2023年に行われたWBCで見事に優勝し、MVPを獲得した大谷翔平選手には、日本中が感動に包まれました。
現在はドジャースへの移籍が決まり、その年俸に世界中で騒がれています。
【2023年12月10日】
大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決定!
契約金は史上最高額の7億ドル(1014億円)!
また大谷翔平選手の人柄も世界中で評価を得ており、世界中で理想の息子に選ばれているほどです。
そんな超一流のメジャーリーガー大谷翔平選手を育てた父親である大谷徹さんとは一体どんな方なのでしょうか?
そこで、今回のこの記事では…
・大谷徹(大谷翔平の父親)の学歴や経歴などwikiプロフィール
・大谷徹(大谷翔平の父親)は現在監督をしている?
・大谷徹(大谷翔平の父親)が離婚歴があるって本当なの?
・大谷徹と大谷翔平のエピソードは?
これらの事についてまとめていきたいと思います。
大谷翔平さんがどんな父親に育てられたのか気になっていた方はもちろんのこと、大谷徹さんの名前を始めて耳にされた方も、ぜひ最後まで楽しんでお読みいただけると幸いです。
大谷徹(大谷翔平の父)のwikiプロフィール
名前:大谷 徹(おおたに とおる)
出身地:岩手県北上市和賀町
生年月日:1962年(誕生日不明)
年齢:61~62歳(2024年1月現在)
身長:182 cm
家族:妻(加代子)・長男(龍太)・長女(結香)・次男(翔平)
息子である大谷翔平選手は身長193cmと日本人としてはかなり大きい方ですが、父親の大谷徹さんも182cmと高身長です。
1962年生まれですので、その時代の日本人男性の中ではかなり大きいですよね。
2024年1月現在61~62歳ですので、大谷翔平選手は大谷徹さんが32歳前後の時に授かった子供です。
大谷徹さんは、大谷翔平選手の他に長男である龍太さん(トヨタ自動車東日本に所属)・長女である結香さん(既婚)が居らっしゃいます。
お母様は元バドミントン選手ですし、お姉さんもバレーボールをされていました。
家族揃ってスポーツをされていたので、生粋のスポーツ一家ですね。
大谷徹の学歴と経歴
大谷徹さんの最終学歴は高校卒業です。
【1975年~1978年】
中学校時代、陸上部に所属
【1981年3月/18歳】
岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業
【1981年4月/18歳】
三菱重工業株式会社に入社し、三菱重工横浜野球部に所属
【1991年/満28歳】
自動車ボディーメーカー(後のトヨタ自動車東日本)に転職
【2002年/満39歳】
『水沢リトル』に入り、チームのコーチを務め、のちに監督に就任
【2007年以降】
『一関リトルシニア』に移り、チームのコーチを務める
【2014年/満51歳】
自らが有志と共に立ち上げた『金ケ崎リトルシニア』で監督を担う
【2016年/53歳】
トヨタ自動車東日本を退社し『金ケ崎リトルシニア』の監督業に専念
大谷徹の中学校時代
大谷徹さんは父親(大谷翔平さんの祖父)の勧めもあって野球を始めましたが、中学では坊主頭がどうしても嫌でした。
大谷徹さんの世代では野球=坊主頭というのが定番だったでしょうし、思春期の男の子にとては拒否したくなりますよね。
その結果、大谷徹さんは陸上部に所属する事にしました。
中学2年生の時には三種競技A(100m走/砲丸投/走高跳)で県大会入賞の実績を残しています。
ただ、陸上競技のはっきりと個人の優劣がついてしまう事が性に合わなかった為、中学2年生の途中からは父親の勧めであった野球部に転部しました。
陸上部で好成績を残した大谷徹さんは、野球部に転部してからもその運動能力を発揮し、エースで4番打者となって活躍を見せ、県内の野球強豪高校から注目を浴びることとなりました。
エースで4番って
現在の大谷翔平選手と同じですね♪
大谷徹の出身高校は岩手県立黒沢尻工業高等学校
岩手県立黒沢尻工業高等学校
偏差値は44で、岩手県内公立高校では53位/120件中
学力レベルは中の上くらいではないでしょうか…
そしてスポーツ選手としては3人の有名人を輩出しています。
千田美智仁 | ラグビー選手 |
長谷川武 | バスケットボール選手 |
八重樫東 | プロボクサー |
中学校での野球経験を活かし、大谷徹さんは野球少年達の夢である甲子園大会出場を目指しました。
そして野球の強豪である岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学を決めました。
高校1年生の時には投手失格と言われ、外野手に転向する事になりました。
しかも右打者だった大谷徹さんは、足の速さを活かす為に左打者に転向しています。
1、3、5番打者としてプレーしていましたが、高校3年生の夏の県大会にて、盛岡一高相手に初戦敗退となり、入学当初に目標としていた甲子園大会には一度も出場できませんでした。
大谷徹の現在の職業は監督
大谷徹さんは現役を引退されており、現在はリトルシニアの監督に専念されています。
引用:文春オンライン
大谷徹さんは高校卒業後、三菱重工横浜野球部に入団しました。
試合には主に1番・2番打者で外野手として出場していましたが、肩の故障もあり出場機会があまり得られませんでした。
入団6年目の24歳の時、監督から戦力外通告を言い渡され、1986年に野球を引退いたしました。
スポーツ選手にとってケガは命取りですね。
引退後はシステムエンジニアとして仕事をしながら、新しい仕事の勉強を毎日されていました。
そんな中、同じ三菱重工横浜製作所に勤務していた加代子さんと出会い、結婚しました。
その後、長男の龍太さんが誕生したタイミングで、岩手県に工場を建設予定だったトヨタ自動車東日本へ転職し、長女の結香さんが誕生した事により岩手県の奥州市に移住しました。
転職先であるトヨタ自動車東日本では、車体を造る製造ライン作業をする傍らで、少年野球チームの監督も行っていました。
しかし製造ラインの仕事は、2交代勤務だった事から、長男の龍太さんには野球をあまり教えてあげられなかった事が悔やまれると以前語っていました。
その後、せめて次男の大谷翔平選手には本気で野球を教えようと決意し、2016年トヨタ自動車東日本を退社し、大谷翔平選手が所属していた少年野球チームの監督として、指導にあたりました。
大谷徹さんは、大谷翔平選手が中学生になってからは、リトルシニアでもコーチとして指導されており、熱心に練習に取り組んでいました。
大谷翔平選手も、父親に野球を教わった事に対して感謝しており、
一番の指導者は父親で、バッティングの基本は父から学んだ
とおっしゃっています。
大谷徹は離婚歴はある?
大谷徹さんに離婚歴はありません。
引用:nippon.com
現在の奥さんである加代子さんはもちろん、過去に離婚歴はありません。
では一体なぜ?離婚しているといった噂が出回ったのでしょうか?
理由として一番に考えられるのはメディアへの露出が極端に減った事ではないか?と言われています。
上記のお写真は、大谷翔平さんが高校を卒業した際、卒業式にご夫婦で参列した後の記者会見の様子です。
また大谷ご夫妻は
●子供の前では絶対夫婦喧嘩をしない
●家族みんなで一緒にテレビを見る
●食事はみんなで楽しく
こういった事をモットーとして過ごされてきたので、離婚はあり得ないでしょう。
大谷ご夫妻は、以前はメディア出演もされており、インタビューにも応じていらっしゃいましたが、大谷翔平選手がメジャーで活躍される様になってからは、
息子が野球に集中できる様にとメディアにもほとんど出なくなりましたので、夫婦不仲説や、離婚の噂が飛び交ったのではないでしょうか?
大谷翔平と父、徹のエピソード
引用:日本経済新聞
父親の背中を見て育ち、今の野球人生があるのは、父親である大谷徹さんのおかげだと感謝している大谷翔平選手のエピソードについて、いくつかご紹介いたします。
・大谷翔平との交換日記
・家族みんなでテレビを観る
・家庭内で大切にしている事
父と息子の交換日記
大谷徹さんと息子である大谷翔平さんは、野球に関する交換日記をしていました。
引用:Twitter
大谷徹さんと大谷翔平選手は、小学2年生の頃から野球ノートで交換日記をしており、試合や練習での評価やアドバイスを大谷徹さんが書き、反省点や課題等を大谷翔平選手が書いていました。
当時小学5年生だった大谷翔平少年は、全国大会の岩手県予選で公式戦初の満塁ホームランを打ちました。
その日の野球ノートには、
ホームランをライナーで打てるように練習したい
と書いており、いくら結果が良くても更に上を目指している向上心は、小学生の頃から現在も変わらないのですね。
野球ノートは毎日ではなく、大会や合宿などの節目の時に、良かった事、悪かった事、目標、これから練習する事を書くようにし、大谷徹さんがアドバイスを書き添えていくものでした。
と以前大谷徹さんは語っていました。
●一生懸命元気に声を出す
●一生懸命走る
●一生懸命キャッチボールをする
この事は、ノートに何度も出てくる大谷徹さんの考える野球で本当に大切な3つのポイントです。
声を出してチームメイトとの連係を高めて、全力で走り楽しく野球をやる。
そしてキャッチボールは肩をあたためる為だけではなく、狙った場所に回転のいいスピンのかかったボールを投げる。それが、肩の強さにつながると指導していました。
大谷翔平少年も、ノートに
声がいつもより出せたと思った。
全力で走れなかった。
と書いており、父親の教えを実行するべく練習に励んでいた事がうかがえます。
大谷親子は、全体練習1時間前にグラウンドに行き、打撃練習を行っていたそうなので、やはり天才ではなく、そういった地道な努力と反省が現在の活躍につながっているのでしょう。
大谷徹さんは、息子がプロ野球選手になるなんて考えていなかった。社会人までできればいいかな、くらいにしか考えていなかった。
と語っていましたが、とても嬉しそうなご様子でした♪
まさか息子メジャーリーガーになるなんて
考えてもいなかったでしょう。
やはり今の大谷翔平選手があるのは、大谷翔平さんも語っている通り一番の指導者は父親で、野球ノートのおかげではないでしょうか。
家族みんなでテレビを見る
大谷家のテレビはリビングに1台のみで、家族全員で一緒に同じ番組を見ていました。
まず夕飯は、大谷徹さんが仕事から帰ってくるのを待ってから家族全員揃って夕飯を食べ、その後は全員揃って同じテレビを見ていました。
お父様である大谷徹さんは、三菱重工・トヨタ自動車等、大手企業にお勤めでしたので、貧困してたとは思えませんし、家族団欒を大切にしている為、テレビは1台のみにしていたのでしょう。
家庭内で大切にしている事
引用:YouTube
大谷徹さんは、家庭内の事で決まり事を作る等、子育てにおいて厳しい事は何も言いませんでした。
ただ、大切にしていた事は、
●夫婦喧嘩をしない
●家族みんなで食事をする
●家族みんなでテレビを見る
●挨拶は必ずする
●子供を怒らない
●食器を洗う等、率先して家事をする
以上の様な事で、恐らく朗らかな家族の在り方を考えていらっしゃったのでしょう。
いつもあたたかく見守ってくださる両親の元、穏やかな環境で育った為、大谷翔平選手の様な人格者が誕生したのだと思います。
まとめ
大谷翔平の父
名前:大谷 徹(おおたに とおる)
年齢:60~61歳(1962年生まれ)
身長:182cm
出身地:岩手県北上市和賀町
家族:妻(加代子)・長男(龍太)・長女(結香)・次男(翔平)
学歴:岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業
職歴:三菱重工・トヨタ自動車・金ケ崎リトルシニア監督
離婚歴:なし
大谷翔平とのエピソード:野球ノートで交換日記・家族みんなで食事
世界的人気を集めている大谷翔平選手の父親である大谷徹さんについてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
家族と野球に人生を捧げてきた、優しくてあたたかい父親である事が、感じ取れます。
大谷翔平さんの振る舞いを見ていたら、育ちの良さがわかりますよね。
「うちの息子が大谷翔平くんみたいな子だったら…」と言っている方がたくさん居らっしゃいますが、まずは大谷徹さんの様な考え方にシフトしてみる事が、一番の近道なのかもしれませんね。