元タレントの上岡龍太郎さんが、2023年5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎の為、お亡くなりになった事が判明しました。
生前の上岡龍太郎さんの意向により、限られたご身内での葬儀を済まされ、お別れの会等も行われません。
上岡龍太郎さんは2000年に芸能界を引退しており、近年メディアに出演される事はありませんでしたが、ご身内の方々は芸能関係の仕事をされている方が多く、お付き合いは続いていたのではないかと思います。
さて上岡龍太郎さんのご身内とは、一体どのような著名人がいらっしゃるのでしょうか?
また病気の為にお亡くなりになったと報道がありますが、医療事故?と疑惑の噂もありますので、そのあたりも見ていきたいと思います。
そこでこの記事では…
●上岡龍太郎の妻(奥さん)は社長?
●上岡龍太郎の息子は映画監督?
●上岡龍太郎の甥は芸人のミキ
●上岡龍太郎の家系図
●上岡龍太郎の経歴
●上岡龍太郎の死因について
等をまとめていきたいと思います。
上岡龍太郎の妻(奥さん)は社長
妻の友岐子さんは、上岡龍太郎さんの個人事務所である上岡プロモーションの社長をされていました。
引用:スポニチ
上岡龍太郎さんの奥さんは友岐子さんです。
こちらのお写真は、上岡龍太郎さんと友岐子夫人が婚約された時のお写真(1969年2月の画像)です。
●妻:小林 友岐子(こばやし ゆきこ)
●年齢:74歳(2023年5月現在)
●結婚:1969年(当時19歳)
●職業:上岡プロモーション社長(以前の職業)
結婚後に、主婦業をこなしながら社長業もこなしていた様ですね。
仕事をこなし、家事もできるすばらしい奥様ですね。
上岡プロモーションは、妻が社長を務めていましたが、上岡龍太郎さんが芸能界を引退した2000年に解散していますので、それ以降は友岐子さんも専業主婦に戻られました。
上岡龍太郎と妻の馴れ初めについて
上岡龍太郎さんが21歳の時に、奥様の友岐子さんと知り合いました。
友岐子さんは当時、横山パンチさん(上岡龍太郎さんの旧芸名)のファンでしたが、アプローチしたのは上岡龍太郎さんの方でした。
というのも上岡龍太郎さんが、自分のファンである友岐子さんに一目惚れし、猛アピールしました。
いちファンとしては戸惑いが隠せなかった事でしょうね。
その6年後である1969年、上岡龍太郎さんが結婚27歳の時に結婚されました。
友岐子さんは上岡龍太郎さんの8歳年下ですので、19歳で結婚された事も驚きですが、知り合ったのは友岐子さんが13歳だったという事には、もっと驚きました。
それは衝撃だね。
過去に番組内で、うちのLoveLoveな嫁なんですけどねぇ~と言いながら奥様の写真を公開した事がありますが、ぇ~!とゲストの皆様が爆笑していました。そのお写真がこちら
写っていない(^ 艸 ^)
この時、キレイな家ですね~と堂本剛さんが言った後に、嫁もキレイなんですけどねぇ~と惚気ながら笑いに変えていました。
上岡龍太郎の奥さんは過去に関西のローカル番組に出演
奥様の友岐子さんは、1979年に関西のローカル番組である「奥さまリビング」の月曜レギュラーとして出演されていた事があります。
当時の映像は見つかりませんでしたが、番組内の公開お見合いコーナーで、アナウンサーの桑原征平さんと共に司会を務めていました。
しかし1979年9月、公開お見合いコーナー終了と同時に、友岐子さんが出演する事はなくなり、芸能活動も特にされていません。
主婦業と上岡プロモーションの社長業に専念されていた様ですね。
アナウンサーの桑原征平さんが上岡龍太郎さんの後輩だったから
そのご縁で出演していたんだね。
上岡龍太郎さんは、奥様に向けての名言を発しています。
結婚して10年経って、結婚前より妻が不細工になったら、その8割は男の責任。
奥様の事をキレイだと惚気ていましたし、奥様が美貌を保てていたのは上岡龍太郎さんが妻に感謝し、ずっと仲良しで居られたからだと思います。
妻は今でも美しい。僕は男の責任を果たせた。と天国の上岡龍太郎さんはきっと微笑んでいる事でしょう。
上岡龍太郎の息子は映画監督
上岡龍太郎さんの息子は映画監督の小林聖太郎さんです。
引用:Twitter
●息子:小林 聖太郎(こばやし しょうたろう)
●生年月日:1971年3月3日(2023年5月現在 52歳)
●家族:妻・息子(2023年5月現在 小学1年生)
●職業:映画監督
上岡龍太郎さんのご子息である小林聖太郎監督は、1994年 関西大学法学部政治学科を卒業した後、数年間はジャーナリストの助手を務めていました。
助手時代は、ドキュメント阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたかや大事なことは国民投票で決めよう!の取材や執筆に携わってました。
2006年 かぞくのひけつで劇場公開作デビューし、2006年度(第47回)日本映画監督協会新人賞を受賞されました。
その他にも新藤兼人賞2008や第14回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞等数々の賞を受賞されています。
小林聖太郎監督の主な作品
【2006年】35歳
・かぞくのひけつ
【2010年】39歳
・美しき天然 オムニバス短編 にほんのうた ※内1本
【2011年】40歳
・毎日かあさん
【2015年】44歳
・マエストロ!
【2017年】46歳
・破門 ふたりのヤクビョーガミ
【2019年】48歳
・初恋 お父さん、チビがいなくなりました
父親を見送った心境について
父親である上岡龍太郎さんの訃報に際し、息子の小林聖太郎さんは、
●本人が延命を求めなかった
●昨年の秋頃から治療の術がなかった事
●弱みを見せず格好つけて口先三寸の人だった
と、昨年秋頃から体調が急変していった事、父親への思い等を語っており、最後には運と縁に恵まれて幸せな人生だったと思います。
としめくくられました。
上岡龍太郎さんと小林聖太郎監督には確執があった様で、最後まで分かり合えなかった事を寂しそうにしていました。
上岡龍太郎と息子の【親子の確執】
矛盾の塊の様な人でした。と亡き父である上岡龍太郎さんの事を振り返っていました。
●父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心をうかがい知る事は死ぬまでついに叶わなかった様な気もします。
●運と縁に恵まれて勝ち逃げてきた幸せな人生だったと思います。
と親子の微妙な関係を語っていました。
上岡龍太郎の甥っ子は芸人のミキ
お笑い芸人コンビミキのおふたりは、上岡龍太郎さんの甥っ子だという事が公開されています。
引用:吉本興業
ミキ(昴生・亜生)の母親は、上岡龍太郎さんの妹です。
上岡龍太郎さんとミキのおふたりは、伯父と甥の関係ですが、ミキのおふたりは(伯父には)小さい時に2回くらい会っただけで、芸人になってからは一度も会っていない。と以前語っていました。
疎遠だった伯父と甥ではありますが、上岡龍太郎さんは、甥であるミキの事を評価していた様で、ミキを宜しく頼むと鶴瓶さんに言い残していました。
上岡龍太郎さんと鶴瓶さんは長年のお付き合いですが、鶴瓶さんによると(今までに)あんなん言うた事ないですよ!と語っており、昴生さんと亜生さんは感無量の表情を見せていました。
上岡龍太郎の家族構成【家系図】がすごい!
上岡龍太郎さんの母親は1954年7月(上岡龍太郎さんが12歳の時)乳癌により亡くなられたそうで、父親の後妻になられたのがミキ(昴生・亜生)の母親です。
という事は、上岡龍太郎さんと
ミキの母親は異母兄妹なんだね…
上岡龍太郎のWikiプロフィール
引用:livedoorNEWS
●芸名:上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう)・横山パンチ(旧芸名)
●本名:小林 龍太郎(こばやし りゅうたろう)
●生年月日:1942年3月20日
●没年月日:2023年5月19日(享年81歳)
●血液型:AB型
●出身地:京都府京都市左京区吉田中大路町
●職業:元漫才師・元司会者・元タレント・上岡劇団座長
上岡龍太郎さんの父親である小林為太郎さんは婿養子で、父親の旧姓が上岡だった事から父親の旧姓をもらい、芸名を上岡にしました。
上岡龍太郎の名言
上岡龍太郎さんは、数多くの名言を残していらっしゃいます。
エスカレーターに乗っても歩きなさい。自分を機械に任せたら終わりです。
僕の芸は20世紀で終わり。21世紀には新しい人生を歩みたい。
島田紳助さんに向けた名言も有名ですね
ずいぶん前から君は僕の前を走っているんだよ。
上岡龍太郎さんの父
上岡龍太郎さんの父親である小林為太郎(旧姓:上岡為太郎)さんは、弁護士として多くの刑事事件に携わってきた敏腕弁護士です。
京都帝国大学法学部在学中に「罷免教授を中心に自由学園を作るというのは敗北主義だ」と演説し、その頃から弁護士を目指し始めました。
大学卒業後は、不況の波により一時的に市役所に勤務していましたが、司法試験の勉強をする時間がとれず退職し、一旦京都に戻り小学校の臨時教諭として働きながら弁護士資格を取る為、勉強していました。
そんな中、生糸問屋の一人娘である小林タマさん(上岡龍太郎さんの母親)と結婚しました。
結婚後は司法試験に合格し、上岡龍太郎さんが誕生しました。
上岡龍太郎の学歴と経歴
【1954年】12歳
・京都市立第四錦林小学校卒業
【1957年】15歳
・京都市立近衛中学校卒業
【1960年】18歳
・私立京都西高等学校(現在の京都外大西高等学校)卒業
【1960年】18歳
・横山パンチという芸名で、横山ノックさん、横山フックさんと共に漫画トリオを結成
【1968年】26歳
・漫画トリオ解散
【2000年】58歳
・芸能界引退
高校時代、立命館大学を志望し受験されていますが不合格となった為、大学進学を諦めて芸能界の道を進もうと決意されました。
高校卒業後は京都でジャズバンドの司会などを経験されており、浜村淳さんに弟子入りを申し出た事もあります。
しかし浜村淳さんからは弟子入りを断られています。
その後1960年に横山ノックさんに誘われて、横山パンチというの芸名で横山フックさんと共に漫画トリオを結成いたしましたが、横山ノックさんの参議院議員選挙出馬に伴い、1968年活動を停止しました。
その後はテレビやラジオ番組の司会などで、笑いを交えたトークが人気となり、関西を中心に絶大な支持を仰ぎました…
探偵ナイトスクープをはじめ、数々の人気番組の名司会者として活躍されていた元気なお姿が、つい最近のことの様です…
探偵ナイトスクープで初代司会者の上岡龍太郎
引用:Twitter
上岡龍太郎さんが、探偵ナイトスクープで初代探偵局長を務めていた事は有名ですね。
探偵ナイトスクープは1988年3月5日より放送されており、視聴者から寄せられた依頼を依頼主と共に調査し、それまでの過程のVTRを流すといった番組で、現在も続いている人気長寿番組です。
歴代司会者
●初代 上岡龍太郎(1988年3月5日~2000年4月21日)
●二代目 西田敏行(2001年1月26日~2019年11月22日)
●三代目 松本人志(2019年11月29日~現在)
現在は、ダウンタウンの松本人志さんが3代目局長として、番組の司会進行をしています。
上岡龍太郎の死去と死因
2023年5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎の為、81歳でお亡くなりになりました。
病死と報道されていますが、医療事故ではないか?とも噂されていますので、真相に迫ってみたいと思います。
上岡龍太郎の医療事故の噂
上岡龍太郎さんの死因は医療事故ではありませんでした。
間違いなく肺癌と間質性肺炎による病死の様ですが、なぜ医療事故の噂が出たのでしょうか?
上岡龍太郎の医療事故の噂が出た理由
その真相は、以前上岡龍太郎さんが探偵ナイトスクープの番組内で、医療事故の被害にあった方について取り上げた事がある事が原因ではないかと考えられます。
当時の番組内容は、医療事故の裁判を起こした人が取り沙汰され、「医師に診断書を書いてほしいと頼んでいるが、多くの医師に拒否されている。」とされたものでした。
医療事故の裁判に関わったとなると面倒だと思っている医師が多かった時代です。
しかし困っていた被害者に対し、番組に出演されていた医師である西川史子さんが「私が書きます」と即答した事でも話題になりました。
西川先生かっこいいなぁ。
この当時の番組内容から、上岡龍太郎 医療事故と言った検索が飛び交ったのではないでしょうか?
まとめ
●芸名:上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう)・横山パンチ(旧芸名)
●本名:小林 龍太郎(こばやし りゅうたろう)
●生年月日:1942年3月20日(享年81歳)
●血液型:AB型
●出身地:京都府京都市左京区吉田中大路町
●妻:友岐子(上岡プロモーション社長)
●息子:小林聖太郎(映画監督)
●甥:お笑いコンビのミキ(昴生・亜生)
●経歴:元漫才師・元司会者・元タレント・上岡劇団座長
●死因:肺癌と間質性肺炎による病死
「芸能生活40周年で隠居する」と公言しており、惜しまれながらも2000年に芸能界を引退されました。
その後は奥様の友岐子さんと一緒に舞台を観に行ったり、旅行に行ったりと楽しい生活を満喫していた様ですね。
関西を中心に絶大なる人気を誇った上岡龍太郎さん、笑いと元気をくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。