2019年に日本代表、2021年には2020年東京オリンピックに出場したりと活躍を続けるバレーボール選手の山本智大さんは、2023年5月31日に堺ブレイザーズを退団したことを発表し、注目を集めました。
山本智大さんは粘り強いプレーが特徴で、チームを支え続けてきた素晴らしい守備力が持ち味です。
そんな山本智大さんとは一体、どんなバレーボール選手なのでしょうか?
そこで、この記事では
・山本智大の家族について
・山本智大のWikiプロフィールが知りたい
・山本智大のポジションや最高到達点は何センチ?
・山本智大の高校や大学などの学歴について
・山本智大の経歴を時系列にご紹介
これらのことについて、まとめていきます。
バレーボール選手としての山本智大さんに興味がある方はもちろん、プライベートにも迫っていきますので、また違った魅力がこの記事で発見できると思います。
山本智大の家族構成
山本智大さんの家族構成は両親と兄の4人家族です。
父親(忠文)・母親(伸子)・兄(貴大)・本人の4人
ここからは家族について更に詳しく見ていきましょう。
山本智大の兄は山本貴大
山本智大選手の兄は、バレーボール選手の山本貴大さんです。
山本智大さんの兄は
山本貴大
上記の2ショットの写真を見ても、2つしか変わらないので同い年くらいに見えますよね。
(※写真左:兄、右:山本智大)
貴大さんは「今は、弟が守護神となって仲間に声かけしたりする姿を見て、しみじみ成長したと感じます。」と語っています。
小さい頃のの山本智大さんを知っているからこそ、貴大さんの思いも特別なものがあるのではないでしょうか。
兄のバレー選手としての経歴は、
このようになっております。
貴大さんリベロではなくセッターとして活躍していました。
同じチームに所属している時期もあるでしょうし、コート内での兄弟の活躍もあったでしょう。
貴大さんの現在、札幌市恵庭市立恵庭中学校で教師をしながらバレー部の顧問をしています
山本智大さんが帰省した時には、兄である貴大さんが顧問を務めるバレー部に顔を出してバレー練習するほどの仲良しなんです。
ちなみに、バレー練習が終わった後には山本智大さんのサインと握手会が開かれていて、生徒たちにとっては特別な思い出になったことでしょう。
オリンピック選手となった山本智大さんの活躍を貴大さんは
智(智と呼んでいます)のオリンピック出場は、生徒たちにも大きな夢を与えることとなりました。
僕自身も一指導者として、これから未来のオリンピック選手を育てたいです。
このように語っています。
そして、山本智大さんのオリンピック出場には
僕には、遠くて届かなかった大きなステージに弟が立つことを誇りに感じます。
オリンピックでは相手の強打を拾いまくって、勝利に貢献できるよう応援しています!
このように激励の言葉を贈っていました。
兄弟の仲の良さがとってもわかるね。
山本智大の父親は山本忠文で元教師でバレーの顧問
山本智大さんの父親はさんはバレー部の監督を務めていました。
山本忠文
父親は、長年に渡ってバレーボール部の監督を務めている方でリベロとしての山本智大さんの才能を早くも見抜いた方と言えるでしょう。
山本智大さんにとってのリベロとしての活躍の立役者ですね。
山本智大さんがオリンピック出場が決まった際も
オリンピック出場おめでとう。自覚と責任を持って楽しもう!
このような温かい言葉をかけてくれた方ですので指導者として、父親としての関係性は抜群のようですね。
山本智大の母親はどんな人?
山本智大さんの母親は、ママさんバレーをしていました。
山本伸子
山本智大さんは兄のバレーを見学に行く以前、母親のママさんバレーに付いて行っていました。
母親の伸子さんも山本智大さんのオリンピック出場に
オリンピック出場おめでとう。感謝の気持ちを忘れず楽しんでね。
この様にエールを贈っており、”楽しんで”という言葉に母親の愛情を感じますね。
というわけで、家族全員がバレー選手という”バレー一家”で山本智大さんは育ちました。
これは影響を受けないわけがないですね。
山本智大のWikiプロフィール
名前:山本 智大(やまもと ともひろ)
ニックネーム:トモ
国籍:日本
生年月日:1994年11月5日
年齢:29歳(2024年1月時点)
出身地:北海道江別市
身長:171cm
体重:69kg
足のサイズ:25.5cm
血液型:B型
山本智大さんは、北海道江別市出身です。
江別市は北海道の中部に位置する市で、札幌市の隣に位置していますので札幌まで電車で20分と、利便性はいいですね。
また、北海道だけあり農業地帯が広々とあるとってものどかに過ごせる街なので、住みやすい町でもあります。
血液型がB型ということですが、B型男子はフレンドリーで優しく人情深いなどと言われています。
山本智大さんも持ち前のコミュニケーション能力はとても高く、代表チームの監督からもお墨付きをもらっているので、チームにとってはムードメーカー的な存在と言えます。
北海道育ちの人って、おおらかなイメージがあるね。
山本智大のポジションと最高到達点は?
では次に、山本智大さんのポジションや最高到達点も見ていきましょう。
ポジション:リベロ
スパイクの最高到達点:299cm
ブロックの最高到達点: 280cm
このようになります。
ちなみに、山本智大さんの指高は220cmです。
山本智大さんのポジションであるリベロを聞きなれない方もいると思います。
【リベロとは?】
レシーブ専門の選手のことで、守備だけに特化したポジション
リベロは攻撃には参加できないルールがあり守備専門となるポジションなので、基本的にはスパイクやブロックなどはできないポジションです。
また、リベロには色々なルールが設けられています。
【リベロのルールとは?】
・ネットより高い位置のボールはスパイク不可能
・サーブは打てない
・ブロックを試みるプレーはしてはいけない
・リベロが前衛でオーバーハンドパスしたボールは、ネットより高い位置からのスパイクはしてはいけない
・交代できるのは後衛の選手に限る
このように、様々な取り決めがあるポジションです。
リベロの主な役割としては、
です。
リベロに向いている選手とはどんな選手なのでしょうか?
このような特徴を持ち合わせた選手が適しています。
リベロとして活躍している山本智大さんも、このような性格を併せ持っている選手ということになりますね。
なんとなくバレーボールのリベロというポジションは地味な役回りに感じてしまう方もいるかもしれませんが、実はポジションがリベロの選手は、他のプレーをしても優秀な選手であることが多いです。
そういった事から、万能選手と言ってもいいでしょう。
縁の下の力持ちって感じで、なくてはならない存在だね。
山本智大の学歴
山本智大選手の最終学歴は大学卒業です。
【2007年/12歳】
江別市対雁小学校卒業
【2010年/15歳】
恵庭市立恵庭中学校卒業
【2013年/18歳】
酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校卒業
【2017年/22歳】
日本体育大学卒業
出身小学校は江別市対雁小学校
山本智大さんの通っていた小学校は
江別市対雁(ついしかり)小学校
山本智大さんには、二つ上の兄である貴大さんがいます。※後述します
貴大さんは山本智大さんよりも先にバレーチームの「江別中央ガッツ」に所属していました。
そして山本智大さんは小学一年生の時、そのチームの見学に行って初めて「バレーボール」というものに触れることとなります。
そのことがきっかけとなり、お兄さんからの誘いもあり山本智大さんも「江別中央ガッツ」に所属してバレーボールを始めることになりました。
この江別中央ガッツというチームは北海道の中でも全国大会への出場経験が豊富なかなり実力派チームです。
もちろん、その強さは練習量にも結び付いていて週に5回のきつい練習量でした。
そして、小学3年生まで山本智大さんは上級生からサーブで狙われたりすることもありよく涙してしまうこともありました。
この頃の歳の差はかない大きいですし、力も相当差があったでしょう。
そんなきつい練習にも耐えながら、休みの日も自主練を続けます。
そして努力を続けた山本智大さんは、小学5年生の時に全国優勝を経験しています。
この時の優勝がVリーガーを目指すきっかけとなります。
出身中学校は恵庭市立恵庭中学校
江別市対雁(ついしかり)小学校を卒業した山本智大さんは、地元の江別にある中学校に入学します。
しかし父親の転勤により、の関係で
恵庭市立恵庭(えにわ)中学校に転校
転校した先の中学校は江別市から30km離れていました。
この転校先の恵庭市立恵庭中学校のバレー部監督は山本智大さんの父親が担っています。
父親さんは、全国大会で優勝経験があるバレーボール選手でした。
そんな父親の指導を受け練習に励む山本智大さんは、最初アタッカーとして活躍していましたが、中学三年生の時に「さらにバレーボール選手として上に行くには、レシーブ力を活かして守りのスペシャリストに挑戦するのはどうだ?」と父親からの助言でリベロに転向しました。
山本智大さんはバレーボール選手の中では低身長の部類に入る選手でしたので、そのことも考慮した父親の案でした。
そのポジションが功を奏してか、山本智大さんが中学三年生の時には全国都道府県対抗中学生大会で北海道の選抜選手に選出されています。
現在のリベロとしての山本智大さんがあるのは、父親の意見を山本智大さんは受け止めたからこそで、とても感謝しています。
父親は早くも山本智大さんのリベロとしての素質を見抜いていたんだね。
出身高校は酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校
恵庭市立恵庭(えにわ)中学校を卒業した山本智大さんが進学したのは
酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校
この高校は北海道江別市にある私立高等学校なので、地元に戻ったということですね。
地元が好きで戻った、というよりはこの高校が北海道のバレーボール強豪校であることが主な理由だと考えられます。
山本智大さんが入学した当時の監督は山田和弘監督でした。
監督いわく、その当時の山本智大さんは”守備のスペシャリストとして、絶対的な信頼を置いていました。”と話すほどに活躍していました。
その信頼は強く、山本智大さんを中心にしてチーム編成を考えていました。
リベロポジションを見事に自分のものにした山本智大さんは、この酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校では高校一年生と高校三年生の時に全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)に出場しています。
監督の山本智大さんへの信頼が伝わるエピソードだね。
出身大学は日本体育大学入学
酪農学園大学附属とわの森三愛高等学校を卒業した山本智大さんは
日本体育大学
に進学しています。
川合俊一さんの出身大学としても有名ですね。
この日本体育大学でバレー部の監督を務めているのは(2023年時点部長として所属)、元日本代表であり山本智大さんと同じリベロのポジションで活躍した山本健之(やまもと けんじ)監督でした。
【山本健之とは?】
日本の元男子バレーボール選手であり、現在は指導者として活躍中
元全日本代表であり、ベストリベロ賞を受賞した経験もあり
監督は山本智大さんに対して選手に技術を厳しく教え込んでいきます。
また、山本健之監督は小柄でありながらもレシーブ全般が得意な選手として活躍していたので、山本智大さんにとってはうってつけの監督だといえるでしょう。
この日本体育大学で教わったプレースタイルが、現在の山本智大さんに大きな影響を与えているのは言うまでもありませんね。
山本智大さんは大学1年生の頃からすでにレギュラーで活躍しはじめます。
試合での素晴らしい活躍は、その当時のバレーボール界ではとても有名で衝撃でした。
また、大学生時代には山本智大さんは何度もベストリベロ賞を受賞しています。
そして大学三年生の2016年12月15日には、山本智大さんの内定がFC東京からの明かされます。
山本智大の経歴
【2017~2018年シーズン/22歳~】
大学卒業後、VリーグのFC東京に入団
【2018~2019年シーズン/23歳~】
FC東京を退団し、堺ブレイザーズに移籍
【2021年/26歳】
2020年東京オリンピックに出場
【2023年/28歳】
5月31日、堺ブレイザーズを退団
【2017~2018年シーズン/22歳~】
VリーグのFC東京時代
日本体育大学を卒業した山本智大さんは、FC東京に入団します。
しかし山本智大さんは仕事とバレーボールという2つの両立に苦闘し、自分の思うように試合に出れない日々が続きました。
そんな中でも2017年に開催された”第29回ユニバーシアード競技大会”ではユニバ日本代表として出場を果たし、見事銅メダルを獲得します。
しかし、夢であったオリンピック出場が叶わなかった山本智大さんは、東京五輪に出場するという自分の目標ために今の環境を変えるために移籍を決心しました。
山本智大さんが2018年6月6日にFC東京から発表したコメントがこちらです。
この度、FC東京を退団する事となりました。
約1年間という短期間でしたが、FC東京でバレーボールをプレイできたことは誇りです。
仕事とバレーボールという2つの両立に苦闘し、選手として貢献できなかったことは悔しいです。
これまで応援してくれたサポーターやファンの方々、心から感謝します。
ありがとうございました。
山本智大さんの悔しい思いが伝わってくる文面だよね。
【2018~2019年シーズン/23歳~】
FC東京退団~堺ブレイザーズに移籍
自分の環境を変え、オリンピックを目指すために山本智大さんは2018年6月に堺ブレイザーズの選手となります。
移籍後、すぐにレギュラー入りした山本智大さんは、レギュラーラウンドの全セットに出場という活躍ぶりです。
2019年にはシニアの全日本代表入りに選ばれ、2019年のワールドカップでは8試合に出場してリベロとしての活躍を見せていきます。
【2021年/26歳】
東京オリンピックに出場
堺ブレイザーズ入団後の2021年には、チームの副主将を務めあげます。
そして、山本智大さんの長年の夢であった2020年東京オリンピックの男子日本代表の一人に選ばれます。
男子バレーボールの東京オリンピックの結果は、29年ぶりに予選ラウンドを突破をはたしました。
決勝トーナメントにのぞみましたが、世界の壁は高く、ブラジルに敗れた日本は7位という結果でした。
悔しい結果だけど、やっと夢だったオリンピックに出られるなんて、きっと胸いっぱいだったろうね。
【2023年/28歳】
堺ブレイザーズを退団
夢だったオリンピックに出場した後の2023年5月31日、山本智大さんは堺ブレイザーズを退団しました。
現在は移籍を希望しているとのことなので、山本智大さんにとっての新たなステージにこれから向っていくことでしょう。
まとめ
ここまでバレーボール選手としての山本智大さんやプライベートなどに迫ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると、
・北海道江別市出身の28歳(2023年7月時点)
・ポジションはリベロ、スパイクの最高到達点は299cm、ブロックの最高到達点は280cm
・最終学歴は日本体育大学卒業
・VリーグのFC東京に入団した後、堺ブレイザーズに移籍し東京オリンピックに出場を果たす
・2023年5月31日をもって堺ブレイザーズを退団
・父親、母親、兄の4人家族
となります。
夢であったオリンピックに出場した山本智大さんですが、今は移籍を希望していて、次なるステージへ進む準備をしています。
さらにバレーボール選手として、リベロとして飛躍することでしょう。
これからも山本智大さんのご活躍を見守りたいと思います。