毎朝、見ない日がないほど大活躍中の大谷翔平さんですが、野球選手としてのみならず、人としての在り方を世界中の人に認められており、
打者で32本のホームラン、投手で7勝(2023年7月11日現在)の好成績でMLBオールスターゲームに現在出場しています。
理想の子供や孫を聞かれた方の多くは、日本のみならず世界中の方が大谷翔平さんの名前を挙げています。
そんな理想の息子である大谷翔平さんを、見事に立派に育ててこられた母親は、一体どんな方なのか注目されています。
また、運動神経は遺伝による影響があるという研究結果も出ていますので、母親がバドミントン選手であった事も関係しているのではないか?と考えられ、その事にも触れていきたいと思います。
そこでこの記事では…
●大谷加代子のwikiプロフィール
●大谷加代子の学歴や経歴
●大谷加代子はバドミントン選手だった?
●大谷加代子の現在の職業は?
●大谷加代子の離婚歴は?
●大谷加代子は母子家庭?
●大谷翔平さんとのエピソード
等、今回は大谷翔平さんの母親である大谷加代子さんに焦点をあてて、気になる事をまとめていきたいと思います。
大谷加代子(大谷翔平の母)のWikiプロフィール
大谷翔平の母
●名前:大谷 加代子(おおたに かよこ)
●生年月日:1963年
●年齢:2023年 満60歳
●身長:170cm
●出身地:神奈川県横浜市旭区
こちらのお写真は、大谷翔平さんがMLBの公式Instagramに投稿したものです。
投稿したのは、母の日にちなんで選手たちが母子の写真を投稿した内の1枚です。
4歳の大谷翔平さん、可愛い♪
この写真について、大谷翔平さんが可愛すぎるとニュースやワイドショーでも取り上げられていました。
野球選手としてはもちろんの事、人として世界中が評価している大谷翔平さんのお母様は、一体どのような経歴の持ち主なのでしょうか?
大谷加代子の学歴&経歴
大谷加代子さんの最終学歴は高校卒業です。
●神奈川県立横浜立野高等学校卒業
●三菱重工横浜に就職
●大谷徹と社内恋愛の末、結婚
●岩手県水沢市内の焼肉店でパート
●長男:大谷龍太 誕生(元社会人野球選手)
●長女:大谷結香 誕生(バレーボール部経験)
●次男:大谷翔平 誕生(メジャーリーガー)
大谷翔平さんの母親である大谷加代子さんは、小学5年生の時からバドミントンを始めています。
中学生の時には、全国大会で団体準優勝しており、高校生の時には高校総体や国体に出場した経験の持ち主です。
学生時代はバドミントンに没頭しており、夜遅くまで練習していました。
大谷加代子の出身高校は
「横浜立野高等学校」
大谷加代子さんの出身校は、神奈川県立横浜立野高等学校です。
引用:神奈川県公式
横浜立野高等学校
・所在地:神奈川県横浜市中区本牧間門40-1
・偏差値:50
神奈川県内の公立高校と比較してみると、77位/202校中とかなりレベルの高い高校です。
横浜では由緒正しい進学校で、普通科のみの高校ですが、作家や小説家・スポーツ選手や音楽家等多くの有名人を輩出しています。
武田百合子 | 作家 |
宮内婦貴子 | 脚本家 |
廣嶋玲子 | 小説家 |
飯島健 | 陸上ホッケー選手(1960年ローマオリンピック日本代表) |
坂井宏朱 | 元オートレース選手 |
山口真理恵 | 女子ラグビー選手 |
辻陽太 | プロレスラー |
喜田拓也 | サッカー選手 |
喜多建介 | ギタリスト(ASIAN KUNG-FU GENERATION) |
佐々木諒太 | サックス奏者・作曲家 |
伊藤大征 | 俳優 |
大谷加代子さんは学生時代は、バドミントンに熱中する日々を送っていたので、毎日の様に夜の8時頃まで練習していました。
高校卒業後
大谷加代子さんは高校を卒業した後、三菱重工 横浜製作所に就職しました。
引用::Twitter
三菱重工 横浜製作所
【1891年】(有)横浜船渠として船舶修理の操業がはじまり、後に新造船・機械製品に進出。
【1935年】三菱重工業と合併。
【1966年】本牧工場を新設
【1980年】新造船事業から撤退
【1982年】横浜市の都市臨海部再開発事業みなとみらい21計画に協力の為、横浜工場を金沢の本牧工場に移設
【1983年】横浜造船所から横浜製作所に所名を改称
大谷加代子さんは、1981年4月に就職した可能性が高い為、就職後に所名が三菱重工横浜造船所から三菱重工横浜製作所に改称されたと考えられます。
三菱重工横浜製作所は、バドミントンチームがあることから入社したと思われますが、
学生時代と比べて練習時間もあまりとれなかった事から、以前ほどバドミントンに力を入れていませんでした。
仕事との両立ですものね…
会社員として働いていた大谷加代子さんは、入社1年目に大谷翔平さんの父親である大谷徹さんと出会いました。
新入社員の男子は応援部、女子はチアガールをやることが義務付けられていて、その集まりの時に出会いました。
結婚後
バドミントン選手だった大谷加代子さんと社会人野球をしていた大谷徹さんは結婚後、大谷徹さんの実家がある岩手県に引っ越しました。
岩手に移住した後、大谷加代子さんは子育てをしながら自宅で内職をしていた様ですが、末っ子である大谷翔平さんが小学生になった頃、岩手県水沢市内の焼肉店でパートを始めました。
土日は休みをもらっていましたが、平日は毎日働いていました。
大谷翔平さんは、自身が稼ぐ様になってから、
母さん、いつまで働くの?
と聞いた事があるそうですが、母親の大谷加代子さんは、
自分達の暮らしは自分達で…
と、息子に甘えるつもりはない旨、お話しされています。
2022年の大谷翔平選手の年俸は550万ドルでした。当時のレートを日本円に換算するとおおよそ6億3000万円です。
さらに2023年の年俸は3000万ドルと言われていますので、日本円で約43億円です。
他にもスポンサー収入や、CM出演料等も入ってきますので、一般人には考えられない金額です。
税金で半分は持っていかれると言われていますが、それにしても凄い金額なので、しっかり甘えていいと思いますが、そこをあえて甘えない所が大谷加代子さんの素晴らしい人間性の表れですね。
2024年シーズンからドジャースに移籍し、
大谷翔平さんの年収は100億円になるよ。
大谷加代子は元バドミントン選手
前述した様に大谷加代子さんは、小学生の頃に始めたバドミントンを会社に入社してからも続けていらっしゃいました。
学生時代は強豪校で活躍されていたそうで、高校時代はバルセロナオリンピック日本代表の陣内貴美子さんとも対戦した事があるので相当な腕前だと予測がつきますね。
その実績についても、まとめていきたいと思います。
大谷加代子のバドミントンの実績
中学3年生 | 神奈川県代表の団体戦メンバーに選出され、準優勝 |
高校時代 | 高校総体や国体に出場 |
社会人 | 神奈川県予選でベスト4入り |
社会人になってからは、仕事とバドミントンの両立で、学生時代ほどバドミントンに打ち込めず、全国大会にギリギリ出場できるといったレベルでした。
大谷翔平さんの身体能力の高さは、バドミントン選手だった母親と、社会人野球をされていた父親の遺伝子を見事に受け継いでいらっしゃいますね。
大谷加代子の現在の職業
大谷加代子さんの現在の職業は明らかにされていません。
現在何の仕事をしているのか?詳細は見つかりませんでしたが、前述した通り子供に頼って生活する事は考えていらっしゃらない様ですので、何かしらの仕事をしているのかもしれません。
しかし素性がバレていますので、なかなか外で働く事が難しく、今は主婦をされているのかもしれませんね。
大谷翔平さんがWBCで戦っている間も、
「野球だけに集中してもらいたい」という思いから一切取材には応じていません。
WBCは、大谷翔平さんがずっと夢にまで見た大舞台ですので、邪魔にならない様にこっそりと応援したかった気持ちの表れではないかと考えられます。
大谷加代子は離婚歴ある?
大谷加代子さんと大谷徹さんは離婚していません。
引用:スポニチ
離婚しているといった噂がありますが、一体なぜそんな噂が出たのでしょうか?
その理由として、一番に考えられるのはメディアへの露出が極端に減った事と言われています。
大谷加代子さんは、大谷翔平さんがWBCで戦っている間も
「野球だけに集中してもらいたい」という思いから一切取材には応じていません。
素晴らしいご子息がいらっしゃると、
妬み嫉みもあるのかもしれません…
大谷翔平さんのメジャー移籍会見の時には、両親仲良く来場されていましたし、夫婦間で決めているルールは、
子供の前で絶対夫婦喧嘩をしない。
また、家族間でも一緒にテレビを見る・食事は楽しい雰囲気でと、とても仲のいい家族である事がわかります。
大谷家にはテレビが1台しかなく、家族みんなで観ていました。
そんな家族団欒を大切にしているご家族ですので、離婚という言葉は、ほど遠い様に思います。
大谷翔平の母子家庭の噂はどこから?
大谷翔平さんが母子家庭で育ったという噂がありますが、全くのデマです。
しかし何故その様な噂になったのでしょうか?
噂になった理由を考えた所、佐々木朗希投手やダルビッシュ有投手等、他の有名投手が母子家庭で育った為、混同されたのではないか?と思われます。
しかし大谷翔平さんのご両親は、
●2015年 両親揃って日刊ゲンダイに取材を受けている
●2018年 両親揃って開幕戦の観戦に来ていた
●両親は岩手県で一緒に暮らしている
と判明していますので、母子家庭だという事はまずないと考えられます。
大谷翔平の人間性は母譲り?
大谷翔平さんの謙虚さと礼儀正しさは世界中で過大な評価をされています。
日本ハム時代のチームドクターだった土屋正光さんのお話によると、母である大谷加代子さんはいつもニコニコ笑っていて、控えめな感じの方でした。
また大谷翔平さんは試合の時、審判全員に挨拶をしてまわったり、グラウンドに落ちているゴミを拾う等、育ちの良さが垣間見れます。
いつも笑顔で謙虚な所は、母親譲りなのではないでしょうか?
大谷翔平と母のエピソード
大谷加代子さんは、子供達に対して怒らない子育てを貫いてこられました。
引用:YouTube
仮にテストの点が悪かったとしても怒らず、頑張ったねと温かい目で見守っていくといった教育方針でしたので、徹底して見守り教育をされていたのですね。
大谷翔平さんも、両親の話をされていた際、怒られた事はないとおっしゃっていましたね。
一体どの様に育てられたのか、そのエピソードに…
・家族全員で夕食
・家事はみんなで
・母から子へのアドバイス
・未だに息子が心配
この様な事が挙げられますので、詳細を見ていきます。
家族全員で夕食
夕食を食べる際は、父親が仕事から帰ってくるのを待って、家族全員揃ってから食べる様に決めていました。
大谷家のテレビは1台のみで、夕食の後は家族全員で一緒に同じ番組を見ていました。
父親である大谷徹さんは、大手企業の三菱重工やトヨタ自動車にお勤めでしたので、貧困してたとはとても思えませんし、家族団欒の為にあえてテレビは1台のみにしていたのでしょう。
また、帰宅してからリビングを通らないと自分の部屋には行けない様な間取りになっていました。
家事はみんなで
引用:スポニチ
自分の食事の片付けは自分でする。簡単な身の回りの事は率先してやる。というのが大谷家でのモットーでした。
これは、両親ともが率先して行っていた事であり、親の背中を見て同じ様に子供達も率先して身の回りの事をこなしていた様ですね。
上記の写真は、大谷翔平さんがアメリカで一人暮らしをしている際の様子ですが、
大谷選手は自炊もされていますので、幼少期から両親の背中を見て率先してやっていた家事の経験が活きているのかもしれませんね。
母から子へのアドバイス
大谷加代子さんは、大谷翔平さんに自分の弱点をどう克服するか考え、今後の目標を具体的に考えて行動してほしい。と伝えてこられました。
まず大きな目標があれば、そこに到達するまでの過程が大切です。
引用:president
こちらは、大谷翔平さんが高校一年生の時に書いたオープンウィンドウ64ですが、高校生の時にこのメソッドを培っていた事で、公開された当時とても話題になりましたね。
オープンウィンドウ64は高校生の時何度も書き換えており、お母様の教え通り弱点を克服する為に考えた事や、目標を具体化していく姿勢が、細かく記載されています。
近年このメソッドを取り入れている企業も増えてきています。
未だに息子が心配
引用:読売新聞
大谷加代子さんは、大谷翔平さんがどれだけ活躍している現在でも、心配な気持ちがある事はずっと変わりません。
息子が登板する試合は見ていられなくなり、外出してしまうとおっしゃっていました。
死球を受け、うずくまってしまった姿を観た時は、ファンも目を覆うほど心配ですので、母親としては本人が思った様に活躍できるのか、またそれ以上にケガをしないか、親としては気が気ではないとお察しいたします。
親であれば息子がどれだけ活躍していようとも、拭っても拭いきれない心配事ですね。
母親が温かい目で見守りたい気持ちの表れではないでしょうか。
まとめ
大谷翔平の母:大谷加代子
●生年月日:1963年(2023年 満60歳)
●出身地:神奈川県横浜市旭区
●最終学歴:神奈川県立横浜立野高等学校卒業
●卒業後:三菱重工横浜製作所(旧三菱重工横浜造船所)に就職
●バドミントン:全国大会で団体準優勝(中学生)・高校総体や国体に出場(高校生)・神奈川県予選ベスト4(社会人)
●現在の職業:不明
●家族:夫(徹)・長男(龍太)・長女(結香)・次男(翔平)
●離婚歴:なし
●母子家庭と噂される理由:他の投手と勘違い?
●母子家庭の噂:デマ(他の有名投手と混同されていた)
●大谷翔平メソッド(ウインドウ64)は母のアドバイスから生み出されたものだった
いかがでしたでしょうか?
世界から認められる野球選手を育て上げた大谷加代子さん、息子がどれほど活躍していても、
●息子に頼らず自分達で生活していく
●息子が野球に専念出来る様、取材は受けない
●今でも心配でたまらない
と普通の母親で居てあげる事が息子の為になると思い、目立った生活はしておらず謙虚な方である事がわかりますよね。
大谷翔平選手の謙虚で朗らかな所は、母親譲りですね♪
これからも騒ぎ立てすぎず、あたたかく大谷家を見守りたいと思います。