岸田文雄首相の長男であり、首相の政務秘書官を務めている岸田翔太郎さんは、2023年6月1日付けで辞職することを明らかにしました。
最近度々目にする名前ですし、岸田文雄首相の息子ということで岸田翔太郎さんってどんな方なのか気になっている方も多いと思います。
そこで、この記事では…
・岸田翔太郎(岸田文雄の息子)の年齢や身長などのWikiプロフィール
・岸田翔太郎(岸田文雄の息子)の学歴や経歴は?辞職するまでの流れってどんな風?
・岸田翔太郎(岸田文雄の息子)がした不適切行動とは?世間の声
・岸田翔太郎(岸田文雄の息子)の家族構成について
これらのことについてまとめていこうと思います。
岸田翔太郎秘書(岸田文雄の息子)のWikiプロフィール!
早速ですが、岸田翔太郎さんの基本的情報をwiki風プロフィールにまとめてみましたので、ご覧ください。
引用:東京新聞
名前:岸田翔太郎(きしだ しょうたろう)
生年月日:1991年1月14日
出身地:広島県広島市
趣味:バドミントン
職業:元国会議員(岸田文雄)秘書
岸田翔太郎(岸田文雄首相の息子)さんは、広島県広島市出身です。
現在は岸田総理と共に東京で暮らしていますが、岸田総理が広島県出身である事は有名です。
さて岸田総理の秘書である岸田翔太郎さんについてですが、趣味はバドミントンです。
学生時代にバドミントン部に所属して活躍していたという活発な一面もある方です。
岸田翔太郎さんは、高校まで広島にいたみたいだね。
岸田翔太郎秘書の年齢は?
岸田翔太郎さんの年齢は、
33歳(2024年1月満年齢)
岸田文雄首相が今年65歳ですので、長男の岸田翔太郎さんは33歳の時の子供ですね。
岸田翔太郎秘書の身長は?
次に岸田翔太郎さんの身長についてですが、公式な発表はありません。
しかし、安倍晋三元首相が175cmで岸田文雄首相がそれよりも少し小さいので172cm辺りと予想すると、並んだ時に父親よりも少し大きい岸田翔太郎さんは、
約174cm
と予想しています。
30歳〜39歳の日本人男性の平均身長は171.5センチですので、岸田翔太郎さんは平均より少し高いですね。
岸田翔太郎秘書(岸田文雄の息子)学歴は?
岸田翔太郎(岸田文雄首相)さんの最終学歴は、大学卒業です。
●私立修道高等学校(広島県)
●慶応義塾大学法学部政治学科
官僚の息子であり、父親の秘書も務めていますのでやはり高学歴ですね。
出身高校は修道高校
岸田翔太郎さんの出身高校は、
広島県の私立修道(しゅうどう)高等学校
岸田翔太郎さんの通っていた私立修道高等学校は、広島県内でも偏差値70超の超エリート校です。
偏差値70超えという高校はあまりないので、相当レベルが高いと分かりますね。
修道高校は男子高校で、東京大学や京都大学を目指す生徒も多いです。
また生徒の行動を規定する校則がない自由な校風でも有名な高校です。
この高校の出身者には、政治家の元衆議院議員の亀井静香さんも卒業生としています。
岸田翔太郎さんは高校からバドミントン部をはじめ、高校では広島県大会でベスト16入りするなどの好成績を残しています。
学生時代はコミュニケーション力が高く、
周囲から好感度も高かったみたいだよ。
岸田翔太郎の出身大学は慶應
岸田翔太郎さんの出身大学は、
慶応義塾大学
慶応大学の法学部政治学科へ進学した岸田翔太郎さんは、将来を考え法学部政治学科を選んだのかもしれませんね。
慶應の政治学科といえば、2023年今年に子役から活躍をしている芦田愛菜さんが在学している学科です。
岸田翔太郎さんは大学時代、高校から始めたバドミントンを続けていてKBF(慶應バードフェローズ)というバドミントンサークルに入っていました。
ここでもかなりの強さを見せプロ並みの実力の持ち主でした。
2011年の9月25日に行われた大会では男子ダブルス2部で優勝もしているほどです。
大学時代は河野武司教授のゼミに所属
岸田翔太郎さんは慶應義塾大学で、現代政治理論を専門にする河野武司教授のゼミに入っていました。
河野武司教授のゼミは、就職に強くゼミの雰囲気が馴染みやすいことで有名です。
河野教授は、岸田翔太郎さんと同じ広島の修道高等学校出身という事もあり、可愛がってもらっていたのではないでしょうか?
岸田翔太郎秘書の経歴(職歴)
●2014年/22歳 大学卒業後「三井物産」に就職
●2020年/28歳 岸田文雄(父親)の秘書
●2023年/31歳 岸田文雄(父親)の秘書を辞職
これらを詳しく見ていきます。
【2014年/22歳】大学卒業後「三井物産」に就職
慶応大学を卒業後した岸田翔太郎さんは、新卒で三井物産に就職します。
所属部署や役職までは分かりませんでしたが、三井物産に入社するというのはかなりの狭き門を突破した証でもあります。
というのも、5大商社と呼ばれる企業でありエリートのみしか入社できないと言われている企業です。
三井物産でもバドミントンは継続していた岸田翔太郎さんは、2017年には千代田区のバドミントン大会に参加し、警視庁のチームに見事勝利しています。
一流の企業に政治家の息子が入社と聞くと、どうしても”コネなんじゃないの?”と疑いたくなりますが、これまでの経歴を見ても岸田翔太郎さんは自分の力で入社したと考えられます。
そして、2020年の春に8年間勤めてきた三井物産を退職します。
頭がいいだけじゃなくてスポーツも万能だったんだね。
【2020年/28歳】岸田文雄(父)の秘書
三井物産を退職した岸田翔太郎さんは…
公設秘書として岸田首相のサポート
この時、世間からはかなりかなり心配の声が上がっていました。
岸田文雄首相が身内である息子を指名したことに、不信感を募らす方も多かったようです。
その後2022年10月4日、岸田翔太郎さんは政務担当の首相秘書官に起用されることになります。
首席秘書官は、首相のスケジュール管理や連絡調整役などを行います。
重要な国家機密などに関しては首相と政務担当秘書官の二人だけで共有されることなどから、首相が厚い信頼をおける人物が選ばれます。
こういった事情から身内である岸田翔太郎さんを指名したのかもしれません。
秘書になってからは無口で社交的ではなかったみたいだよ。
学生時代とはかなりイメージが変わっているね。
【2023年/31歳】総理秘書官を辞職
2022年10月に政務担当の首相秘書官に起用されて、わずか約7か月ですが、
辞職
となりました。
身内という信頼関係が招いた結果だったのでしょうか?
次では、岸田翔太郎さんが辞職することになった理由についてまとめてみました。
秘書辞任の理由
公邸で忘年会「不適切行動」
岸田翔太郎さんが辞職に追い込まれた原因として、岸田文雄首相はこう話しています。
総理大臣公邸の公的なスペースで親戚と写真撮影などして
不適切な行動の責任を取らせた
岸田翔太郎さんは、2022年末に首相公邸で忘年会を開いたことが分かりました。
出典:文春オンラン
出典:文春オンライン
・岸田家の親戚10人以上が集まり、公的スペースで忘年会
・岸田翔太郎さんのいとこが赤じゅうたんの上に寝そべってた
・岸田翔太郎が悪ノリで撮影していたことが発覚
さすがにこの行動は、父親としても総理大臣としても見逃せないですよね。
最初は岸田文雄首相は岸田翔太郎さんに対しての処分を否定していましたが、結果責任を取らせることにしました。
岸田翔太郎さんの後任には、昨年まで秘書を務めていた岸田事務所の山本高義さんが起用されます。
世間の不安は的中してしまいましたね。
岸田翔太郎の同級生から見た印象
岸田翔太郎さんが首相公邸で忘年会を開いた際、岸田家の親戚を合わせて10人以上が首相公邸に集まっていたそうです。
現在、公邸には岸田文雄首相と岸田翔太郎さんの2人で暮らしており、参加者は親戚の家に遊びに来たというノリだったと岸田翔太郎さんの知人が語っていました。
また岸田翔太郎さんの同級生への取材によると、
●報道で書かれているような人間ではない
●とても真面目でいいヤツ
●クラスの中心にいる感じじゃなく、目立たない存在
●大学のゼミでも後輩を引っ張っていくタイプではなかった
●隅っこでシュールなひと言をボソッと呟く感じの人
●見かけはチャラくても、根は真面目な人
●親父の鞄持ちと揶揄されても、言い返さない心優しい人
そんな声があがっています。
控えめで真面目な優しい人というイメージの岸田翔太郎さんでしたが、今回の悪ノリ騒動を受け、学生時代を知る知人はショックを受けたのではないでしょうか…
岸田翔太郎の家族構成
岸田翔太郎さんの家族構成は、両親と2人の弟の5人家族です。
私生活は順風満帆だったようにも思いますが、どんな家族が支えてきてくれたのでしょうか?
岸田翔太郎の両親(父と母)
父親:岸田文雄
母親:岸田裕子
こちらのお写真は、岸田祥太郎さんの母親である裕子さんの誕生日に、岸田首相がInstagramに投稿したものです。
とってもキレイな方だなぁ~
父親の岸田総理は早稲田大学法学部卒業、母親の裕子さんは東京女子大学文理学部日本文学科卒業と、家族そろって高学歴です。
岸田文雄さん(当時31歳)と裕子夫人(当時24歳)は、1988年にお見合い結婚しました。
岸田文雄さんの父(岸田翔太郎さんの祖父)が衆議院議員時代、岸田文雄さんは議員秘書をしていました。
その際、外回りで知り合った裕子さんに岸田文雄さんが一目惚れし、父に頼んでお見合いの席を設けてもらいました。
裕子さんも、岸田文雄さんと初めて会った時、この人と結婚するんだろうなと直感で感じたそうです。
とっても素敵な出会いだなぁ~
政治家は内助の功が最も大切な職業で、選挙には妻の支えがないと勝てないと言われていますので、献身的に総理を支えてこられたのだと思います。
父親は岸田文雄 内閣総理大臣(首相)
引用:Instagram
第100代・第101代内閣総理大臣として現在日本の顔となった岸田文雄総理は、広島県出身だった官僚の岸田文武さんの仕事の都合上、東京で生まれ育ちました。
しかし小学1年生から3年生まではニューヨークで暮らしており、帰国した後は小学校3年生の7月より永田町の小学校に転入しました。
その後、麹町中学校へ通い開成高等学校へ進学されています。
高校時代は野球部に所属し、野球に没頭する傍らでギターも弾いていました。
高校生の時に東京大学を目指していましたが、2年間浪人生活を過ごした後は早稲田大学法学部に入学しました。
大学時代、父である岸田文武さんの選挙戦っを手伝っていた為、
政治家の道も視野に入れていたのではないでしょうか?
1982年 早稲田大学法学部を卒業後は、日本長期信用銀行に入行するも政治家の道を目指す為、1987年3月に長期信用銀を退行されました。
1987年 衆議院議員である父、岸田文武さんの秘書として政治の世界を学び、1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選されました。
母親は岸田裕子
引用:Instagram
広島女学院中学校・高等学校を卒業後、東京女子大学へ進学し卒業しました。
1987年 マツダに就職し、副社長の役員秘書となりました。
その後1988年に岸田文雄さんと結婚する事になりました。
岸田翔太郎の兄弟
岸田翔太郎さんは3兄弟の長男です。
本人:翔太郎
長弟:晃史郎
末弟:名前不明
岸田翔太郎さんは3兄弟の長男です。
三男だけ名前が判明していません。
家族で父親に応援メッセージを送るなんて、家族関係が良い証だね。
SNSで堂々と家族が応援できる時代になりましたもんね。
家族関係は良好?
岸田総理夫妻は以前、30年も別居している!と取り沙汰されました。
しかしこの別居は決してマイナスなイメージではありません。
岸田文雄総理は1988年に裕子夫人とお見合い結婚された約5年後の1993年に、衆議院議員選挙に初当選しました。
その後30年間、岸田総理は東京で裕子夫人は広島で別々に暮らす事となり、仕事の都合上別居せざるを得なかった様です。
しかし総理夫妻は夫婦仲がいい事で有名です。
帰宅すると、妻の裕子がお好み焼きを作ってくれていました。インスタライブで私が、「妻の作ってくれるお好み焼きが大好きです」と言っていたからです。
— 岸田文雄 (@kishida230) September 29, 2021
いつも最高に美味しいけど、今日は、一生忘れられない美味しさでした。ありがとう。 pic.twitter.com/vsBesywmCG
夫が東京で頑張っている間、地元である広島での活動は自分が担おうという裕子夫人の支えがあるからこそ、
岸田総理は全力でがんばっていけるのだと思います。
3人のお子様達も。政治家である父を心底支えており、東京で岸田文雄さんと長男である岸田翔太郎さんと次男である岸田晃史郎の3人暮らしをしている事が。以前総裁選前のドキュメンタリーで放送されていました。
長男の岸田翔太郎さんも結婚していますが、父親を傍で支えたいという思いから、父親と同居生活をする為、奥様とは別居しています。
父親が総理大臣という家柄もあり、プレッシャーや周りの目も気にしなければいけない立場ですので、今回の不祥事にはそういった見えないプレッシャーや重圧から出てしまった行動なのかもしれませんね。
父親である岸田文雄総理は心中穏やかではないとお察ししたしますが、プライベートでは家族が仲良しのままで居て欲しいと願います。
まとめ
ここまで岸田翔太郎さんについてまとめてきましたが、いかがでしたでしょうか?
簡単にまとめると…
・岸田正太郎は32歳で身長は174cm辺りと予想
・慶応義塾大学法学部政治学科を卒業し、三井物産に勤務
・高校時代からバドミントンをしている
・2020年から岸田文雄首相の公設秘書をつとめてきた
・2022年末に公邸で忘年会をし、不適切な行動として辞職
・5人家族で3兄弟の長男
このようになります。
学生時代から勉強やスポーツなど、絵にかいたようにすべてを完璧にこなしてきたような岸田翔太郎さん。
政界に足を踏み入れ、少し自分の職の責任の重さに耐えられなかったのかもしれません。
とはいえ、今回やってしまったことは許されるものではありませんよね。
これからは、心を入れ替えてまた新たなスタートを切ってほしいと思います。