、今も健在だと考えられます。

広末涼子の母親の職業

広末涼子さんの母親の職業は、父親の経営する雑貨店での手伝いです。

広末涼子さんの母親は、

名前:廣末眞弓
生年月日:1956年
年齢:67歳(2023年6月時点)

父親よりも一歳年下になりますね。

現在の職業は、

父親が経営する雑貨店「MAMAIKUKO(ママイクコ)」

ということで、夫婦で協力して頑張っているようです。

母親は、北海道旭川市出身の方で旧姓は”安藤”と言います。

広末涼子さんの母親は「どんな時も挨拶を大切に」という教訓を徹底していて、芸能界に入った広末涼子さんに良い影響を与えています。

しつけは厳しい母親でしたが、広末涼子さんとの信頼関係も強くて何でも話せる頼れる存在だと広末涼子さんも話してています。

広末涼子の兄弟は妹が一人

広末涼子さん

名前::廣末衣美(えみ)
生年月日:1983年
年齢:40歳(2023年時点)

となり、広末涼子さんよりも3歳年下となります。

上の写真の右側の写真は大人になってからのもののようですが、角度によってはかなり広末涼子さんに似ていますね。

妹である衣美さんは、高校を卒業してから保育士になるために東京の大学に進学しています。

大学を卒業した後、東京の保育園に勤務しており広末涼子さんと一緒に暮らしていた時もありました

現在は高知で知り合った男性と結婚しており、旦那さんの地元である高知市に帰り、子供にも恵まれ暮らしています。

二人姉妹というのもあり、妹の衣美さんは広末涼子さんにとって良き相談相手です。

ですので、結婚や出産、育児など人生においての大きな悩みなどについても多く話す仲です。

広末涼子の生い立ち

広末涼子さんは1980年7月18日に高知県高知市で産まれました。※2024年1月時点で43歳

画像引用:Twitter

とても素敵なご両親をお持ちの広末涼子さんですが、生い立ちはどんな感じだったのでしょうか?

広末涼子さんは予定日より1か月も早く生まれて体重は2000gほどの未熟児でした。

心配そうな母親に対して医師は「生命力が強いから大丈夫!」と安心させてくれました。

出産したばかりで精神的にも不安定な母親にとって、こういう医師の言葉はかなり心強いですね。

しかしその後、広末涼子さんは赤ちゃんの頃に”川崎病”と言う原因が不明の病気に罹ってしまいます。

そのため、1年間入院していたという過去があります。

【川崎病とは?】
1960年代に発見された、主に乳幼児がかかる発熱性疾患(病気)
突然の高熱が数日続き、目や唇の充血、身体の発疹、手足の発赤(=赤くなること)、首リンパ節の腫脹など様々な症状を惹き起こす
小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群とも言われるが、世界的に「川崎病 (KD)」と呼ばれるのが一般的

この病気の影響もあってか、スポーツや長距離など激しい運動には注意が必要な体でしたが、広末涼子さんのご両親は本人がやりたいことを好きなようにさせてくれました。

健康に配慮しながらも、広末涼子さんの意思を尊重する素敵なご両親ですね。

くま

心配するあまり、過保護になってしまいそうなのにね…

そんな制限があったりとする中でも、広末涼子さんは意外にも小さい頃から人を楽しませることがとても好きでした。

”よしもとに入れるんじゃない?”なんて言われたこともあったほどです。

今の広末涼子さんからは想像があまり付きませんが、お笑い芸人をオススメされるくたいに明るい性格で、しかもテレビがとても好きだった広末涼子さんは、「女優になる」という夢は、もしかしたら必然だったのかもしれませんね。

広末涼子さんは保育園時代の5歳くらいから、すでに笑顔を作る練習を始めるなど、その夢を実現するために動き出していました。

その夢に向かって実際に動き出した広末涼子さんはどのようにスターに駆け上っていったのでしょうか?

広末涼子の簡易経歴

広末涼子さんの芸能界に入るまでの経歴を簡単にまとめましたのでご覧ください。

【1993年/高知市立追手前小学校卒業】
小学6年生の頃に四国四県を結ぶテレビ授業『1992年四国子供TVサミット』で小学校代表として司会をし、その様子がNHKで流れる

【1995年/芸能界入り】
クレアラシルのCMでデビュー

【1996年/高知市立城北中学校卒業】
陸上部に所属
走り高跳びの選手では県大会2位入賞を受賞
中学1年生の文集では”15歳の時-輝くモデルデビュー、18歳の時-芸能界に入り女優になる”と記載
中学2年生にCMオーディションに応募して第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し夢を実現

【1997年/歌手デビュー】
この年には歌手デビュー曲の「大スキ!」でオリコン1位を獲得
紅白歌合戦にも初出場


【1999年/品川女子学院高等部卒業】
この頃には神奈川県横浜市の伯母夫婦宅で暮らす
この年のNTTドコモポケベルのCMが話題


【1998年11月/早稲田大学教育学部国語国文学科入学】
自己推薦入試にて合格

【2003年/早稲田大学を退学】
10月6日に「女優業に専念したい」という理由から中退

このように、女優への道を進んでいった広末涼子さんは、私生活ではモデルの岡沢高宏との結婚&妊娠を発表し、2004年4月には第1子男児を出産しています。

しかし、2008年には岡沢高宏さんと離婚してシングルマザーになりました。

2010年にはキャンドルアーティストであるCANDLE JUNEとの再婚を発表し、2011年に第2子男児、2015年には
第3子女児を出産
しています。

母親をしながらも女優としての道を突き進め、大河ドラマや映画など多数出演されています。

個人的にですが、広末涼子さんは映画『おくりびと』での演技でかなり女優としての”広末涼子”を確立したのでは、と感じています。

まとめ

ここまで広末涼子さんについて、色々とご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

簡単にまとめると、

・広末涼子は父親・母親・本人・妹の4人家族
・ご両親は1979年(昭和54年)にナンパがきっかけで結婚
・父親は生活雑貨店「MAMAIKUKO(ママイクコ)」の経営をしていて、母親も手伝いをしている
・広末涼子の父親が亡くなったという噂はデマで、俳優の高倉健が亡くなったことと勘違いした情報
・妹の衣美(えみ)は3歳年下
・乳幼児期に”川崎病”に罹ったが、以後はとても活発に遊んでいた
・大学を中退した後は、女優業に専念

厳しくも愛情のあるご両親に育てられ、夢であった女優となった広末涼子さんは、過去に病気に罹るなど大変なこともありましたが、これからも持ち前の明るさで頑張ってほしいと思います。

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